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おばあちゃんの最期のほほ笑み



おばあちゃんが亡くなったのは私が中学生の時、夏の暑い日でした。

いつも通り夜「お休みなさい。」と言って寝て、

朝おばさんが起こしに行くと息がなかったそうです。



90歳だったおばあちゃんは病気もせず、入院もせず、自宅で眠るように亡くなりました。

大人達は突然の事にショックを受けながらも

「90歳だし大往生だよね。うらやましいくらい。自宅でそんな風に死にたいよ。」

と口々に言っていたのを覚えています。




私が初めて「人生ってなんだろう。」って考えたのはこの時だったと思います。


亡くなった状況をうらやましがられるおばあちゃんの人生は幸せだったのかな?

夫と長男が戦死してしまい、女手1つで残された3人の子供を育てるのは大変だっただろうな。

80歳過ぎてもゲートボールを楽しんで元気だった。

でも足が弱って出来なくなってからは部屋にこもりがちで、お友達は次々亡くなって寂しそうだったな、、、


年の離れた兄弟の末っ子だった父なので、私とおばあちゃんは「ひいおばあちゃんと孫」と言ってもいいくらいの年の差でした。

それも影響していたのか、元々のおばあちゃんの性格なのか、いわゆるおばあちゃんが孫を可愛がるといった感じはなかったように思います。

父のお兄さんの家に住んでいましたが、(多分子供達の受験の時期)たまに私の実家に数ヶ月とか1年とか一緒に住んでいたこともあるんですけどね。

小学生だった私は相撲のテレビばかり見ていて話すことも少ないおばあちゃんの部屋に行き、そばで一緒におもしろいとも思えない相撲を見たりしていましたね。

仲良くなりたかったんでしょうね。

ある時そんな気持ちやイタズラ心で、おばあちゃんに隠れて

「ワッ!」

と大きな声で驚かせようとしました。

おばあちゃんはすごく驚いて、母に

「おばあちゃんはを驚かせたら本当に倒れちゃうことがあるかもしれないのよ!」

って強く叱られました、、、

遊びたかっただけなんですけど、予想外に悪いことをしてしまったのかとへこみましたね〜。



亡くなった時はお兄さんの家に住んでいたおばあちゃんに、しばらく会っていなかったんです。

久しぶりに見るおばあちゃんは寝ているようにしか見えない安らかな顔をしていて、私は亡くなったという実感が湧かなかったんですよね。

でも、「死」は現実に訪れるものであり、それは生の延長上にあるんだという事は感じました。

こないだまで普通に生活していたのに。

おばあちゃんの部屋で寝ているだけに見えるのに。

もう生きていないんだ。


90歳は長生きの方かもしれない。

でも確実に命は有限だ。

もっともっと短い時間かもしれない。

限られた時間の中だからこそ、悔いのないよう精一杯生きたい。


すぐにそこまで言語化出来た訳ではなかったと思いますが、そんなことを考えていました。




あなたは今の人生に満足していますか?


人生最期の時に後悔しそうなことはないですか?



今ならまだ間に合いますよね。

やりたいことをやっておきましょう。

人生は一度きりですもんね。







〜〜〜〜〜



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