「好き」と「楽しい」は別物
似てるようで、違うのです。ここを難しいと感じる方がいらっしゃったので、ちょっとわたしなりの解釈を書いてみようと思う。
まず、「好き」と「楽しい」は必ずしも連動しているとは言えません。好きなことをしていると楽しい!に結び付きそうですが、たとえばその日の気分によって、その時の体調によって、その時の環境によって、同じ「好きなこと」をしていても「楽しめるかどうか」って違いますよね。また、その日それを「楽しめない」からと言って、それが「嫌い」になるか、と言えば、ならないと思うのです。つまり、「好き」は、自分自身の「好み」という定義によって認識されるけど、「楽しい」は理屈ではなく自然と湧き上がってくる感情そのもの、なのですね。だから、好きになる努力って、なんかやれそうですが、楽しくなる努力って、ちょっと無理を感じませんか?
つまり「楽しい」はある意味、なろうと努力してなれるようなものではないコントロール不能なもので、より本音に近いところにあると思うのです。
でも「好き」はある程度、努力次第では叶うこともあり、コントロール可能な領域だったりします。つまり知識や経験でどうにかなる(可能性はある)ものです。
わたしのクライアントさんには、自分自身を厳しくコントロールし過ぎて本心を見失い、自分ではない自分を生きることに疲れてしまわれた方達が多くいらっしゃいます。そんな方々がある一定の回復まで進まれた時「心のリハビリ」の一環として、「楽しい!と思えること」を考えてみることをご提案しています。難しい方には「大声出して、つい笑ってしまったこと」を思い出してもらいます。すると「大声出して、つい笑ってしまったこと」が無い方が多い。実はこれが大問題なのです。人間にとって大切な感情「喜怒哀楽」のうち、一つが完全に抜け落ちてしまっていますね…。
「楽しむ」という時間は、毎日をより豊かな氣持ちにさせてくれますし、心穏やかにさせてくれます。また、前向きな姿勢にも導いてくれますし、氣持ちをワクワクと弾むように高揚させてくれます。すると、交感神経をパーッと上げてくれ、その後心地よい疲労感とともに自然に脱力させて副交感神経を優位に立たせて自律神経のバランスが整います。最近はなかなか難しくなってしまいましたが、安心できる環境下で大声を出すこと、声に出して笑っちゃうことも、とても大切なことです。
そう、このステイホーム&ソーシャルディスタンスの世の中で、心がしんどくなる方が激増している背景には、そういうところに理由があるとわたしは考えています。大声出して笑えない、話せない、、、。
「好きなことを仕事にする」とか一時期流行りましたが、「好きなこと」をどうこうする以前に、まずは「楽しむ」ということについて、今一度考えてみて欲しいと思います。
どんな環境下においても、「自分なりに楽しむこと」を作り出すことができる人は、生命力が高いなぁと思います。ぶっちゃけ常識とか世間体とか他人の目を氣にして、心から楽しむことを忘れた大人は間違いなく人生損してます。子供とか動物さんとか見てるとすごく上手だよ。めいっぱいはしゃいで笑って、時にはムキになって。でもそれを大人がすると咎められます。いい大人が何やってんの?ってね。
大人げないオトナでいようと、改めてわたしは思います。人生好きを語る以前に、楽しんでナンボです。
あなたは最近笑ってますか?
お腹抱えて笑ったのは、いつどんな時でしたか…?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?