2024.10.31〜11.3にかけて仙台に行ってきた。 コンクールの一次が終わった後、仙石線に乗って夕方の松島海岸へ。 松島海岸すごく美しいところだった。 これは、神様も来るだろうし松尾芭蕉も俳句を詠みたくなるのかもと思ってしまった🤭 島から松が直に生えてる光景が見慣れなくて非現実感があって不思議だった。
最近、なーんか調子悪いな〜って思ってたらヘルペスだった。悪化に伴って倦怠感と発熱まで症状に出るのやめろよぉ〜。
この本を読み終わった時に思い出したのは、 中学生から高校生にかけての心の変化のこと。 今は慣れきってしまって何の違和感も無くなってしまったけれど、当時を思い出すと無性に何かを諦め続けてきたような感覚があったことを思い出す。 普段は別に大人になっていく過程の中で正しい選択だったとは思うし、 無駄に抵抗して苦しむことが少なくなってそこそこ楽しく暮らしているから良かったと思っている。 だけど時々、諦めてしまった何かを取り戻すことは出来なくて、それによって自分とかけ離れたものに心
最近毎日が慌ただしすぎて、 祝日だとか土日だという事をすっかり忘れて外に出ると拍子抜けする。 普通の平日のつもりで外に出ると人や車が少ないことを不思議に思ってやっと気づくのだ。 で、いざ外に出てみるとキャリーケースを持って笑顔を振りまいてる人とか早朝の新幹線で友だちとベラベラ喋ってる人を見る。 お恥ずかしい限りだが、心底いらっとする。 新幹線通学だから在来線に乗るよりも多く休日ハッピーな人々をみるのだ。 自分も大学に通わせてもらっている身でこんな事を言うのは我儘だと分かってい
最近夜の間だけ、村上龍の限りなく透明に近いブルーを少しずつ読み進めているのだけれど描写がなかなかにグロくて重くて夢現みたい。 見たことのない映像や感触や感覚が自分の中に流れ込んでくる。読んでいて悲しくなったり気分が落ちたりすることは今まであったけど本当に吐き気を催した小説は初めてだった。 しかし、それを上回るほどの鮮明なイメージを文字によって描き出す力や文章の躍動感やスピード感に圧倒されてページをめくってしまう。内容も描写もグロテスクなのだけれど、それでも読ませてしまうのはさ
今日、ある有名なピアニスト二人の2台ピ&連弾のコンサートに行った。正直、お二方とも容姿が良くて容姿目当ての熱烈なファンがいる事が予想されたため戦々恐々としながら行ったのだが結果心配は杞憂に終わった。 一応私の名誉のために、自分は音楽性音色に惹かれて普通のコンサートと同じように訪れたのだといくことを言っておきたい(こんな事言うと余計うたがわれそうだけれど)。 そもそも普通のジャニーズなどのファンと違ってそもそもクラシック音楽が好きな人は変な人多い説があるから熱烈なファンも過剰
カルダー展に行ってきた。 そいつらはわけの分からない形の建物の中に住んでいた。 展示室に入ってみるとまるで何かの生き物のような物体が迎えてくれた。 かわいい。 どんどん進んでいくとモビールや抽象画、抽象的物体などなどが佇んでいた。 どれもまるで植物や動物みたいな雰囲気で可愛らしい。 モビールはずーっと見つめていると既視感のあるどこか別の世界に連れて行ってくれた。 意識と無意識のちょうど間。 それは楽器を集中して奏でている時の感覚にも似ていてひたすら湖の静かな波を見つめて
ある友人からの勧めでノートを始めてみた。 あまり文章は得意ではないので人に公開する代物にはならない気がしているけれど・・・。 日記をこっそり覗き見する感覚で読んでいただけると幸いです。 しかし、幼い頃から暇があれば本を読んでいたような人生で何かを綴ることは本を読むのと同じくらい好きだ。考え事をする時は言葉で考えるし、気持ちの整理をするときはスマホのメモに殴り書きしながら自分の気持ちに決着をつけている。 とにかく言語という媒体にはお世話になっていると感じているので、私の思