深海9801m、岩石学者が本当に欲しかったもの
5月30日、第93回目を迎えた名大カフェ「深海9801m、岩石学者が本当に欲しかったもの」が、久しぶりの対面開催で行われました。
会場は、地下鉄名古屋大学駅すぐ、NIC館1階のコワーキングスペース「Idea Stoa」。この時の模様をレポートします。
今回のテーマは超深海探査。ゲストの道林 克禎さんと一緒に、日本で一番深い海の底に出かけましょう。
■本当は岩石学者
髙橋:道林さんは岩石の研究をされているということですね。
道林:中学生の頃は、宇宙探査機「ボイジャー」が飛ぶシーンに憧れて、天文学者になりたいと思っていました。それが気がついたら足元を見るような研究者になっていました…。でも結果的には合っていたなと思っています。今は 海に潜ったり、地球を掘削したりして、普段は手の届かない地球の深いところの岩石を研究しています。
髙橋:ご参加の皆さんは、道林さんが出演した「ダーウィンが来た (NHK)」をご覧になりましたよね。
道林:それ、早速言いたいことがあるんですけど(笑)。昨年8月13日に、小笠原海溝9801mまで潜り、日本人の最深潜航記録を60年ぶりに更新しました。その2日後に、水深8331mでスネイルフィッシュという深海魚を発見し、世界で最も深いところで発見された魚としてギネス世界記録を更新しました。これが番組で紹介されて、番組を見た親戚、家族含めて、魚の研究者と言われております。
■大富豪冒険家がくれたチャンス
参加者:海の一番深いところは、みんな行きたいと思うんですけど、それは順番待ちですか?
道林:日本の「しんかい6500」は、研究計画を申請して、科学的意義が認められれば機会をもらえます。ところが今回私が潜ったのは、アメリカの大富豪のVictor Vescovoさんが個人でやっている潜航なんですね。民間企業と100億円かけて開発した「リミッティング・ファクター号」という潜水艇で潜るんですが、彼がOKしてくれたら乗れるというものです。
ある日、Vescovoさんが「今度は日本の領海で一番深いところに潜りたいから、無料で日本人の研究チームを一緒に乗せましょう」と言っていると、大学時代の恩師から声がかかりました。もう、すぐに返事しましたよ。「私行きます!」と。
しんかい6500では水深6500m以上は潜れないので、海底地形図を見ながら、この下3000mはどうなっているのだろう、いつか潜りたいなと思っていました。
■ハプニングも
道林:ところがそんな待望の潜航中、水深6000mを超えた辺りでVescovoさんが、「もうすぐ金属音がするけど大丈夫だから」って言うんですね。何言ってんだろうなと思っていたら、「キン!」「カンカン!」って音がしてきたんですよ。本当に怖かったですね。確かに安全に支障はありませんでしたが、しんかい6500ではありえないことですね。
ちなみに、潜水艇で人が入るところは「耐圧殻」といって、水圧に耐えるようになっています。リミティング・ファクター号の場合、チタン合金でできた、ものすごく高精度の直径2mぐらいの完璧な球体です。1mmでも歪むと、水圧で負荷がかかって本当に潰れちゃうんですね。
参加者:これまでに潜水艇の事故は…?
道林:僕が潜ったのは、リミッティング・ファクター号にとって119回目の潜航で、全てが上手くいったんですね。ところが、次の120回目の潜航は緊急浮上してきたんですよ。別のベテランの研究者が乗ったんですけど、8000mぐらいで「ガチャン!」とすごい音がしたらしいんですね(どよめき)。なんと浮力材が割れた音だったらしいです。もし浮力材が離れたら、浮き上がってこられないわけですよ。僕は運が良かったんだなって思いましたね。ちなみに、しんかい6500では、事故はまずありません。何かあるとすぐ浮上します。危なかったらおもりを切り離せば浮くようになっているわけです。
■冒険の海、超深海
今回の潜航では、定置型の無人観測機「ランダー」を、一番深いところに先に潜航させておきました。ランダーは、アームやカメラを搭載しています。
これ(下写真)はランダーが撮ったリミッティングファクター号です。私たちがこの中にいます。ここは水深9800m。手前にいるのは、シンカイオオソコエビ(カイコウオオソコエビ)という生き物です。最初は1匹もいなかったのが、何時間かして寄ってきたんですよ。
この海で世界一深い場所にいる魚を発見したわけですが、これは生物学者のAlan Jamiesonさんの仮説通りでした。実は魚が生息できるのは、水深8000mが限界だといわれています。それ以上水圧が高いと細胞が潰れてしまうので。
でも北半球の一番深いところは、南半球のそれより0.5℃ぐらい温度が高いんですね。細胞にとっては、わずかでも温かい方がいい。だから、世界で一番深い魚を発見するのはここ伊豆・小笠原海溝だろうってJamiesonさんは考えてたんですよ。見つかって「やっぱり」って言っていました。
そういう意味で、今回のギネス世界記録は科学的な意義が非常に大きいです。実をいえば、ちょっとうらやましいけどね。魚は動くから映像で証明できるけど、岩石は動かないから採ってこないといけない…。
■本当に欲しかったもの
参加者:リミッティング・ファクター号には、岩石を掴むアームはついているんですか?
道林:はい、一つだけついています。ところが、9800mで、ちょっとだけ動いて止まっちゃったんですよ。で、その瞬間に「終わった」と思いました。日本人最深記録は取ったけど、肝心の石は採れなかった。本当はマントルの石が欲しかったんです。
髙橋:深海にあるマントルから何が分かるんですか?
道林:地球って、よくゆで卵に例えられるんですね。殻は地殻、白身はマントル、黄身が核です。
マントルは地球の体積の80%を占めるので、一次近似的にはマントルこそが地球そのものです。でも人類は、未だマントルに直接到達したことがないんですね、地殻があるから。だから、地殻とマントルの境界があるのか、実は誰も知らないんです。ただ、唯一マントルがむき出しになっている場所が、海溝だと思っています。マントルは緑色っていわれますけど、まだ誰も見たことないんで、本当に緑色なのかも見たかったですね。やっぱりサイエンスは観測ありきなんですよ。
髙橋:天文学でも見たことないことについていろんなモデルが出るけど、望遠鏡とかで観測すると、一気に全部覆ることがあります…(笑)。
道林:同じです。地球の深部に関してもいろんなモデルがあって、地震波で調べたりするんですけど、本当かなって思うことがいっぱいあるんです。やっぱり実際に潜って採ってきて物性を調べるって非常に大事なんですね。
ちなみにVescovoさん、5月20日にこんなツイートしています。
マリアナ海溝ですね。私が見たかったのはこういう景色なんです。海底平野みたいなのじゃなくて、このようにゴツゴツした世界。ここは多分マントルが海底に出ています。ここからポキっともぎ取ってこれたら、ドヤ顔で「行ってきました!」って言いますね。
■未知の惑星からの帰還
道林:海底から戻るたびにいつも思うんです。まるで未知の惑星から帰還する宇宙船のようだと。
調査を終えて離底するときは、おもりを全部外して浮上します。そうすると、だんだんと海底がぼやーっとしてくるんですよ。月に行って帰ってくるときはこんな感じなのかな。ロケットだったらエンジン音が大きいでしょうけれど、海底からの浮上は静かですごくロマンを感じますね。
誰も行ったことがない超深海に、この惑星の正体、緑に輝く宝石を探す冒険。道林さんの楽しいお話に乗って、一緒に深海に潜って、帰って来た気分になりました☕️
「しんかい12000」出来るといいですね。
レポート:酒井裕介(市民科学サークルKagaQ)
◯関連リンク
名大カフェ|名古屋大学 学術研究・産学官連携推進本部
Researchers' VOICE No.37 道林 克禎 教授|名古屋大学 研究成果発信サイト