【あたり前な日常の大切さ】高校帰りの男子高校生を見て思ったこと

皆さんこんにちは、なごみです。
note投稿8日目となる今日は、コロナによってあたり前だったことがあたり前ではなくなったこの時期だからこそ思った話を書いていきます。

今日僕はコンビニに行く途中高校帰りと思われる自転車に乗って話をしている男子高校生3人組を見かけました。
笑い声が聞こえる程度で何を話しているのか全く分からなかったのですが、なんだか楽しそうな3人組でした。

その風景を見て僕は何だか少し暖かい気持ちになりました。
コロナによって高校も通学することができなくなり、友達と一緒に学校から帰るというあたり前ができなくなっていた高校生達があたり前を少しづつ取り戻しているんだなとちょっとおじさんくさいことを思いました。

この出来事から僕が思ったことは、もっとあたり前な日常を大切にしようということです。

ライブに行けない、学校にいけない、部活ができないなど人によって様々ですが、コロナというものが原因で多くの人たちにとってあたり前がなくなっていったと思います。

コロナというのは本当に多くのあたり前を無くしていきました。
だからこそ、以前出来ていたことが貴重なことになり今回の僕のようにもっとあたり前を大切にしようと思った人も多いと思います。

ただ、ちょっと僕が思ったのは、コロナの有無に関わらずあたり前な日常っていつかなくなるんだよなということです。

例えば、大学から企業へ就職すれば、大学の友達や先輩、後輩などと飲みや遊びに行ったりしていたあたり前な日常はなくなります。
少し暗い話になるかもしれませんが、自分が年を取れば親は自分より先にいなくなってしまう可能性が高いです。
そうなると、親がいたあたり前な日常はなくなります。

このように、時間が経てば今あるあたり前はなくなっていくんです。
今回のコロナは特例な部分はありますが、あたり前がなくなっていくということを再度認識させられました。

あたり前は絶対にいつかなくなるからこそ、このあたり前な日常を大切に生きていきたいなと思いました。

あたり前な日常を大切にするためには、それがなくなったときのことを想像して、その時に自分が率直に思ったことを実現していこうと今は思っています。

例えば、僕は親と会話することがあまり多くはないのですが、親がいなくなった時に全然話せなかったという気持ちで終わるのが嫌なので、ちょっと今日は何か話を振ってみようと思います。

今回は本当に日記のようにたまたま見かけた男子高校生から思った話を書きました。

それでは、今回はここまで