現実の自分と本音の自分にズレがあるとしんどいよね
かつてわたしはバッリバリの経理事務員やってました。帳簿帳票関係は完璧、書類管理と整理もスッキリ、タイピング入力のスピードにも自信があり、お客様からのクレーム対応にも定評がありました。わたしは経理事務員が「天職」だと思ってました。自信もプライドもありました。しかし、ある日突然ポキンと折れちゃったんです。上司の一言で「もう嫌だ」で頭の中がいっぱいになってしまって、階段の隅っこにうずくまり立ち上がれなくなってしまったのです。
わたしは嘘をつくのがすっごい嫌い。経理や事務のお仕事は好き。だけど、上司はいろいろわたしに「嘘」を強要してきたのです。いい?ホントは白だけど黒と言いなさい黒と。あなたももう大人だからわかるわよね?みたいな。それがわたしには耐え難いストレスとなっていた様で、上司の嘘を容認するたびに自分の心がどんどん疲弊していったのです。その嘘に「優しさ」があるならまだオトナにもなれますが、あの嘘は完全に悪意しかなかった。あとはずる賢さですね。嘘を強要してきた上司は女性でした。社長の実姉でわがまま育ちのお嬢様。わたしみたいな庶民には到底理解できないわがままっぷりに翻弄されて、わたしは精神崩壊しました。これが大人の世界だというなら一生コドモでいいと思いました。一生馬鹿にされて誰からも相手にされなくていいと思いました。これが社会なんだと言われたらわたしは一生社会不適合者でいいと思いました。それよりも自分が「自分の嫌な自分でいる」方が耐えられなかった。
そこから長い長い鬱のトンネルに迷い込み、人間不信に陥り「人」を拒絶しました。外で働くことは二度とできなくなりました。できないというか、もうやりたくない。自分を捻じ曲げて生きるくらいなら死んだ方がマシというほど、わたしには耐えられない現実でした。
なんでみんな嘘をつくんだろう。それって人を欺く行為なのに、なんで平気で嘘がつけるの?
遡って子供時代、きっと誰でも経験があると思うのだけど、
うっかり転んで頭を打ったり、膝小僧をすりむいて血が出ちゃった時、子供は「わーん!痛いよー!」と泣きます。すかさず親は「大丈夫!痛くないよ、泣かないでガマンして」となだめます。そして、ホントはめちゃくちゃ痛いのに「う、うん、痛くない、泣かない」と素直な子供はガマンすることを覚えます。そしたら「えらいねー〇〇ちゃん、強いね!いい子」と褒められるのです。そう、嘘をつくことで褒められるの。ホントは痛いのに、大好きな親に褒めて欲しいから「痛くないよ!」と精一杯強がって嘘をつくんです。じゃ、そもそも親は何のために子供に嘘を強要するの?と言えば、周りのどーでもいい見知らぬ人や世間体を氣にしてのことですよね。
ここから人は「嘘をついて我慢することは良いこと」と無意識層に書き込まれて、オトナになればなるほどそんな機会が増えていくんだなぁ。ホントの氣持ちと現実に歪みが起きていることに、今さら誰も氣がつかない。いやいや、痛いもんは痛いでしょ。悲しい時は悲しいでしょ。血が出て怖くなったら怖いでしょ。それらをまるで「無かったこと」にしてしまうのは不自然で良くないのです。上の場合ならせめて「痛いのによく我慢したね、えらかったね」と痛かった事実を認める声かけをしてあげて欲しい。つまり「感情」や「氣持ち」をおろそかにしてはいけないのです。感性はわたしたちが生きる上で、とても大切で重要な脳の働き。それを無視してはいけないのです。右脳と左脳のバランスがとれなくなってしまいます。世の中は全てバランスで成り立っています。人間もそう。
わたしは嘘をつくのがすごく嫌だったのに、嘘をつかなければいけない毎日に疲れてしまったのです。事務仕事は好きだったのに、好きを上回る「しんどい」に潰れてしまった。
世の中ネガティブに溢れている。長く生きているとガマンすることの方が多かったりする。だけど、せめてガマンしてる自分のことをねぎらい、労わってあげて欲しい。自分が壊れるまで、本当の氣持ちや感情を無視しないであげて欲しい。イヤなものはイヤだから。痛いもんは痛いから。怖い時は怖いから。不安な時は不安だから。泣きたかったら泣いたらいい。周りとの兼ね合いは、それを認めてから考えたらいいです。大切なことは無かったことにしないことです。
本当の氣持ちと表向きの自分に、ズレが生じると心が潰れます。
本音と現実が分裂してると心が病みます。
まっすぐシンプルな自分を取り戻しましょう。
心の元氣は、それが基本です。
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