イキウメ『太陽』
旧人類と新人類に仮託された、「違い」の間に横たわる、高い高いハードル。
旧人類「キュリオ」(骨董品の意)、と、新人類「ノクス」に分かたれた世界。キュリオは、山間部にごく僅かに残るウイルスへの感染を免れた人々で、一方のノクスは、ウイルスへの免疫を得てより強い肉体とクリアな思考を持っている。
とある事件から舞台は始まる。ノクスの唯一の弱点とされているのは、日の光。浴びると大火傷を負って、死んでしまう。
「仲が良かったのに、どうして…!」
経済封鎖をされ、「野球がやっとできるくらい」まで減った人口。しかし10年の月日を経て、関係が改善されることになり、再びノクスがやってくる。10年間、まったく外との関係を結んでない村の人々と、彼らの関係は、まるで磁石の同じ極を付き合わせようとするかのよう。
技術、文化、洗練の度合い、知識。それらにおいて圧倒的な優越を持つノクスと、キュリオの関係はどうしたって不平等。あからさまにキュリオを蔑視するもの、あるいはむしろ、ノスタルジックな憧れを持つもの。
思い出されるのは、植民地時代におけるオリエンタリズムと人種差別。
さまざまに技術が開発され、速いスピードで発展していく社会に属する側は、「昔ながらの」「素朴な」暮らしに憧れを抱く。タヒチを楽園として愛した欧米の人々。と森繁。
もしくは、「土人」「野蛮人」と取り合わない人々。と征治。
一方で「遅れた」側はその差を取り戻そうとする。そんな時、自分たちのアイデンティティを、自分たちの、彼ら(進んだ側)との相違におく。「私たちは私たちらしくやっていく」という考え方。明治維新で「日本文化」を創出した日本人。と結。
しかし「進んだ」文化への憧れを抱く者だってもちろんいる。欧化政策で一旦ヴェールを脱ぎ捨てたイスラーム圏の人々。と鉄彦。
心温まる鉄彦と森繁の関わりも、時にどうしたって齟齬が出てしまう。
「違い」の間にある高い高い壁を、そうして描いて行く。
キュリオが手術によってノクスへ、「遅れた」側から「進んだ」側へ一足飛びに変わることができるというところ。ここにおいて、弱く悩み苦しむキュリオは、合理的思考と強靭な肉体を持つノクスへの転換を果たす。
** しかしその瞬間、明らかな変化が訪れる**
BSプレミアムステージにてテレビ鑑賞。
#観劇