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母の日によせて〜誕生日は嫌いだった

こんにちは、希依です。

今日は母の日ですね。

数日前に最近話題のおにぎりを作るべく、
ハルジオンを摘んだけれど、
結局気力がなくそのままになってた。

意外とこのハルジオンはいい香りがするの。
考えてみればハルジオンもキク科の植物。
香りがいいのは納得かもしれない。

母の日にカーネーションはつきもので、
母も大好きな花だったけれど、
今年はカーネーションを買わずに
お仏壇にハルジオンをそのまま飾ってみた。

ま。いいよね。


5月といえば、
私の誕生日があり、
1週間と離れずに妹の誕生日があり、
母の日があり、母の誕生日があるという
とても忙しい時期だったのを思い出す。

でも私は誕生日が嫌いだった。

自分の誕生日や妹の誕生日よりも
母の誕生日と母の日が優先される月だから。


母の日のプレゼントや母の誕生日に何をするか
ということを父から相談されるのが、
だいたいゴールデンウィークから私の誕生日あたり。

私や妹の誕生日には特に何かがあるわけでもなかったので、
誕生日ってめんどくさいぐらいにしか
思っていなかった。

学校の友達に聞く誕生日パーティーやプレゼントの話は
やっぱりうらやましかったし、
かといってそれを親に話すことはできなかった。

そんな母は意外とプレゼントをされたり
お祝いされるのはあまり好きではなかったような印象がある。
喜んでもらった記憶もないかも。

その時は受け取っても
後から欲しくなかったとか無駄遣いをするなとか
説教されてたしね。

あれはもしかしたら、
嬉しいの裏返しなのかなあとも思うけれど。。。
どうだったのでしょうね。


私の母はちょっと浮遊感があり、
生活感に欠けるところがあったし、
意見をいうことも責任を追うのも苦手。

一人の時間が何より大事で、
芸術性に優れたところがあった。

他人に影響されやすいところがあって、
そのためあまり人と関わるのが苦痛に感じるタイプ。

職場のバス旅行には一度も参加しないし、
ご近所付き合いもほぼしない。
引きこもってレース編みをずーっとしていた。

レース編みをしている時は邪魔されるのが一番嫌がり、
それを始めた時は話しかけちゃいけないと
暗黙の了解があった。

父も母の好きなようにさせていた感じがする。


母とちゃんと話したことはほぼなくて、
亡くなる1〜2年ほどになってようやく誰に対しても
ありがとうという言葉が出るようになった。

でも心から腹を割って話すことはなかった。
話しかけると苦痛そうだったから。


改めてホロスコープを見ると
まさにそのような人だったと出ていた。
もっとも出生時間がわからないので
はっきりとしたものではないけれどね。

午前1時〜2時ぐらいに生まれたのではないかと思う。
その時間なら一番性格に合う。

今私は情報発信をするようになって
ありがたいことにお誕生日におめでとうというメッセージを
たくさんいただけるようになった。

でも誕生日に楽しかった記憶がないので、
本当にその思いを受け取っていいのか心配にもなる。

心配になりながらも
母はきっとその人の思いを受け止められずにいたのかもしれない。


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