ねむねむ日記~発達障害であろうが輝ける場所はきっとある~
こんばんは
こんばんは。
はじめまして。
nagomiと申します。
4月から、大学を辞めてフリーターになりました。
今日は、辞めた大学の先輩と遊んでいました。
先輩の恋バナは、さすがにおもろすぎる。
大学という共通項がなくても、仲良くして頂いている、ありがたい話です。
自分自身の発達についての言語化をこちらの記事でもしているので、よかったら見て頂けると幸いです。
久々に自分の凸凹を言語化しようかな
今日は、カウンセリングに行ってきました。
私はおしゃべりというか、すごい勢いで話す人なのです。
大谷選手のような160キロくらいのスピードでずーっと話してしまう。
だから、日ごろは割とセーブして話しています。
でもカウンセリングでは、その速度で話しても追いついてくれる。
本当にありがたい場所なのです。
今日は、1時間ずーっと話し続けました。
最初は、この間ぶっ倒れたイベントの話から。
そこから、自分の輝ける場所に話が飛びました。
今日1日、「自分の輝ける場所」について、考えていました。
その思考の整理を今日はこの日記に綴ろうと思います。
努力とセンスと経験と
私は二つの凸凹を抱えています。
「自閉症スペクトラム」と「社交性不安障害」
私は精神科の先生でもなんでもないので、詳しいことは分かりません。
知りたかったら、ネットで調べてくださいね。
この診断を初めて聞いたのは、高校3年生のとき。
それを聞いたとき、思ったのは
「やっと名もない苦しみではなくなる。」
安心感に近い感覚もありました。
ただあの時の自分は、甘かった。
名前がついたところで、周りから言われるのは
「障害にすがるのは甘え」
という含みのある言葉たちでした。
正体の分からない痛みに名前がついたと思ったら、
次にくるのは痛み自体の存在を無視するような言葉や態度。
私は悟った。
「普通の人になるのは無理だ。」と。
それと同時に決意した。
「私にしかない能力を最大限活かして、
普通の人に追いついてやる、追い越してやる。」と。
そしてこの数年でやっと答えを出した。
それが「人間観察」。
私は小学校のいじめが原因で
「人のことを見過ぎてしまう」という癖がついていた。
被害妄想をしては過呼吸になることもあった、いわば短所のようなもの。
でも、色眼鏡を外してみる努力をした。
すると、自分の予想が大まか合っていることに気づいた。
これは長所になると思った。
私にしかないセンスだと思った。
でもセンスは磨かないと意味がない。
学生の頃にやっていたボランティア。
小学生の子どもとキャンプへ行くというもので、
私は子どもの変化にいち早く気づけるように努力した。
また、支えてくれる大人の方々も観察した。
この言葉やテンションは大人にウケが良い、
この行動やリアクションは子どもにとってうれしいなど
経験値も得た。
そして、今の塾講師のバイトは
その「人間観察」が最大限に活かすことができる。
いや、活かさせてもらっているが正しいか。
個別塾なので、その生徒の力をmaxまで伸ばすにはどうすればいいのか
一人一人アプローチを考えることができる。
そして、私の「人間観察」を信頼してくれている塾長。
お互いに気づいたところを共有して、よりよい塾にするために行動する。
輝ける場所はここにある。
輝ける場所とは
輝ける場所とは自分という型に
ぴったりはまるパズルのような環境だと思う。
私は大学というパズルに自分というピースにはまらなかった。
いや、はめる努力を4年間継続できる見込みがなかった。
毎朝、早起きをして、クラスに馴染む努力をした結果、
私の手はぼろぼろになった。
ぷつぷつみたいな水泡ができて、それが割れてかゆくなる。
乾燥でもかゆくなって、ぷつぷつができての繰り返し。
正直、4年間は無理だと思った。
でも、塾という新しい環境を見つけることが出来た。
でもそれは偶発的なものだけではない。
自分というピースの型がどのようにしたらはまるのか、
試行錯誤したのも一つの要因だ。
塾だけが終わりじゃない。
なぜなら、私はアルバイトだからそこで一生を過ごすわけにはいかない。
また環境を探す。
輝ける場所は奇跡だけじゃなくて
自分自身をもっともっと見つめ直し、
行動することが辿り着ける条件なのではないかと
私は勝手に思っている。
眠たくなって、最後にまとまりがないような気がするけど…。
もう眠たいし、明日の朝、家族でお花見に行くと言われたので寝ます。
おやすみなさい。
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