にこやかに中指を
お久しぶりです、たけだです。
今日は無鉄砲に、自由に失礼します。
私の街では、たくさんの音が聞こえます。
風の抜ける音
木の枝が軋む音
葉が擦れる音
夕刊を届けに来たバイクの走る音
遠くで聞こえる電車の音
水路を流れる水の音
ほんのちょっと脇道に入ると、もっと。
食器が触れる音
水道の音
虫の音
水道管を流れる水の音
背中のリュックから聞こえる空になった弁当箱の音
今日はやけに耳が冴えていて、
たくさんの音を拾いました。
きっといつの日か
今日の日のことを思い出して
泣いてしまうと思うから、
その時にとびきり感傷的になれるように
一つだって取り残さないように。
駅から家までの帰り道。
たった10分のその時間は
私にとって案外大切な時間です。
この街に産まれ、この街で育ち、
結構長い時間を過ごしてきたこの街にも
知らないことは知らないだけで
その辺にゴロゴロと転がっているようです。
人生悟ったような顔はまだまだ出来ませんね。
ここで、私の精神安定剤こと星野源さんのお話をさせて下さい。
星野さんの楽曲はたくさんありますが、
今日はその中の3曲から大好きな歌詞を。
「魔法がないと不便だよな」
「くだらないの中に」という楽曲での歌詞です。
魔法がないと不便だよな。
そう言う彼はその何年も後に「PoP Virus」で
「始まりは炎や棒切れではなく 音楽だった」
と歌っています。
ある方の解釈を拝見しました。
このPop Virusでの棒切れとを魔法と解釈するというものでした。
魔法使いの持っている杖を棒切れとしたものです。
その発想はなかったなぁ、とつくづく感心しました。
つまり、昔魔法がないと不便だと思っていたのに、今ではそんな魔法よりも音楽なんだぜ、もしくは、その魔法よりもずっと前に音楽があったんだぜ、と彼自身の心境の変化も伺える、何ともエモーショナルな歌詞だと。
たけだは、その棒切れは道具としての棒切れだと認識していたので、その解釈を知った時新しい風が吹いたようでとても嬉しかったです。
ただ、もちろん反論する方もたくさんいらっしゃいました。
でもたけだはそんな議論意味が無いな、とも思います。
だって解釈なんて100人いれば100通りあって、
正解ですし、何が間違いで何が正解かなんて
受け取った側が勝手に解釈していいと思うのです。
それを任されていると思うのです。
国語の授業でもこれは昔から感じていることで、
例えば、この時のこの人の心情を説明せよといった問題があるとします。
心情なんてその人にしか分からない。
「その時だけ」なんて切り取れない。
不断の時間軸の中にポコっと生まれるのが感情であって、その流れに沿うものが心情なのではないかと。
そもそも作者にちゃんと聞いたのか?
「この時の彼はどういう心情なのでしょうか?」
それをせずして、人の書き物を読み取り、
正解不正解作って、点数をつける。
国語は大好きだけど、
何だかちょっとナンセンスにも感じます。
「流行に呑まれ人は進む周りに呑まれ街はゆく
僕は時代のものじゃなくて
あなたのものになりたいんだ」
これも「くだらないの中に」の歌詞です。
それでもやっぱり音楽は良いですね。
「生きてただ生きていて踏まれ潰れた花のように
にこやかに中指を」
「アイデア」
その曲名とともにこの歌詞が大好きです。
自分も強くなれる、そう思えます。
単純だけど、
音楽ひとつに左右される自分もあんまり悪くは無いな。
最近は好きな音楽に囲まれ、
ブレブレな自分を何とか保とうと、守ろうと
一生懸命生きています。
そして、こちらも今日ふと思った事なのですが、
制服って最強ですよね。
どんな時も守ってくれる。
どんな最悪な私だって隠してくれる。
私の戦闘服。
朝ごはんを詰め込んで悲鳴を上げているお腹を締め上げて、リボンを結ぶ。
それだけで、「今日も闘える」
そう思います。
特に何と闘うとかはないのですが、それでもビシッとその日一日が決まった感じがします。
嫌いじゃないな。
JKという名のブランドの戦闘服に身を包み、明日もきっと一日乗り越えてみせる。
全力で遊べる大人ってかっけえなと思う
齢18歳たけだです、どうも。
みなさん明日も頑張りましょう、良き夢を。
今日も独り言に付き合って頂き、ありがとうございます。
素敵な一日をお過ごしください。
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