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【前編】ヤンデレの龍神様にストーキングされたい話(AI創作・画像付きショートショート)
原案・一部文章:508
文章:claude 3.7 sonnet
イラスト:Illustrious-XL(いまいちキャラクターの見た目が安定しないのは)まあ多少はね?
よければお供にどうぞ。
第一章: 白い声
埃まみれの箒を手に、清水俊介は不満げに神社の境内を眺めていた。広がる落ち葉の絨毯。折れた枝。参道に散らばる小石。そして、どこか薄暗い空気を纏った古びた社殿。
「はぁ…なんでこんな仕事を俺がやることになったんだよ」
清水は、額の汗を拭いながら溜息をついた。町内会の会議で、若いからという理由だけで神社の清掃を任されたことが、まだ胸に棘のように刺さっていた。
「若いから、体力があるからって…」清水は小さく呟いた。「他にもっと暇な人いるだろうに」
秋の陽射しは柔らかく、しかし十分な温もりを持って境内を包んでいた。赤や黄色に色づいた葉が風に揺れ、時折落ちてくる。清水が掃いても掃いても、また新しい葉が舞い降りてくる。終わりのない作業のようで、ますます気が滅入った。
境内の掃除を始めて30分ほど経った頃だった。
「誰かいるのか?」
首筋に感じる視線。清水は思わず振り返ったが、誰もいない。ただ古い楠の木が静かに佇んでいるだけだった。
「気のせいか…」
再び箒を動かし始めたが、その感覚は消えなかった。誰かに見られているという不思議な感覚。それは不快というよりも、どこか懐かしいような、温かいような感触だった。
***
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その視線の主は、確かにそこにいた。
人の目には見えない姿で、境内で立っていたのは白銀の髪を持つ美しい龍人の姿をした女性、シラナミカイリュウ。
彼女は、この神社に古くから祀られる龍神だった。その姿は半透明で、風のように揺らめいていた。
「清水くん…♡」
シラナミは頬を染め、うっとりとした表情で清水を見つめていた。長い白銀の髪が風もないのに揺れ、鱗のような質感を持つ肌は淡く光を反射していた。瞳の中には、龍特有の縦長の瞳孔があり、それが清水を捉えて離さない。
「あの不機嫌そうな顔…素敵…」
シラナミにとって、清水が境内を掃除する姿は、この数百年で最も心躍る光景だった。彼が初めて神社に来たのは三ヶ月前。それ以来、シラナミは彼の姿を目に焼き付けていた。
清水がまた首を傾げ、周囲を見回す。シラナミは小さく笑みを浮かべた。
「気づいてるの?私の視線に…?さすが清水くんだね…♡」
龍神は喜びに震えながら、より一層透明度を上げた。この姿なら決して見つかることはない。しかし、神としての気配までは完全に消すことができないでいた。
それは、少しでも清水に自分の存在を感じてほしいという、矛盾した願望からかもしれない。
***
「やっぱり誰かいるんじゃ…」
清水は再び周囲を見回した。しかし、誰もいない。ただ風が葉を揺らし、鳥が時折鳴くだけの静かな境内。それでも、背中に感じる視線は消えなかった。
「気持ち悪いな…」
そう呟きながらも、清水は不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、どこか心地よくさえあった。この神社に来るようになって以来、彼はこの奇妙な感覚に何度も包まれていた。最初は気味が悪かったが、今では慣れてきていた。
箒を動かしながら、清水は改めて神社を見渡した。確かに古びていたが、一度きちんと掃除をすれば、悪くない場所だと思えてきた。特に、拝殿の奥にある龍の彫刻が施された祠には何か引き寄せられるものがあった。
「あそこか…」
祠に向かって歩きながら、清水は頭の中で断片的な記憶を拾い集めていた。子供の頃、母に連れられてこの神社に来たことがあったような…。ぼんやりとした記憶だが、確かに同じ龍の彫刻を見上げていた感覚がある。
「シラナミ様…」
祠の前に立ち、清水は小さく呟いた。龍神の名前。なぜ自分がその名を知っているのか、思い出せなかったが、唇から自然と零れた。
***
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「!!」
シラナミは驚きと喜びで体が震えた。清水が自分の名を呼んだのだ。龍神の姿は一瞬だけ、より実体化して見えた。白い髪が風に舞い、瞳が強く輝く。
「覚えてる…?私のことを覚えてるの?」
興奮に震える声。しかし、その言葉は清水には届かない。ただ、微かな風として彼の頬を撫でただけだった。
シラナミは祠から降り、清水のすぐ後ろに立った。手を伸ばし、触れようとして、しかし寸でのところで止める。触れてはならない。この姿では、人間に直接触れることはできないのだ。
「清水くん…」
切なく、しかし甘く響く囁き。
「すき…♡」
純粋な感情がシラナミの中から溢れ出す。それは龍神としての威厳や力を超えた、何かより人間的な感情だった。
***
不意に、清水の背中に冷たい風が吹き抜けた。
「ぞっとした…」
身震いしながら、清水は祠から離れた。なぜか胸がざわめき、鼓動が早くなっている。この神社には何か特別なものがある。それを確かに感じていた。
「まあいいか、掃除を終わらせないと」
箒を持ち直し、清水は再び落ち葉を掃き始めた。太陽が西に傾き始め、境内に長い影を作っていた。
掃除を続ける清水の周りを、シラナミは静かに回り続けていた。時に前に立ち、その顔をじっと見つめ、時に後ろから抱きしめるような仕草をする。清水には見えず、触れることもできないが、それでも龍神は幸せそうだった。
「人間が…こんなにも私の心を乱すなんて…」
シラナミは自分自身に呆れながらも、清水から視線を逸らすことができなかった。数千年に一度の縁。そう信じていた。この男は特別だ。かつて幼かった頃にこの神社を訪れ、純粋な心で龍神に祈りを捧げた数少ない人間の一人。
その時の約束を、シラナミは覚えていた。
「大きくなったら、またここに来るね」
子供の清水が言った言葉。シラナミはそれを待ち続けていた。そして今、彼は戻ってきた。記憶は薄れていても、魂は覚えている。そう信じたかった。
***
日が落ち始め、清水は掃除を終えた。思ったより時間がかかったが、境内はずいぶんきれいになった。落ち葉も片付け、拝殿の階段まで丁寧に掃いた。
「ふう、これでいいか」
満足げに境内を見渡す清水。不思議と最初の不満は消えていた。この場所で過ごす時間は、意外と悪くなかったのだ。
「来週もまた来るからな」
誰に言うでもなく、清水はそう言って神社を後にした。後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、夕日に照らされた境内が赤く染まっていた。そして、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、祠の前に白い人影が立っているように見えた。
「え?」
目を凝らすが、もう何も見えない。
「本当に疲れてるんだな、俺…」
そう自分に言い聞かせて、清水は神社を後にした。
帰る彼を見送るシラナミの顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「また来週…」
龍神は指折り数えるように、清水が戻ってくる日を心待ちにしていた。
シラナミの白い姿は、夕暮れの中でゆっくりと薄れていった。境内に残ったのは、清水が掃除した跡と、龍神の甘い香りだけだった。
第二章: 見えないストーカー
境内から出ると、夕暮れの街は人々の帰宅ラッシュで賑わっていた。清水はバス停に向かって歩き出した。そして彼の数歩後ろには、誰の目にも見えない存在が続いていた。
シラナミは透明な姿のまま、清水の後をついて行った。龍神として長い時を生きてきた彼女にとって、境内の外に出ることは珍しくない冒険だった。龍や人の姿をとることもできたが、今はこのままの方が都合が良かった。
「清水くんの日常が見られるなんて…♡」
風のように囁きながら、シラナミは嬉しそうに清水を見つめていた。
バスに乗り込む清水。シラナミもすぐさま後に続く。混雑するバスの中で、清水はなんとか席を陣取り、疲れた表情でスマホを眺めていた。誰も気づかないところで、シラナミは彼のすぐ横に立ち、顔を近づけた。
「今日の清水くん、ちょっと疲れてるみたい…」
心配そうな表情を浮かべながらも、シラナミは彼の顔のすべてを観察することに夢中だった。額にうっすらと浮かぶ汗。ぼさぼさの髪。疲れを隠せない目元。そのすべてが彼女には愛おしかった。
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***
清水の住むアパートは、駅から徒歩10分ほどの場所にある古びた3階建ての建物だった。彼の部屋は2階の角部屋。シラナミは彼の後に続いて階段を上り、ドアが開くのを待った。
「ただいま…」
誰もいない部屋に対して、清水はぽつりと言った。返事がないことを分かっていながらも、習慣的に口にする言葉。シラナミはその寂しげな様子に胸が締め付けられる思いがした。
「おかえり、清水くん♡」
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もちろん、その言葉は清水には届かない。
部屋は1Kの狭い空間だったが、きちんと整理されていた。本棚には小説が並び、壁には特にポスターなどはなく、シンプルな作りだった。テーブルの上には昨日の夕食の痕跡が残っていた。
清水はため息をつきながら、コンビニの袋から買ってきた弁当を取り出した。電子レンジで温めている間に、スマホを手に取りニュースを確認する。シラナミはその横に立ち、彼の表情を覗き込んだ。
「いつも一人でご飯なの?」
シラナミは部屋の中を見回した。どこにも他者の気配はない。写真立てもなく、家族や恋人の痕跡は見当たらなかった。
「さみしくないの?」
龍神は首を傾げた。彼女自身も神社で孤独に過ごす日々が長かったが、それは神としての宿命だと思っていた。しかし人間は違う。人とつながって生きるものではないのか。
***
温めた弁当を前に、清水はテレビをつけた。バラエティ番組が流れ、笑い声が部屋に響く。彼は無表情でそれを見ながら、黙々と食事を進めた。
「おいしい?」
シラナミは彼の顔を覗き込む。何も感じない様子で食べる清水に少し寂しさを感じた。
食事を終えると、清水はシャワーを浴びるために立ち上がった。シラナミは一瞬動揺したが、すぐに視線をそらした。
「見ちゃだめ…見ちゃだめ…」
顔を赤らめながら、シラナミは背を向けた。神とはいえ、彼のプライバシーを侵害することには抵抗があった。そもそも、彼を見守りたいという気持ちは、彼に害を与えるためではなく、ただ純粋に彼のことを知りたいという思いからだった。
シャワーを終えた清水は、パジャマに着替えてベッドに腰掛けた。スマホを手に取り、SNSをぼんやりとスクロールしていく。友人たちの投稿。恋人との写真。家族との団欒。そうした投稿を見ながら、時折微かな寂しそうな表情を浮かべる。
シラナミはそっとベッドの端に座った。もちろん、マットレスは彼女の重みでへこむことはない。
「私がいるよ…ずっとそばにいるよ…」
届かない言葉を、それでも彼に向けて囁いた。
***
夜も更け、清水はベッドに横になった。しかし、すぐには眠りにつかなかった。スマホを手に取り、イヤホンを耳に差し込む。画面には「耳かきASMR」という文字。シラナミは不思議そうに画面を覗き込んだ。
優しい女性の声と、耳をかく音が流れ始める。清水はその音に目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えていった。その表情は、日中の疲れた様子から少しずつ和らいでいく。
「これを聴くと落ち着くの?」
シラナミは首を傾げた。この人間の儀式のような行為が不思議でならなかった。しかし、清水の表情が穏やかになっていくのを見て、徐々に理解した。
「寂しいから…」
孤独を紛らわすための方法。誰かが側にいるような、優しく世話をされているような錯覚を求めているのだ。シラナミの胸が切なさで満たされた。
「本当は、私がやってあげたい…」
透明な指先で、清水の耳に触れようとする。しかし、その手は彼を通り抜けるだけだった。触れることができない歯がゆさに、シラナミは唇を噛んだ。
やがて、耳かきASMRの音声は終わり、清水は静かに眠りについた。寝息を立てる彼の横顔を、シラナミはじっと見つめていた。
「明日も会えるね…♡」
シラナミは彼のベッドサイドで一晩中、守護するように佇んでいた。時々、清水が寝返りを打つたびに、彼の夢を見守るように微笑んだ。
***
翌朝、アラームの音で清水は目を覚ました。シラナミもまた、一晩中同じ場所で彼を見つめていた姿勢から動いた。
「おはよう、清水くん…」
清水は知らない。自分の生活のすべてを見つめている存在がいることを。職場での地味な仕事ぶり。帰りに立ち寄るコンビニでの無表情な買い物。週末にたまに行くスーパーでの迷いの多い選書。それらすべてが、シラナミにとっては宝物のような時間だった。
「つまらない」と他人が言うような日常。しかし、シラナミにとっては、清水の何気ない仕草や表情のすべてが新鮮で愛おしかった。
「また今日も、掃除に来てくれるかな…」
シラナミは心待ちにしていた。次に清水が神社に訪れる日を。それまでの間、彼女はこうして清水の日常を見守り続けることだろう。
見えないストーカーとして。
そして、誰よりも彼のことを想う、密かな守護者として。
第三章: ネットストーキング・ドラゴン
透明な姿で清水の生活を見守り続けて一週間が経った頃、シラナミは彼の生活にもう少し近づける方法を考えていた。彼が夜な夜な見ているSwitterの画面。時には呟き、時には他者の投稿に反応する清水の姿が、龍神の好奇心を刺激していた。
神社の境内で、シラナミは立ち止まり考えた。彼の世界に入るには、今の時代、その「スマートフォン」というものが必要らしい。人間に姿を変えることができる龍神にとって、物を具現化することは難しくなかった。
「私も…清水くんの世界に入れるかな…♡」
白い指先から淡い光が広がり、手のひらにはモダンなスマートフォンが現れた。神としての力を使えば、この機械を操作することも、ネットワークに接続することも可能だった。
「さぁ…どうするんだったかしら」
清水の操作を何度も見ていたシラナミは、画面をタップしてアプリをダウンロードした。Switterのアイコンが現れると、胸が高鳴るのを感じた。
「アカウント作成…」
指先で画面をなぞりながら、シラナミはアカウントを作成していった。ユーザー名は迷った末に「白波」と入力。プロフィール画像は設定せず、自己紹介文も最小限にとどめた。
「さて、清水くんのアカウントは…」
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彼のスマホを手に取り、Switterのアカウントを確認する。もう一台のスマホで@mizushi_523と検索バーに入力すると、すぐに彼のアカウントが表示された。
「見つけた…♡」
プロフィール画像は景色の写真。ユーザ名は「みず氏」。自己紹介文には「同人音声好きの平凡サラリーマン。たまに物書き。」と書かれていた。フォロワーは少なく、フォロー数も限られていた。
シラナミは迷わずフォローボタンを押した。心臓が早鐘を打つように感じる。これで彼との繋がりができた。小さいけれど、確かな一歩。
***
清水のタイムラインを遡っていくと、彼の日常や内面が少しずつ見えてきた。彼が公開している世界は、シラナミが見ていた日常とは少し違っていた。
「理想の耳かきシチュエーション妄想」というタグがついた投稿が多く並んでいる。
「今日の妄想:雨の日に濡れた髪を拭いてくれた後、膝枕で耳かきしてくれる彼女。『風邪ひかないようにしっかり乾かすね』って囁きながら」
「帰宅したら『お疲れ様』と出迎えてくれて、肩をマッサージしてから耳かきタイム。『今日はたくさん頑張ったね』と頭を撫でられる幸せ」
シラナミは画面を見つめ、頬が熱くなるのを感じた。清水の理想の関係性が透けて見えるような投稿の数々。誰かに甘えたい、大切にされたいという願望が溢れていた。
そして、もう一つのタグ「ショートショート創作メモ」の投稿も目を引いた。
「創作メモ:月を見上げる老人と子供。老人『月は昔から変わらないね』子供『でも月の模様は海だって知ってる?』世代を超えた知識の逆転」
「創作メモ:毎朝同じ電車で見かける女性に恋をした男。ある日彼女が持っていた本を買い、読み終えたところで彼女が最後のページに挟んでいたしおりが実は…」
物語の種が散りばめられたような短い投稿。完成した作品は少なく、多くはアイデアの断片だった。しかし、そこには清水の感性や想像力が表れていた。
シラナミはスクロールする指を止め、ため息をついた。
「こんな風に考えてたんだ…」
公共の場では無表情で、自分の内面を見せない清水。しかし、このアカウントには彼の繊細な感性や寂しさが溢れていた。
***
夜、清水が新たな投稿をした。
「創作メモ:古い神社に祀られた龍神の伝説。現代に生きる者には見えない存在だが、純粋な心を持つ者だけが…」
シラナミは驚きで目を見開いた。まるで自分のことを書いているようだった。偶然だろうか、それとも何か感じているのだろうか。
心拍数が上がるのを感じながら、シラナミは返信ボタンを押した。初めてのコミュニケーション。何を書けばいいのか迷った末、素直な感想を打ち込んだ。
「面白そうな設定ですね。その龍神はどんな姿をしているんですか?」
送信ボタンを押した瞬間、緊張で体が固まった。返事が来るだろうか。どんな反応をするだろうか。
数分後、通知音が鳴った。
「@白波 さん、フォローありがとうございます。龍神は…まだ決めてないんです。伝統的な龍の姿と人の姿を行き来できる存在かなと。でも物語にするなら、誰かに恋をする龍神というのも面白いかも」
シラナミは画面に映る言葉に息を呑んだ。自分の状況があまりにも正確に言い当てられていて、怖くなるほどだった。それでも、会話を続けたい気持ちが勝った。
「素敵な発想です。神様が人間に恋をするというのは古くから多くの物語のテーマですよね。私もそういうお話、好きです」
送信後、シラナミは自分の言葉を振り返り、少し赤面した。あまりにも素直すぎただろうか。しかし、清水からの反応は早かった。
「そうですね。神と人間の恋は悲恋になりがちですが…ハッピーエンドもありかなと思ってます。あなたはどう思いますか?」
シラナミは微笑んだ。清水と対話している。この瞬間、透明な姿で隣にいた時よりも、確かに繋がっている感覚があった。
「私は…ハッピーエンドを信じたいです」
***
それから数日、シラナミと清水はSwitterを通じて交流を続けた。シラナミは自分の性別や年齢など、個人を特定できる情報は一切明かさなかった。それでも、創作の話や日常の些細なことについて会話が弾んだ。
清水がある日、新しい耳かき動画について呟いた時、シラナミは勇気を出して質問した。
「清水さんは耳かきがお好きなんですね。どんなところが魅力だと思いますか?」
返信は少し時間がかかった。おそらく、見知らぬフォロワーにそんなことを聞かれて戸惑ったのだろう。
「実は…誰かに大切にされている感覚が好きなんです。現実では一人暮らしで、家族も遠くて。耳かきの音声は、誰かが側にいて、自分のことを気にかけてくれているという幻想をくれるんです。恥ずかしい告白ですね」
シラナミは胸が締め付けられる思いがした。彼の孤独を、こうして言葉で確認することは想像以上に辛かった。しかし、同時に彼が心を開いてくれたことが嬉しかった。
「恥ずかしくないですよ。誰でも誰かに大切にされたいと思うものです。私もそう思います」
清水からのリアクションは「いいね」だけだった。しかし、数分後に別の投稿が来た。
「@白波 さんとお話していると、なぜか安心します。変な言い方ですが、前から知っている気がして。不思議ですね」
シラナミは画面を見つめ、目に涙が浮かんだ。彼は感じているのだ。目には見えなくても、魂のどこかで彼女の存在を感じている。
「私もです。とても自然に話せています。不思議ですね」
そして、清水からの次の言葉は、シラナミの心を揺さぶった。
「よかったら、ショートショートを一つ書いてみます。龍神の話。完成したら、最初に@白波 さんに読んでもらいたいです」
シラナミはスマホを胸に抱きしめた。この小さな約束が、これほど大きな喜びをもたらすとは思わなかった。
「楽しみにしています」
***
ある夜、清水がスマホを置いて眠りについた後も、シラナミはその横で彼のタイムラインを眺めていた。過去の投稿を遡り、彼の言葉のすべてを読み漁る。それは彼のプライバシーを侵害することかもしれないが、彼のことをもっと知りたいという思いが勝った。
そして、非公開のメモアプリに入力された文章の断片が目に入った。清水が寝る前に書きかけていたもの。
「見えない誰かに見られている気がする。不思議と怖くはない。むしろ、守られているような安心感がある。子供の頃に行った神社の龍神様が、今でも私を見守ってくれているのだろうか…」
シラナミはスマホを落としそうになった。彼は気づいていた。あるいは、無意識のどこかで感じていた。彼女の存在を。
「清水くん…」
透明な指先で、眠る清水の頬に触れようとする。もちろん、触れることはできない。それでも、シラナミはそっと囁いた。
「いつか、ちゃんと会えるよ…」
そして、画面に戻り、初めて自分から清水に直接メッセージを送った。
「おやすみなさい、みず氏さん。素敵な夢を」
朝になれば、清水はこのメッセージを見るだろう。そして、見えない誰かがいつも側にいることを、少しずつ感じ取ってくれるかもしれない。
シラナミはそう願いながら、彼の寝顔を見守り続けた。
それは甘い「ネットストーキング」だった。
しかし彼女にとっては、清水に近づくための大切な一歩だった。
第四章: 君のすぐそばに
休日の夜、清水はアパートの部屋でSinstagramのタイムラインを眺めていた。友人たちの投稿が次々と流れてくる。デート写真。婚約指輪。家族との団欒。幸せそうな笑顔の数々。
「みんな幸せそうだな…」
呟きながらスクロールを続けていると、同期の結婚式の写真が目に入った。白いドレスの花嫁と、タキシード姿の新郎。周りには笑顔の友人たち。そして投稿には「最高の日になりました!祝福してくれた皆さんありがとう」というコメントが添えられていた。
清水はスマホを置き、天井を見上げた。部屋の静けさが、いつもより強く彼を包み込む。
「俺も…いつか…」
言葉を最後まで発することができず、清水は立ち上がった。冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。一口飲んで、また座る。しかし、胸の奥に広がる虚しさは消えない。
「こんな日もあるさ」
自分に言い聞かせるように呟き、再びビールを飲む。そして、もう一本。さらにもう一本。アルコールが血中に回り始め、少しずつ頭が軽くなっていく。そんな清水の姿を、いつものように透明な存在が見守っていた。
***
シラナミは心配そうに清水を見つめていた。いつもの彼とは違う。沈んだ表情で、無言のまま酒を飲み続ける姿に、胸が痛んだ。
「どうしたの…?」
彼の隣に座り、見えない指で彼の肩に触れようとする。もちろん、触れることはできない。しかし、その仕草には彼を慰めたいという切実な想いが込められていた。
清水のスマホが明るくなり、通知が表示された。白波からのDM。「今夜は星がきれいですね。何か書いてますか?」というメッセージ。しかし、清水はそれに気づくことなく、さらにもう一本のビールを開けた。
「返事してよ…」
シラナミはスマホと清水を交互に見つめた。しかし、彼はすでにかなり酔っていて、メッセージに気づく様子はない。やがて、清水はソファに横になり、開けたばかりのビールを床に落とした。アルコールが床にこぼれる。
「もう…片付けないと…」
シラナミは立ち上がり、清水を見下ろした。そして、決意に満ちた表情を浮かべる。今夜だけは、少し力を使おう。
「今夜だけ…少しだけ…」
シラナミの体から白い光が放たれ、その手が実体を帯び始めた。龍神としての力を使い、一時的に物質世界に影響を与えられる状態になる。最初にしたのは、床にこぼれたビールを拭き取ることだった。
「片付けてあげる…全部…」
優しく、しかし少し不気味な微笑みを浮かべながら、シラナミは部屋を整え始めた。そして、清水の額に手を当て、軽く呪文を唱えた。
「もっと深く眠って…私の声も、触れる感触も、何も覚えていないように…」
清水の呼吸が深くなり、完全に意識を失った。シラナミは満足げに微笑んだ。
「やっと…やっと触れられる…♡」
***
シラナミは清水をゆっくりとソファから持ち上げ、ベッドまで運んだ。優しく横たえ、靴下を脱がせ、シャツのボタンを少し緩める。全てが終わると、ベッドの端に座り、彼の寝顔をじっと見つめた。
「こんなに近くで見るのは初めて…」
震える指先で、彼の頬に触れる。生温かい肌の感触。少し伸びた髭。すべてが新鮮で、心が高鳴った。
「清水くん…私がついてるよ…ずっとついてる…」
清水の耳元で囁き、その反応を見る。彼は微かに顔をしかめたが、すぐにまた穏やかな寝顔に戻った。
シラナミはゆっくりと立ち上がり、部屋の中を見回した。洗面所に向かい、温かいタオルを用意する。戻ってきて、清水の顔を優しく拭った。
「汗を拭いてあげる…」
首筋、腕、手先まで、丁寧に拭いていく。まるで神聖な儀式のように、一つ一つの動作に愛情を込めた。
「清水くんが毎晩聴いてる音声…あんな風にしてあげたかったの…」
ベッドサイドに座り、清水の頭を軽く持ち上げて自分の膝の上に乗せた。膝枕の状態で、彼の髪を優しく撫でる。
「耳かきしてあげるね…♡」
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小さな耳かき道具を具現化し、彼の耳に近づけた。優しく、しかし確実に耳垢を取り除いていく。まるで、彼が聴いていた音声の主になったかのように。
「気持ちいい?私がしてあげるの…私だけが…あなたに触れられるの…♡」
シラナミの目は次第に変わっていった。優しさに満ちた瞳から、何か狂気めいた光を宿し始める。
「何回でも…好きって言ってあげるからね…♡」
耳かきを終えると、今度は肩から背中のマッサージを始めた。指先に少し力を入れ、凝り固まった筋肉をほぐしていく。
「毎日大変なんだね…こんなに凝って…でも大丈夫。私が癒してあげる…」
シラナミは清水の体に触れながら、心の中で誓いを立てていた。いつか必ず、このように実体を持って彼の前に現れる。そして、彼を永遠に自分のものにする。
「誰にもあげない…清水くんは私のもの…私だけのもの…♡」
その目は、もはや慈愛に満ちた神の目ではなく、独占欲に燃える女の目だった。
***
夜が更けるにつれ、シラナミは清水の体のすべてをケアした。足の疲れをほぐし、指先一本一本をマッサージし、髪を優しく梳かした。そして最後に、神としての力を少し使い、彼の体内に残ったアルコールを分解し、疲労物質を取り除いた。
「明日は元気になってるよ…私のおかげで…♡」
満足げな笑みを浮かべながら、シラナミは清水の額に軽くキスをした。彼が反応しないことを確認し、さらに唇にも触れる。一瞬だけ、躊躇いがあったが、すぐに消え去った。
「ごめんね…でも、我慢できなかった…」
罪悪感と喜びが入り混じった表情で、シラナミは清水から離れた。しかし、すぐに戻り、彼の耳元でもう一度囁いた。
「誰も知らないよ…これは私たちだけの秘密…」
そして、彼の髪を最後にもう一度撫でた。
「でも、いつか知ってほしい…私の想いを…」
シラナミの体から放たれていた光が徐々に弱まり始めた。実体化の時間が終わりに近づいている。最後に部屋を見回し、全てが元の状態に戻っていることを確認した。ただし、床の汚れは拭き取り、部屋は清潔に。明日の清水が気分よく目覚めるように。
「おやすみ、清水くん…また明日…」
光が消え、シラナミは再び透明な存在に戻った。彼女はベッドの端に座り、一晩中清水を見守り続けることにした。
「あなたを一人にしない…ずっとそばにいるから…」
***
翌朝、清水は目を覚ました。アラームの音が鳴る前に、自然と目が開いた。そして、すぐに違和感に気づいた。
「あれ?」
体が軽い。頭痛もない。むしろ、久しぶりに熟睡したような心地よさを感じている。昨夜あれだけ飲んだのに、二日酔いの症状が全くない。
「どうして…?」
清水は起き上がり、首や肩を動かしてみた。いつもの凝りも感じない。体全体がリフレッシュしたかのように軽やかだ。
「変だな…」
ベッドから降り、洗面所に向かった。鏡に映る自分の顔を見て、さらに驚く。肌の調子がいい。目の下のクマも薄くなっている。まるで、誰かに徹底的にケアしてもらったかのようだ。
「昨夜…何があったんだ?」
記憶を辿ろうとするが、飲み始めた後のことはほとんど覚えていない。ただ、なぜか温かい感触と、安心感だけが微かに残っている。まるで母親に看病してもらった子供のような、守られていた感覚。
「夢でも見たのかな…」
シャワーを浴びた後、清水は部屋を見回した。昨夜の飲み散らかしたビール缶が、きちんとゴミ箱に捨てられている。こぼれたはずの床も、きれいに拭かれていた。
「俺がやったのか?」
覚えていないが、酔いながらも片付けたのだろうと考えた。他に誰がやるわけもない。
スマホを手に取ると、白波からのメッセージが表示されていた。返信を書きながら、清水は不思議な感覚に包まれていた。
「今朝は体が軽いんだ。昨夜、誰かが看病してくれたような…変な話だけど」
送信して、窓の外を見る。晴れた空。新しい一日の始まり。どこか心が軽くなったような気がした。
そして、その部屋の隅では、透明な姿のシラナミが微笑んでいた。
「おはよう、清水くん。今日も一日、見守ってるからね…♡」
その目には、甘い愛情と、危うい執着が混ざり合っていた。
第五章:偶然の出会い
雨上がりの午後、買い物袋を両手に抱えた清水が自宅アパートへの階段を上っていた。肩にかけたスマホがメールの着信を知らせ、彼は手すりに体重をかけながらポケットから端末を取り出そうとした。
「あっ、危ない!」
バランスを崩した瞬間、買い物袋が傾き、中のリンゴが一つ転がり落ちた。清水は慌てて手を伸ばしたが届かない。
リンゴは階段を「コロコロ」と音を立てて落ちていき、一階の踊り場で誰かの足元に止まった。
「あ…」
清水は足元を見上げた女性に気づき、思わず目を見開いた。
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そこには見知らぬ女性が立っていた。長く真っ直ぐな白髪が風に揺れ、水色の淡いワンピースを着た彼女は、まるで水の精のように儚げな佇まいだった。彼女の瞳は不思議な深みを湛え、肌は月明かりのように白く透き通っていた。
シラナミは、人間の姿で立ちすくんでいた。これは想定外の事態だった。人間の姿で清水をこっそり観察していたはずが、まさか正面から出くわすとは。数百年の生を経た神でさえ、この瞬間は頭が真っ白になった。
「あの、すみません」
清水が階段を降りてきた。シラナミの頬が熱くなる。
「そのリンゴ、僕のです」
「あ…これ…」
シラナミは慌ててリンゴを拾い上げた。指先が震える。昨夜まで彼の耳を優しく掃除していた同じ指が、今は彼に見える形で存在している。その認識が彼女の心を激しく揺さぶった。
「ありがとうございます」
清水が手を差し出す。シラナミはリンゴを渡そうと手を伸ばした瞬間、彼の指先と自分の指が触れそうになり、思わず身を引いた。リンゴが再び床に落ちた。
「あ!ご、ごめんなさい…」
シラナミは顔を真っ赤にして、もう一度リンゴを拾い上げた。
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今度は慎重に、彼の手に直接触れないよう、リンゴだけを彼の手のひらに落とすように渡した。
「だ、大丈夫ですよ」
清水も顔を赤らめた。彼は女性と二人きりで話すことに慣れていなかった。特に、こんなに美しい女性とは。彼は咄嗟にポケットに手を突っ込み、何か言わなければと焦った。
「このアパートの…方、ですか?」
声が裏返る。清水は自分の声に内心で呻いた。緊張丸出しの、情けない声色。
シラナミの心臓が高鳴る。何と答えればいいのか。嘘をつくべきか、それとも——
「え、ええ…最近、引っ越してきたばかりで…」
彼女は視線を床に落としたまま答えた。声が上ずる。いつもなら透明な姿で彼に囁きかけるときの甘い声は、今は緊張で震え、かすれていた。
「そう、だったんですか」
清水は会話を続けるべきか悩み、頭をかいた。こんな美女と話すチャンスは滅多にない。何か聞かなければ。彼は喉の奥をごくりと鳴らした。
「どちらのお部屋…ですか?」
質問が出た瞬間、彼は後悔した。なんて失礼な質問だ。相手は初対面の女性なのに。
シラナミも頭を巡らせた。嘘が積み重なる。
「あ、あの…206号室です」
彼女は適当な数字を口にした直後、自分が言ってしまった部屋番号が実在するかどうかも分からず、内心焦った。
「206…」
清水は階段の踊り場に立ったまま、考え込むような仕草をした。実は彼もこのアパートの住民構成をそれほど把握していなかった。隣人とさえほとんど交流がなかったのだ。
「高橋さんの隣、ですよね…たしか」
彼はあいまいに言った。実際には高橋という住人がいるのかさえ自信がなかったが、会話を続けたかった。
シラナミの背筋に冷や汗が流れる。説明がつかない。このままでは怪しまれる。
「あ、いえ、その…高橋さんとシェアしてるんです!親戚なので…」
嘘を重ねる度に、シラナミの頬は熱くなり、目は泳ぎ、声は小さくなっていった。
「そう、なんですか」
清水は頷いた。彼女の反応が妙に緊張しているように見えたが、自分が女性にそんな緊張を与えてしまうことに少し気後れした。
二人の間に沈黙が落ちた。清水は何か言わなければと焦りながらも、次の言葉が見つからない。ついつい彼女の顔を見つめてしまい、目が合うと慌てて視線を逸らした。
「あの…」
やっと言葉が出たが、何の話題を振ればいいのか分からず、彼は再び黙り込んだ。
シラナミも同様に動揺していた。いつも彼の全てを見つめていた彼女が、今は直接見つめられることの緊張に耐えられない。
「わ、私…急いでるので…」
彼女は一歩後ずさり、出口へと体を向けた。
「あの、ごめんなさい。また…」
「あ、はい」
清水は慌てて頭を下げた。会話を続けたい気持ちと、この不自然な状況から逃げ出したい気持ちが交錯する。
「じゃあ、また…」
彼は曖昧に言葉を濁した。またいつ会えるのか、会う約束もしていないのに。
シラナミは小さく頭を下げ、足早にアパートを出た。アパートを出てすぐの角を曲がると、彼女はその場に崩れ落ちるように壁に背を預けた。
「はぁ…はぁ…」
胸を押さえる彼女の手は震えていた。初めての対面。それも人間の姿で。彼の前でこんなにも動揺するとは—数百年の時を生きてきた龍神が、たった一人の人間の前でこれほど乱れることがあるだろうか。
シラナミは人気のない路地で、ゆっくりと透明な姿へと戻り始めた。しかし、彼女の心は決意に満ちていた。
「もう一度…会いたい」
次は、もっと自然に。もっと堂々と。嘘ではなく、本当の自分として—彼の前に現れたい。
一方、清水は買い物袋を抱え、自室に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
「はぁ…なんだったんだ、あれ…」
彼は天井を見つめながら、今の出来事を反芻していた。あんなに美しい女性と言葉を交わすことができたのに、自分の反応はなんて情けなかったことか。
「次会ったら、ちゃんと…」
清水は顔を覆い、恥ずかしさに呻いた。次に会えるかどうかも分からないのに、すでに次の会話を想像していた。
清水のモノローグ
「はぁ…なんだったんだあれ…」
清水はベッドに仰向けになり、天井を見つめながら呟いた。アパートの階段で出会った女性の姿が、頭から離れない。長く艶やかな白髪。水色のワンピース。そして、あの透き通るような白い肌。
「まるで…絵に描いたような…」
彼は腕で顔を覆った。自分の反応を思い出すたびに恥ずかしさがこみ上げてくる。声が裏返り、会話もろくにできなかった。何年生きてきたというのに、一人の女性と普通に話すこともできないなんて。
「俺って本当に…ダメだな…」
清水は身体を横向きにし、枕に顔を埋めた。それでも、彼女の姿は脳裏から消えない。思えば、あんなに美しい女性と言葉を交わしたのは初めてだった。いや、あそこまで自分の心を揺さぶる女性に会ったのも初めてかもしれない。
「206号室…だったっけ」
彼は体を起こし、窓の外を見た。隣の棟が見える。あの女性は本当にこのアパートの住人なのだろうか。高橋?そんな名前の住人がいたか?彼は頭をかきながら考え込んだ。
「まあ、知らないだけかもな…俺、ここ何年住んでるんだ?」
清水は気まずい笑みを浮かべた。自分がどれだけ近所付き合いをしていないか思い知らされる。会社と自宅の往復だけの生活。たまに町内会の仕事で神社の掃除に行くくらいだ。
「あの人も…どこかで見かけたことあるかな…」
彼はベッドに倒れ込んだ。どうして自分はこんなに気になるのだろう。たった一度、数分間会っただけの女性なのに。
「あのリンゴ…」
彼は冷蔵庫から取り出したリンゴを見つめた。彼女が拾ってくれたリンゴ。二度落としてしまったあのリンゴ。今ではただのリンゴなのに、何か特別なもののように思えてくる。
「馬鹿みたいだな…」
清水は笑いながらも、そのリンゴを大事そうに磨き、一口かじった。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。なんでもない味なのに、今日は特別美味しく感じた。
「次会ったら…何て話せばいいんだろう」
彼は窓際に立ち、夕暮れの空を見上げた。次に会えるかどうかも分からないのに、すでに次の会話を考えている自分がいる。「こんにちは」から始めるべきか、それとも「この前はありがとう」と言うべきか。何気ない会話のシミュレーションが頭の中で繰り返される。
「名前…聞けばよかった」
清水は額を窓ガラスにつけた。冷たい感触が彼の熱くなった頭を少し冷やしてくれる。名前も知らない女性に、こんなに心を奪われるなんて。彼は自分でも理解できなかった。
「明日…出かける時間を少し早めてみようかな」
彼はカレンダーを見た。明日も仕事だ。いつもなら最低限の時間で家を出るのに、明日は少し早めに出て、もしかしたらまた会えるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、清水は時計をセットした。
「はぁ…なんだこれ」
彼は自分の行動に呆れながらも、心のどこかで小さな期待を感じていた。何年も変わらなかった日常に、小さな変化の予感。それだけで、彼の心は躍っていた。
「お風呂入って、早く寝よう」
清水はシャワーを浴びながらも、水の音に彼女の声を重ねていた。あの控えめで、少し震えるような声。もう一度聞きたいと思う。
ベッドに横になり、目を閉じても、彼女の姿が浮かんでくる。水色のワンピース。風に揺れる白髪。そして、あの不思議な深みのある瞳。
「明日も…会えるといいな」
そう呟いて、清水は目を閉じた。いつもより少し早く眠りに落ちたその夜、彼は知らなかった—透明な姿のシラナミが、いつものように彼のそばで微笑んでいることを。そして、彼女もまた、清水が誰のことを思い悩んでいるのか、知る由もなかった。
第六章:見えない同乗者
清水は珍しく早起きした。休日の朝、普段なら昼過ぎまで寝ていることも多いのに、今日は違った。カーテンを開け、窓から差し込む陽光を浴びながら、彼は伸びをした。
「よく寝た…」
彼は顔を洗い、コーヒーを淹れる。カップを手に窓際に立ち、外の景色を見渡した。久しぶりに晴れ渡った空が広がっている。
「こんな日は…」
清水は突然、思い立った。休日を部屋で過ごすのはもったいない。ドライブに行こう。そう決めると、彼は急いで支度を始めた。
「どこに行こうかな…」
地図アプリを開きながら、清水は考える。特に目的地はない。ただ走るだけでもいい。気分転換がしたかった。昨日からずっと、あの女性のことが頭から離れなかったのだ。
「軽い山道でも走るか…」
部屋を出る前、清水は鏡の前で髪を整えた。普段より念入りに。そして、新しいシャツを選ぶ。なぜそんな気を遣うのか、自分でも理解できなかった。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって、彼は小さく呟いた。そして、アパートの駐車場へと向かう。
彼が去った後、部屋の中で透明なシラナミの姿がゆっくりと現れた。彼女は清水の様子を見守っていた。普段と違う彼の行動に、シラナミは首を傾げた。
「どこに行くの…?」
***
清水の自動車が駐車場を出て、町の通りを走り始めた。窓を少し開け、風を感じながら、彼はラジオの音量を上げた。心地よい音楽が車内に流れる。
「久しぶりだな…」
彼は小さく微笑んだ。運転していると、頭の中がすっきりする。仕事のこと、日常のこと、そして昨日出会ったあの女性のこと…すべてが少し遠くに感じられた。
清水が気づかない助手席に、透明なシラナミが座っていた。彼女は彼の運転する姿を横から見つめ、その表情の変化を観察していた。
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「どこに行くの?」
シラナミは問いかけるが、もちろん返事はない。彼女は腕を組み、不満げな表情を浮かべた。普段なら彼の眠る姿を見守るだけで満足していたのに、今日は違った。彼が外出する姿を見るのは初めてではないが、こんなにも晴れやかな表情を見せる彼に、彼女は戸惑いを感じていた。
清水はハンドルを握りながら、ふと笑みを浮かべた。昨日のことを思い出していたのだ。あの女性の驚いた表情、震える声、そして慌てて去っていく後ろ姿。なぜか心に残る出会いだった。
「なんで笑ってるの?」
シラナミは彼の表情の変化に反応した。何を考えているのか知りたいと思った。清水の心を読むことはできないが、彼の表情から何かを感じ取ろうとする。
山道に入ると、清水は窓を全開にした。爽やかな風が車内を駆け抜ける。彼は深呼吸し、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「気持ちいいな…」
シラナミの長い髪が風に揺れる。見えない彼女の髪が、時折清水の顔をかすめるが、彼はそれを風のいたずらだと思うだけだった。
「ねぇ、誰のこと考えてるの?」
シラナミは清水の横顔を見つめながら尋ねた。普段の彼とは違う。何か特別なことが起きたのだろうか。彼女は昨日の夜、いつものように彼のケアをした後に少し出かけていた。その間に何かあったのだろうか。
清水は小さなため息をついた。昨日の出会いを思い出し、自分の情けない反応に頭を振った。
「次会ったら、もっとちゃんと話せるといいな…」
シラナミの表情が凍りついた。その言葉が何を意味するのか、すぐには理解できなかった。「次会ったら」?誰と?
「誰と会うの?」
彼女の声には、不安が混じっていた。清水は黙ったまま運転を続け、時々微笑みを浮かべる。シラナミは彼が考えていることを知りたくて仕方なかった。
「ねぇ、教えて…誰と会うの?」
透明な手で彼の袖を掴もうとするが、実体がないためうまくいかない。シラナミは焦りを感じ始めた。清水の表情がこんなにも明るいのは、誰かに会ったからなのか。誰かと話したからなのか。
清水は山頂の展望台で車を停めた。車から降り、柵に寄りかかって遠くの景色を眺める。街並みが一望できる場所だった。
「綺麗だな…」
彼は深呼吸し、爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。シラナミも車から出て、彼の横に立った。二人は同じ景色を見ているはずなのに、シラナミの心は穏やかではなかった。
「誰と会ったの…?」
彼女の問いかけは虚空に消えていく。その声に含まれる不安は、風に乗って遠くへと運ばれていった。
清水は空を見上げた。青い空に浮かぶ白い雲。どこかで見た色の組み合わせ。そう、あの女性のワンピースの色だ。水色に白い模様が入っていた。
「あの人も、こんな景色好きかな…」
シラナミの瞳が大きく開いた。「あの人」?誰?彼女は清水の表情を食い入るように見つめた。彼の目に浮かぶ優しい光、そして少し照れたような笑み。それらはすべて、彼女の知らない誰かに向けられたものなのか。
「誰なの…?」
彼女の透明な指先が震える。何百年も生きてきた龍神が、たった一人の人間の言葉に震えるなんて。シラナミは自分でも驚いていた。それは恐れだったのか、それとも…
「嫉妬…?」
彼女は自分の胸に手を当てた。この感情に名前をつけると、さらに強く心を掴まれるような気がした。彼を見つめ続けてきた視線は、今や激しく揺れている。
清水はスマホを取り出し、この景色を写真に収めた。美しい街並み、空、そして山々。どこか誰かに見せたい風景だった。
シラナミは彼の行動を見て、ますます不安を募らせた。あの写真は誰かに見せるつもりなのか。彼女は、清水が他の誰かとつながる可能性に怯えていた。
「わたしだけのものなのに…」
彼女の囁きは風に溶けた。透明な指先が清水の肩をかすめるが、彼はそれを風と思い、髪をかき上げただけだった。
「そろそろ帰るか…」
清水は車に戻り、エンジンをかけた。シラナミも渋々助手席に戻る。帰り道、彼はラジオで流れる曲に合わせて、小さく口笛を吹いていた。普段は見せない明るい表情に、シラナミの心はさらに暗く沈んでいった。
***
アパートに戻った清水は、冷蔵庫からビールを取り出し、窓辺に座った。外は既に暗くなり始めていた。ドライブはリフレッシュになったが、彼の心はまだあの女性のことで一杯だった。
「住んでるって言ってたよな…」
彼はビールを飲みながら、アパートの向かいの棟を眺めた。あの女性は本当にそこに住んでいるのだろうか。見かけることはできるだろうか。そんなことを考えながら、彼はぼんやりと過ごした。
シラナミは彼の後ろに立ち、その視線の先を追った。彼が向かいの棟を見つめていることに気づき、胸が締め付けられる思いがした。そこに誰かがいるのか。清水の心を奪った誰かが。
「誰なの…誰があなたをこんな気持ちにさせたの…?」
彼女の問いかけは届かない。透明な指先が、清水の髪をそっと撫でようとするが、触れることはできない。
シラナミの心に強い決意が芽生えた。清水の心を奪った相手が誰なのか知りたい。そして、その相手から彼を取り戻す。龍神としての力を使ってでも。
「わたしだけのものなのに…」
彼女の目に、龍の瞳特有の鋭い光が宿った。ほんの一瞬、彼女の透明な姿が青白く輝いたような気がしたが、清水はそれに気づかない。ただビールを飲みながら、窓の外を見つめ続けていた。
第七章:深まる執着
夜が深まり、月の光だけが部屋を照らしていた。窓際に座り込んだシラナミは、頬杖をつきながら、眠りについた清水を遠くから見つめていた。
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彼の寝息が部屋の静寂に溶け込み、規則正しいリズムを刻んでいる。
「誰なの?」
シラナミは膝を抱え、透明な指先で床をなぞった。心が落ち着かなかった。彼のドライブ中の表情、あの優しい微笑み、そして誰かを思うようなまなざし—それらすべてが彼女の胸に刺さっていた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、清水のベッドサイドに近づいた。月明かりに照らされた彼の寝顔は穏やかで、幼さが残っているようにも見える。シラナミは彼の頬にそっと手を伸ばし、触れるか触れないかの距離で指を止めた。
「あなたを見つけたのは、わたし」
シラナミの目に龍の光が宿り、彼女の透明な体が淡く青白く光り始めた。神としての力が彼女の中で渦巻いていた。
「あなたを守ってきたのは、わたし」
彼女の声は部屋の空気を震わせ、清水は眠りの中で少し身じろぎした。シラナミはハッとして自分の力を抑え、再び透明な姿に戻った。彼を起こすわけにはいかない。
シラナミは清水の枕元に膝をつき、彼の髪をかき上げるような仕草をした。もちろん、彼にはその感触は伝わらない。
「教えて…誰があなたの心を奪ったの?」
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彼女の中で何かが壊れていくような感覚があった。数百年の時を生きてきた龍神が、一人の人間への執着に心を乱されている。それは彼女自身にとっても恐ろしいことだった。
シラナミは立ち上がり、窓辺に戻った。そして、清水が一日中見つめていた向かいの棟を見た。あの中に、彼の心を奪った誰かがいるのだろうか。
「見つけてみせる…」
彼女の決意は固かった。透明な姿のまま、シラナミは窓から外へと出ていった。夜の風に乗って、彼女は向かいの棟へと向かう。一つ一つの窓を覗き込み、住人たちの様子を探った。
「どの人…?」
老夫婦、若い家族、一人暮らしの男性、女子大生…様々な人々が暮らしている。シラナミは特に女性の住人に注目した。清水の心を奪ったのは女性に違いない。彼の表情から読み取れる優しさは、恋心にしか見えなかった。
窓から窓へと移動しながら、彼女は一晩中探し続けた。しかし、どの住人も清水と特別な関係があるようには見えなかった。
「きっと見つかる…」
シラナミは夜明け前に清水のアパートに戻った。彼はまだ眠っている。彼女は部屋の隅に座り込み、考え込んだ。もし清水の心を奪った相手が見つかったら、どうするのか。その人間を…排除するのか?
その考えに、彼女自身も恐怖を感じた。しかし、同時に決意も強まった。清水は自分だけのもの。他の誰にも渡さない。
***
翌朝、清水が目を覚ますと、何か違和感を覚えた。いつもなら疲れが取れて体が軽いのに、今日は重だるさが残っている。
「なんだか…眠れなかったような…」
彼は頭をかきながら、ベッドから起き上がった。
シラナミは隅で彼を見つめていた。今日は新たな計画があった。清水の一日を完全に観察し、彼が誰と会うのか、誰を思っているのかを突き止める。
「今日もあの人のことを考えるのかな…?」
彼女は清水の一挙一動を見守った。彼が顔を洗い、歯を磨き、コーヒーを入れる様子。すべてが愛おしく、同時に不安を掻き立てる。彼は今日、誰に会いに行くのだろうか。
清水は窓際に立ち、遠くを見つめた。そして小さなため息をついた。
「もう一度会えるかな…」
シラナミの胸が締め付けられた。「もう一度」?つまり、既に会ったことがある人物。誰なのか。もっと知りたい。
清水は部屋を出て、階段を降りていく。シラナミはすぐに後を追った。彼が向かったのは、なんとアパートの駐車場ではなく、正面の階段の踊り場だった。そこで彼はただ立ち止まり、周りを見回した。
「昨日の今頃…ここで…」
彼はつぶやき、そして再び階段を上り始めた。シラナミはその様子を見て、首を傾げた。何をしているのだろう?階段で誰かに会ったのか?
清水は今度は206号室のドアの前で立ち止まった。その部屋の前でしばらく迷っているようだった。手を上げかけて、また下ろす。そのドアをノックしようとしているようだったが、結局諦めたようで、彼は深いため息をついて自分の部屋へと戻っていった。
シラナミの中で何かが凍りついた。206号室。彼が会いたがっている相手はそこに住んでいるのか?彼女はすぐにその部屋の中を確認しようとした。
透明な姿のまま壁をすり抜け、シラナミは206号室の中に入った。しかし、そこには誰も住んでいなかった。家具はなく、埃が積もっている。長い間、誰も住んでいない部屋だった。
「嘘…?」
彼女は混乱した。清水が会いたがっている相手はどこにいるのか。その人物は206号室に住んでいると言ったのか。それとも…
シラナミは急いで清水の部屋に戻った。彼はソファに座り、テレビを見ているが、その目は画面を捉えていなかった。どこか遠くを見つめているようだった。
「誰なの?206号室に住んでいると言ったの?」
シラナミの焦りは増していった。この謎を解かなければ、彼女の心は落ち着かない。
***
その夜、シラナミは再び清水の耳かきをすることにした。彼を眠らせ、いつものように膝枕をし、丁寧に耳垢を取り除く。しかし、今夜のシラナミには優しさの中に、何か冷たいものが混じっていた。
「教えてよ、清水くん…」
彼女は耳かきの動きを止め、彼の耳元に口を寄せた。
「あなたの心を奪った人は誰?」
清水は深い眠りの中で小さく呟いた。
「あの…人…」
シラナミは目を見開いた。彼が眠りの中で話したことはなかった。もっと聞きたい。もっと知りたい。
「どんな人?名前は?」
彼女は清水の意識の深層に語りかけるように、囁きかけた。龍神の力を使えば、もしかしたら彼から情報を引き出せるかもしれない。
「きれい…」
清水の口から小さな言葉が漏れた。シラナミの胸が痛んだ。
「どこで会ったの?」
「階段…で…」
シラナミの手が止まった。階段?アパートの階段で誰かに会ったのか?それが彼の心を奪った相手なのか?
「その人は…どこに住んでるの?」
「206…」
シラナミは耳かきを落としそうになった。206号室。しかし、その部屋には誰も住んでいない。彼女は確認したばかりだ。つまり…その女性は嘘をついたのか?
「いつ会ったの?」
「昨日…」
昨日。彼女が神社に行っていた時間帯だろうか。シラナミは歯を食いしばった。たった一日で彼の心を奪うとは、どんな女性なのだろう。
清水の寝顔を見つめながら、シラナミの中で執着がさらに深まっていった。彼を奪われるわけにはいかない。彼は自分だけのもの。
「見つけてみせる…そして…」
彼女の目に、龍の光が再び宿った。透明な体が淡く青白く輝き、部屋の温度が急激に下がった。窓ガラスに霜が降り始め、清水の寝息が白い霧となって立ち上る。
「許さない…」
シラナミは清水の耳元でそっと囁いた。その声は甘く、しかし冷たかった。
「あなたはわたしだけのもの…永遠に」
それは愛なのか、執着なのか、もはや彼女自身にも区別がつかなくなっていた。ただ一つ確かなのは、清水俊介を他の誰にも渡さないという決意だけだった。
「守ってあげる…どんな手段を使ってでも」
彼女の透明な指先が、清水の胸元に浮かんだ。そこにはゆっくりと鼓動する心臓がある。その音は彼女にとって最も美しい音楽だった。
「この心臓…この魂…全部わたしのもの」
シラナミの執着は、もはや歯止めが効かないほどに深まっていた。
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