ダークマター裁判、審理するのはあなたです
宇宙開発が進む今、未解明の宇宙の謎が争点となる裁判が起きてもおかしくないのではないか…。例えば、宇宙貨物船が原因不明の蛇行、輸送費の上乗せ、責任を負うのは誰…?
そんなまだ見ぬ問題をものがたりの形で提起するのは、名古屋大学サイエンス裁判所(有志グループ)。まずは読んでみてください。こんなお話です↓
宇宙貨物船「ぷれやです」の蛇行
作・北口雅暁 (素粒子宇宙起源研究所 准教授)
ぷれやです船長のヤマナカ・ノリオは、刻々と報告される自船の座標を見ながら、首を捻った。
「どうしても横へ横へと流される。」
地球資源の枯渇に対応するために、また各地に広がった宇宙基地へのエネルギー供給のために(もともと宇宙基地はエネルギー採掘のために開発されたのだが、今ではそれらを維持するのに莫大なエネルギーが必要になってしまっていた。)人類はどんどん遠くの宇宙へ開拓の手を伸ばしていた。宇宙を高速で移動する手段が開発され、大型タンカーが建造された。地球の比較的近くは宇宙図(海図に相当)が作成され、安全に航行できるようになっていたが、それより遠くへの「冒険的」航行の成功は、熟練の航宙士(航海士)の腕に託されていた。
「太陽風*でしょうか?」
一緒に宇宙図を覗き込んでいた航宙士がつぶやく。船体に備えられた各種センサーの表示を指差しながら二人で確認する。
「それを差し引いても、余分に力がかかっているように見える。」
航宙士はヤマナカの顔を見上げて言う。
「未知のブラックホールでしょうか?」
「それにしては引き摺られ方が緩やかだ。」
原因はわからないまま、しかし船は明らかに「流されて」いた。もしもブラックホールなら、ひとたび事象の地平線*の内側に入ったが最後、二度と抜け出せない。ヤマナカは航路を慎重に選んでいった。宇宙船を引き摺り込む領域は想像よりも広く、結局大幅に迂回することになった。地球までの燃料が足りないことがわかり、中継基地に給油のために寄港した。自宅に戻ったのは四十八日後だった。
三日後、ヤマナカは会社から呼び出された。
「君がそういうことをしない人間だと言うことは、私もわかっているよ。」
宇宙運輸株式会社は業界では最大手、何百という航宙士がいたが、ヤマナカの技術と人柄はよく知られていた。
「そうでなければ今回のような計画を任せはしないからね。」
「では何も問題ないんじゃないでしょうか。VDR*も提出していますし。」
「なにぶん金額が大きすぎるんだ。」
宇宙を飛ぶのはやはり金がかかる。燃料、乗組員の人件費、数ヶ月に及ぶ食料・生活費、その他諸々。入念な調査を行なって航行計画が立てられる。ヤマナカが航路を変更し燃料も日数も大幅に増えたことが問題視されたのだ。
「宇宙は、一直線に進めばいいってわけじゃない。巨大な星の重力に捕まれば抜け出せなくなってしまう。安全のために迂回することは仕方がないことでしょう。」
もちろんそのような事態は想定されている。契約書にはこうある。
『事前観測・調査で見つけられていない天体との衝突やそこへの落下などの危険な事態を避けるために、乙(運送会社)の船長は航路を変更することができる。変更に伴う費用は甲(発注者)が負担する。』
「巨大な星を見たのかね。」
「…いいえ。」
「ブラックホールかね?」
あの不思議な状況を思い出す。ガンマ線や磁場*は、おかしな値ではなかった。
「そうではなさそうに思います。が、どうにもよくわかりません。」
ヤマナカが安全に航行したおかげで、航行記録には「危険な」状況は記録されていない。にもかかわらず、わざわざ大回りし、中継基地に停泊した、ように見えた。
「あそこはリゾート基地なんだよな…」
「そんな!」
「いや、印象が悪いというだけだよ、印象が…」
その後何人かの乗組員からも聞き取り調査が行われた。中継基地で束の間の休息を楽しんだものもいたが、宇宙船の迂回に関しては皆、妥当なものだったと口を揃える。
「とにかく船は流されていたし、迂回の判断は正しかった。ヤマナカさんには及ばないかもしれませんが、私も航宙士だからわかります。」
若い航宙士は苛立った。
結局会社はヤマナカたちの説明に納得し、迂回分の燃料代や航行日数増加分の人件費等を加算した請求書を発行した。
見積もりの四割増しの請求書を受け取ったエネルギー元売りの株式会社スペースエネルギーは、対応に悩んだ。
「原因不明のまま計画航路を変更してその費用を押しつけられるのは、たまらん。」
「こんなことが起こるようでは今後の開発コストが読めなくなってしまう。」
「しかし、宇宙運輸さんはこれまでも誠実な仕事ぶりでした。それなりの理由があるのでは…」
社内でも意見が分かれたが、今回の航路変更は契約書にある『天体による危険な事態を避けるため』のものではないとして、加算分を控除した金額を支払うことにした。
「今後のことも考えると、契約書通りにきっちり対応するのが良いでしょう。」
スペースエネルギー顧問弁護士は言った。
宇宙運輸は、加算が全く認められなかったことに驚いた。大手とはいえこの金額はさすがにつらい。こちらも弁護士と相談し、書面で通知した。しかしスペースエネルギーの回答は『貴社による航路変更は契約書に定める加算事由には該当しないものと判断しております』の一点張りだった。
「これでは今後新しい開発を受注できなくなってしまいます。」
宇宙運輸側の弁護士は心配した。
一ヶ月後、宇宙運輸株式会社は、元売りの株式会社スペースエネルギー相手に
迂回分の燃料代の支払い
航行日数増加分の人件費の支払い
航行日数増加分の諸費用の支払い
を求める民事訴訟を起こした。
「聞くところによると宇宙にはダークマターというものがあるらしい。航路上にダークマターが集まって巨大な重力源になり、ぷれやですを引き寄せたに違いない。」
「ダークマターなんて、そもそもあるのかどうかもあやふやなものを言われても…」
両者の意見はずっと平行線であったが、どちらかというと、あの時一体何が起こっていたのかを明らかにしたいという気持ちが、両者とも強かった。特に、今回の航路変更が契約書にある『天体による危険な事態を避けるため』のものか否かが、問題になった。それは今後の宇宙開発にかかる費用を考える上で、両者共に重要な前例になりそうだった。
ダークマター裁判のゆくえ
科学と法律が交差するこの裁判のゆくえはまだわかりません。そこで、物理や法律の専門家のナビゲートのもと、弁護士役としてこの裁判に参加してくれる方を募集しています。
こちらの参加フォームからお申込みください。
もちろん傍聴も歓迎します(申込不要、会場にお越しください)。
未解明の宇宙の謎が争点となる裁判では、どのような思考が求められるのか。ぜひリアルタイムで体験してみませんか。
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