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血の繋がりよりも大切なこと

さて。先月リアル知人の多い某SNSで「わたしは子宮系スピリチュアルが嫌い」と書いた。こちらのブログではこの件に関して初投稿ですが、SNSで書いたお話には続きがあって今日はそれを書こうと思う。子宮系に物申したいのではなく、そういう自己啓発あれこれについて考えたことを書きたい。

わたし自身複雑な生育歴があり、大人になるにつれ”生きづらさ”をごまかせなくなった。こんなダメなわたしは生きる価値が無いと本気で信じ込み毎日消えることばかり考えていた。そんなわたしがなぜ今これを書いているか。わたしが生きているのはスピリチュアルの先駆者とも言える恩師に出会えたおかげである。ではなぜ同じようなスピ系自己啓発と言われる子宮系は嫌いなのか。それにはちゃんと理由がある。わたし自身それはもう様々な宗教も、スピ系あれこれもかじってきて、自分なりに信じて大丈夫なものとダメなものは見極めてきた。その「どうしてもダメなもの」に子宮系がある。今回、実の妹がそれに心酔しちゃったから困ったのだ。何でまたよりによってそれなの。心酔するならもっと他にもスピはあるでしょーに。まずいきなり高額ぼったくられるし好きなことだけやってたらいいって我が子どうすんの。これだけはまじで止めときと、わざわざ本人を呼び出して前記のように伝えて当然こちらの意向は伝わらず話し合いは決裂。以後も何度か呼び出しては話すのだけどどんどん拗れる。最後にその話をした時に激怒する妹の目は、もはや、わたしのかわいい妹のそれでは無くなっていて怖くなった。「洗脳」という二文字が浮かんで恐ろしくなった。ダメだこりゃ。

帰宅して少し冷静になって、なんで妹がわざわざ「子宮」にハマったのかを考えてみる。あくまで想像の域に過ぎないが想像はつきます姉妹だから。同じ環境に育ったわたしにも、その要素はあった。だからわたしも子宮系はよく知ってる。最初から嫌っていたわけじゃなくてへぇそうなのかと教祖様のブログや本を読んでいた。そして離れた。それがわたしの判断。これはダメ。違う。ていうかこの人大丈夫?いやお子さん大丈夫?それは人としてあかんやろと思うフシが多々あったしあり過ぎた。だが妹は違った。まさにどハマりした。

わたしたち姉妹は厳しい両親に育った。特に古い昭和のしきたりにはうるさい親だった。世間体を何よりも氣にして周りの目を基準に生きていた人達。特に性的観念にはうるさく娘2人が女性であることを”封印”するかのような躾をされた。お年頃になってわたしがメイクをすると「そんな男に媚びるような化粧止めとけ!」と全否定。スカート短くしたり、フリフリかわいいお洋服を着て出かけようとしたら即座に罵声。とにかく女性らしさを楽しむようなことをすれば罵られる。女性としていちばん可愛くてピカピカでキレイな年代にオシャレを楽しむことができなかった。親に叱られないように平穏を望むと必然的に質素が身に付いていき「オシャレを楽しむ」氣持ちを忘れていく。灰色のトレーナーにデニムもしくはジャージ。それがわたし達姉妹に許された定番コーデ。致命的だったのは基礎化粧品という存在を知らずに大人になったこと。いい大人になってから焦った。

特に学生時代からスポーツを生きがいにしてた妹はスポーツブランドのジャージが正装。ベースメイクも日焼け止めすら使わずノーメイクこそが健康的で美しいと信じていた。髪は当たり前にショートカット。それでも親の目をかいくぐって恋愛をしたわたしは何かにつけて親と衝突する。罵声暴力わたしの悲鳴。6歳下の妹は常にその地獄絵を横目に成長する。恋愛するとあんな事になる、と幼いながらに学習したんだろう。賢い妹はわたしよりも地味な適齢期を生きることになる。言われる前からメイクしない。着飾らない。恋愛しない。自分の「子宮」を完全封鎖して大人になった。

それがアラフォー世代になって「自分とは?」を感じるお年頃になる。生きづらさを解消するために何かしらの自己啓発系に目覚め妹にヒットしたのが「子宮系」だったのだ。「トキメキ」という言葉に「キュンキュン」して、まるでJKのようなアラフォーになった。よっぽどトキメキのない人生だったのが見て取れる。アラフォーになってようやく親から解放されて、初めてトキメキを求める自分になれたのだろう。そのキッカケとなったのが彼女の場合は子宮系との出会いだった。幼少期からの束縛やしがらみから解き放してくれたのがそれだった。

「好きなことだけして生きよう」と言って自分の子供を血の繋がらない元夫に育てさせ自らは別の男性と堂々と恋愛を楽しみ再婚を繰り返す子宮系教祖。お金が無くなったら堂々と信者から寄付や支援と言ってお金を無心する教祖をわたしはどうしても好きになれない。しかし同時に、妹を自由にしてくれたのもこの人だった。妹を自由にしてくれてありがとう。それだけは感謝せずにはいられない。

わたしと妹の”生きる道”が交わることはもう無い。たった二人の姉妹だけどお互いが幸せだと思える道で生きていこう。陰ながらあなたの幸せをいつも願っているよ。うん。それも悪くない。

時代は変わり、常識も変わる。生きることは楽しい事ばかりじゃなくて、しんどい時つらい時苦しい時がたくさんある。そんな時に誰と出会い何を信じるかで人生は大きく変化する。「わたしは毎日楽しくて幸せ」。どんな時代でもどんな環境におかれても、そう思えるかどうかを一人一人が自分の価値観で、生き方を工夫すればいいだけのお話し。

あなたが今日も幸せでありますように。
幸せと思える今日でありますように。
それならきっと大丈夫。
たとえ子宮系でもなんでも
たぶん大丈夫。
なはず、笑。

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