みなさま、はじめまして! なごみと申します。 横浜市で生まれ育ち、結婚を機に千葉県に在住。 現在は、会計年度任用職員(パート勤務)として市役所で働いています。 地域の課題を見つけ、活動している市民団体の方たちのサポート業務をしていますが、4年ほど前から市民活動をする方々に取材し、それを広報紙に掲載するという業務を任されました。 文章が苦手な自分が、まさか書くことになるなんて……。 それからというもの、時間を見つけては文章術の本を読み漁り、独学で勉強。その後、せっかく勉
日々の出来事、感じたことを書き留めておきたいと思って始めたnoteだったけれど、何も書かなくなって、気がつば7カ月経っていました。 今日は父の祥月命日。 旅立ってしまってから半年が経ちました。 その間も粛々と日々は過ぎていきましたが、日々は言葉にならないことの連続なんだなあということをぼんやり思いながら過ごしていました。 父が死んだのだから、今、私はこの気持ちをしたためなければ!という気持ちにはなれなかったということ。 父は確かに私の父だったけれど、親子なんだという実感
今日、父が食べたいと言っていたあんかけ焼きそばを作った。 直径2センチのステントの中に入れるものは、それ以下でないと詰まらせてしまう。なので、野菜や肉を細かく刻んで炒め、麺はキッチンバサミでチョキチョキと。 喜ぶかな~と思っていたら、もう寝てしまったという。 時刻は午後4時。やはり、体力がだいぶ落ちてしまっているようだ。 昨日母が「父の痩せた体をさするのがつらい」とケアマネさんにポツリとこぼしたそうだ。 そしたらケアマネさんが「人間は木と同じで苗木から大きな気になって実
父が退院して2日目。 ソファに座り眼鏡をかけ新聞を読んでいる姿を見ると、病院のベッドで横たわっていた姿と比べ、生気を取り戻したようで素直に嬉しいです。 今日は、ケアマネさんも訪問してくれ、これからのことを色々相談できました。サービスを使えばそれなりに私と母の負担は軽くなりますが、それには先立つものが必要です。なるべくお金の負担も少なくしたいのが本音。 でもいざという時には、頼りになるものがあるとわかっただけでも安心材料になります。それまでは、できる限り自分たちで父の世話を
今日、父が退院しました。 2週間という日数は、健康に暮らせている私にとってはあっという間でしたが、父にとってはダメージが致命的でした。 入院前は、トイレもお風呂も着替えも全て自分でできていましたが、家に帰ってきて杖なしでは歩けず、着替えも手伝わないとできないほどに…。 覚悟はしていたけれど、これからは今までの介護とは質が違ってくるようです。 まず、食べるもの。基本、何でも食べていいがとにかく細かくしないと、直径2センチのステントの管の中は簡単に詰まってしまうらしい。
父が入院してから2週間。 胃の中にステントを入れ、流動食から固形食になり経過は良好とのことで明日退院できることになった。 入院中も2度ほど転倒し、頭に傷を作るなどしていて、あの狭い部屋に帰って、移動など大丈夫なのか?食事はどうしたらいいのか? 介護する、母や私の不安はMAXだった。 退院する前にソーシャルワーカーとドクターとの相談時間が設けられるというので、仕事を早退して病院に向かった。 今抱えている不安をすべて話し、ケアマネさんと相談しながらデイケアを利用したり、簡易
今の仕事を始めてから取材を通して活動に賛同し、ライフワークにしている里山での活動。ホタルが舞う環境を再生し、水と湿地の潤う谷津を整備しています。 今日、3カ月ぶりに作業に行ってきました。 これから始まる田植えに向けて、田起こしをします。あまりに久しぶりの作業だったので、鋤を持つ手がブルブル震えてしまい、役に立ったのか、立たなかったのか。休み休み田んぼを耕したけれど、今日の目標は達成できたのでひと安心。 整備された畔はとても歩きやすくなっていて、私が来なくてもちゃ~んと進化
花冷えの一日。 小雨降るなか、市民活動団体の取材に行ってきました。 障がい者の方やその家族が、畑や花植えなど土をいじることで繋がれる居場所を作るために立ち上げ、その二周年のイベントで農家の古民家の土間で『馬頭琴』の演奏会を行うと企画されたもの。 本来はこの団体の取材のはずなのに、生演奏で聴いた馬頭琴にすっかり心奪われてしまいました。 馬頭琴の弦はたった二本。 なのに、幾重にも奏でられる音には一人で演奏しているとは信じられないほどの、重厚感があります。 演奏家のMさんは
春のやわらかい日差しのなか、時折ふく風はまだ冷たさを残しています。 今朝のニュースで、東京の桜の開花はまだ少し先になると天気予報士の方が伝えていました。 桜は気温に敏感な植物といいます。この冷たい風の中、蕾もがまん強く待っているのかもしれませんね。 今日もニュースレターを配りに車を走らせていました。 配布したのは2件のカフェ。どちらも高齢のご婦人が営業されています。 ハワイが好きで50代からフラダンスを習い、ハワイアンカフェをオープンさせた方。自分の住む街を元気にしたいと
今日、3月21日は「ランドセルの日」。 小学校の卒業式の時期に合わせ、3+2+1=6で「6年間ありがとう」の意味が込められているのだそう。読売新聞の「編集手帳」を読んで知りました。 卒業式といえば、短大、高校、中学と経験してきたけれど、小学校の卒業式は今も忘れられない思い出です。 呼びかけの時に流れていたBGMのくるみ割り人形、卒業式用に買ってもらった水色のワンピースに初めて袖を通したときの嬉しさ。大好きな担任の先生とクラスメートと別れなければならない寂しさ。 中学から
昨日、noteを更新しようと思ったけどできなくて。 頭がぐちゃぐちゃになって、その心情を投稿し、寝ました。 一晩ぐっすり寝れば、たいていとことはスッキリします。 そしてnoteを開くと、「今日のあなたに」というコーナーに「書けない」人たちの投稿がたくさん。 その中の記事を読んでいたら、竹村俊助さんの記事にたどり着きました。 文章を書いていくことを料理に例えていました。 これを読んで、昨日のわたしは「書く」というアウトプットをしながら、素材を探すという「インプット」を同
毎日の投稿を目指してnoteを始めました。 それは書くことを習慣化したいと思ったから。 一日の終わりの時もあれば、書くネタがありすぐ投稿することもある。 日によってまちまちですが、公開すると目に飛び込むメッセージに励まさられ、ああ、明日も頑張ろう!という気になります。 そんな今日は、たくさんの人に会ってたくさん喋りました。 話す言葉はポンポン出てくるのに、いざ、書こうとすると言葉が出てこない…色々あった出来事に脳みそがクラッシュしてしまったようです。 今日はこれから内省
今日は風が強く、外から地鳴りのような音がして、部屋の中にいても怖いくらいでした。ベランダの手すりは土埃で真っ赤になっていたので、洗濯物を早々と部屋の中に取り込んで、正解。 午後になって、母を連れ立って「ヒゲソリ」を持って病院に行くと、ベッドに横たわる父は遠い目をして天井を眺めていました。 自宅にいるときは一人用の椅子に座り、テレビを見ていて私に気がつくと必ず右手を上げて挨拶してくれていました。その姿と比べると本当に弱ってしまっているんだなあと感じます。 今日は腫瘍で狭窄
妹家族が父のお見舞いに、横浜からわざわざ来てくれました。 姪っ子とその娘ちゃん2人と、わんこを連れて。 面会の注意事項には、1日1回2人まで、12歳以下のお子さまはご遠慮願います、とあったので、妹と姪っ子のみで面会に行ってもらって、私はわんことちびちゃんたちと過ごすことになりました。 正味2時間くらいだったけれど、久しぶりに小さな子と過ごす時間は楽しかった~!子どもがいるだけで、部屋の空気感が軽く感じるのはなぜなんだろう。 お昼ごはんを一緒に食べて、寄り道したいところがあ
先月からBSNHKで始まったドラマ、『舟を編む』。 10年前、原作を図書館で借りて読んだときは「辞書作りってこんなに大変な作業だったんだ〜、地味だけど後からじわじわとくる、いい話だな〜」という感想だった気がする。 今回、ドラマに私の推し人であるRADWIMPSの野田洋次郎さんが出演することが決まり、文庫本を購入し、あらためて読んでみた。 『言葉は、傷つけるためではなく、誰かを守り、誰かに伝え、誰かとつながるためのもの』 10年前に、サラリと読み進めていた文脈も、読み方
今日、父が入院した。 91歳、去年の暮れに胃がんが見つかり、余命3カ月から半年と宣告を受けていたので、覚悟はしていた。 胃の中のものが消化されず、いつまでも残っていてそれが嘔吐となって日に何度か吐いてしまうことが続いた。 今日行なった治療は、鼻からチューブを入れて胃のなかのものを吸引して取り出すというものなので、少しはラクになるとのことだった。 引き続き、検査を続けてステントをいれるかどうかの判断をするという。 91歳のからだにそこまで過酷な治療をしていいものか、今