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みんなと同じができないあなたへ

心がしんどくなる原因は人それぞれだけど、他人が影響することって多いと思う。わたしの心が壊れた最後のきっかけは職場の上司だったが、遡れば学校の先生だったり、友人だったり、でも一番しんどかったのは両親だった。
親や学校の先生からの影響は、人格形成を行う大切な幼少期に、自己否定や自尊心の欠落などを成長の一部として受け取ってしまい、その後の人生を大変不自由なものに変えてしまう。人並みにちゃんとしたいけど、どうがんばってもできない。めちゃくちゃがんばったのに失敗する。そんな時に助けてくれる大人が周りにいる安心感を、子供時代のわたしは感じたことが無かったなぁ。いつもすごくすごく頑張ってて、ちゃんと結果に繋げていた時でも、親にはダメだクソだと罵られた。厳しく育てる方針だったのかもしれないけど、結果的にわたしはいつも自分に自信が持てなくて自己否定の塊となった。そのうち、どれだけやれても上手くいっても「こんなんじゃまだダメだ、もっともっと」と自分で自分にOKを出せない人になってた。自分を自分で追い込むクセがついてしまった。そして、同じように他人にも厳しかった。それが良いと思ってた。それが正しいと信じて疑わなかった。ただ両親に認められたかった。両親に褒めてもらいたかった。

戦後の厳しい時代に育ち、高度成長期をど真ん中で支えてきてくれた企業戦士に生きた両親の時代は、きっとそれで良かったのだと思う。だけど、時代は平成を経て令和になった。どんどん世の中は変わって進化した。物が無かった時代から、物が溢れかえって取捨選択を迫られる時代になった。そう、何でもいいからどんどん作れの時代から、選別しなきゃいけない時代になったのだよ。日本の人口の多くを占めるかつての企業戦士たちは、そのことに氣がついていらっしゃるかな。今の時代に必要なスキルは確実に変わった。だから今までのやり方ではうまくいかない。大勢で横並びに同じものばかり作ってたら余って廃棄になるの。同じものばかり食べ続けてたら飽きて味変したくなるように、今までと違ったことが必要とされる。それって人にも言えることなんだと思う。昭和の思考感覚は今に合わない。

昭和の時代は自分で考え行動することを「わがまま・勝手・協調性がない」と否定された。みんなと同じ、列からはみ出さない、周りに合わせろ、迷惑をかけるな、と厳しく咎められた。結果、自分で考えることができない人を量産した。そして自我を押し殺し周りに合わせることが人として正しい!となった。みんなと同じができない人は落ちこぼれと否定された。
今、世間から落ちこぼれる人たちが増えている。不登校、出社拒否、引きこもり、うつ病、適応障害、諸々。これらは全部、自我を封じ込めたために起きている心の病なんだけど、ここでもまた「病氣」とされて病名がつけられた人たちを「ダメ人間」と評価する。違うでしょ。そもそも自我を抑え込むことに無理がある。(自我を満たすためであっても他人を傷つける行為だけは絶対に許されないけど)自己表現ができないということは、息ができないことと同じなんだよ。個性を押し潰すということは、人の存在価値を押し潰してることと同じということ。どうかみんな氣づいて。

だから苦しい。息ができない感覚。過呼吸発作。もはや年齢性別問わず多いよね。そんな人たちには、おそらくダメな人間になりたくなくて抑え込んだ「自分」がいるはず。ダメな自分、怠け者の自分、ぐうたらしたい自分、人と違うことに興味を抱く自分。わたしはダメな人間と言われてもいいから、自分を大切にしたい。自分の感じたことや考えを大切にしたい。変わり者と評価されて誰も近づかなくなってもいいから、自分を否定したくない。誰かに理解されなくてもいいから、わたしはわたしのままでいたい。

だから、わたしは社会不適合者でもいいと思ってるし何を言われても平気だ。なぜなら、周りに合わせて自分を抑え込んで、息ができない苦しみの方が圧倒的にツラいことをイヤというほど知ってるから。もちろん、人に合わせることで安心感を得られる人はそれでいいと思う。人に合わせて苦しくない人は、そのままでいいと思う。だけど、なんかわからんけど苦しい、息ができない、人に合わせるのがもう疲れた、と思う人は、どうかわたしの仲間になってください。赤信号もみんなで渡れば怖くないから。他人を傷つけたり迷惑をかける行為はダメだけど、自己表現は本来楽しむもので、誰にも邪魔されることじゃない。ましてや他人から評価されるものでもない。

「自分で考えたことに責任を持つ」って実はすごいことなんだよ。みんな標的にされるのを恐れているから、責任を持ちたがらないんだよね。でも、ここで責任を持とうとしてるのは小さな小さな自分のことだけ。今日は寝坊したい、今日は晩ごはん作りたくない、もう外で働きたくない、もう仕事辞めたい、そんなちっぽけでかわいい、わたしのわがままについてだけ。責任の取り方の具体例は、晩ごはん作らない代わりにお弁当を買ってくる、外で働きたくないなら自宅に居ながら収入を得る方法を考えて実行する、仕事辞めるなら減収分を何で補うかを考える。それくらいできるよね。それで息がしやすくなるなら簡単じゃない?

あなたはきっと元氣になれる。
今すぐにでも元氣になれる。
だから、ちょっと考えてみて欲しい。
あなたを苦しくしている本当の原因を。
あなたが言いたくて言い出せない、ホントの氣持ちを。

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