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【クルマのお話】GO? or NOT GO?

我ながら馬鹿げてる。

目の前に並ぶ2台の車を見て、男はそう思った。

92年型(MT) 蒼緑 3.2万㎞
94年型(MT) 赤  2.9万㎞

スパイダーザガートとシャマル。どちらもマセラティ。

スパイダーは以前から好きで、特にフォグランプがバンパーに埋め込まれた後期型(といっても、最後期型ではない方だ)が好みだった。

いつか欲しい、と憧れていたが、その憧れの数倍、いや数十倍、悪評も知っていた。

一度下ろした幌が二度と上がらない、あるいはその逆。

とにかく壊れる、いや、それどころか燃える。(萌える、ではない)

およそ90年代に新車で販売していた車とは思えない話ばかりだ。

なのに。

にもかかわらず。

男は、

「シャマルのV8ツインターボを載せたスパイダーがあったら、どんなに格好良いだろう?」

と思った(思ってしまった)のである。

勿論、自分では作れない。(男は純粋文系だった。)

同系車種とはいえ、2.8ℓのV6が載っているエンジンベイに、3.2ℓのV8が載るのかどうかも判らない。

しかし、男は、この妄想を除けば極めて真っ当な社会人であり、仕事にも恵まれていた。

途中までは面白がって妄想に付き合いながら、妄想を現実にしようとした途端に止めようとした車好きの友人は大勢いたが、不幸なことに、男を叱り飛ばす妻はおらず、車に詳しい恋人も、その時にはいなかった。

それを知ってか知らずか、男がアディクトしていた中古車情報サイト(○○センサーという、罪作りなサイトだ)は、2ヶ月間に4台のスパイダーと2台のシャマルをアップした。

その結果が今、男の前に轡を並べている2台である。

スパイダーはMTの出物で、シャマルは、走行距離は伸びているが、グレーレザーの内装が珍しい黒の個体と、3万㎞弱の低走行の赤の個体のうち、赤を選んだ。

男には、自分の妄想を実現してくれそうなプロ、ショップについても、イタリア製の車を中心に(しかしイタリア車には限らず)“クラシケ”と称してレストレーションのコーディネイトを請け負うG・Iというガレージと、マセラティを専門とし、とりわけ、マセラティがデ・トマゾの下にあった時代の、いわゆるビトゥルボ・マセラティに造詣の深いM・Dというショップ、そのいずれかの門戸を叩くことに思いを定めていた。

なのに。

にもかかわらず。

男は迷い、煩悶していた。

自分のこの妄想は、マセラティに関わる自動車のプロフェッショナル達にとって、そして、この時代のマセラティを愛し、数々のトラブルを克服して今も走り続けているマセラティスタ達にとって、全くもってとんでもない愚行、いや、蛮行なのではないか?

スパイダーはスパイダーとして、シャマルはシャマルとして、それぞれに丁寧なレストアを施し、新車当時のコンディション、さらには設計の甘さ、製造プロセスの拙さや部品品質の低さ故に充たされなかった、本来の性能を発揮できる姿を与え、それを永く愛でれば良いではないか。

それこそが、マセラティスタの、この車に魅せられた自動車好きのあるべき姿なのではないか?

そう思いつつも、男は、深い蒼緑の外装とグレーペッカリーレザーの内装を纏い、完璧に調律されたシングルプレーンV8ツインターボを載せたスパイダーを夢に描き、それはフェラーリの最新12気筒よりも彼を惹きつけた。

どうかしている、どう考えたって馬鹿げている。

レストレーションのプロフェッショナル達から一笑に付され、門前払いされるのではないか?

そして、夢に描いたとおりのスパイダーザガートが完成したとして(その車の完成の陰には、総生産台数が400台に満たないシャマルが一台、新たなオーナーを得ることなく、部品取りになる)、マセラティスタは祝福を与えてくれるのか?

なのに。

にもかかわらず。

男は、艶やかな蒼緑のスパイダーに乗り、ウッドのシフトノブを介して、シングルプレーンV8を回すことを夢見た。この夢は、動かなければ夢のままであり、動いた結果、壁にぶつからない限り覚めない。

自動車の、レストレーションのプロフェッショナルには最大の敬意を払い、彼らの忠告は真摯に受け止める。彼らに「できない」と言われたら、「救われた」と思うことにする。

マセラティスタ達には・・、トライデントに射抜かれた者として、今しばらく、この夢を観させてはくれまいか、と願おう。

(了)

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