想望
事故に遭ったのは十四歳の時であった。車通りの多い交差点の、短い青信号を渡っていた時に、減速をする素振りもなく突っ込んできた自動車と鉢合わせた。幸いにも敏捷だった私は直撃を免れたが、その拍子に転倒し頭を強く打った。病院に運び込まれ三日三晩の気絶ののち目を覚まし、あれこれと検査を受けた。四肢も万全に動き、言葉を発するにも問題はなく、後遺症は何もないように思えたが、そう告げる医者の顔を視認することができなかった。家に戻り、再び学校にも通い始め、そうして生活を送る中でも事故の衝撃による病気などは無かったが、矢張り私は家族や友人の顔を視ることができなくなっていた。
視えないと言えども、他人の顔に仮面が被さっているように視えるわけではない。顔色や皺の数は判り、目を凝らせば笑っていることも判る。ただ、その顔を見詰めると、鼻や口といった器官が水に浮かべた油のように流動し、すなわち一点として顔という固形を認識することはできず、そして目を離すと記憶は一瞬のうちに揮発する。戸惑ったが、そのうち不便だとは思わなくなった。顔が視えずとも声は聴こえ、背丈も判る。知人であれば人違いをすることも無い。
最も識別に有用なのは髪であった。事故に遭うまでは気に留めたこともなかったが、人間の髪は驚くほどに千差万別である。頭を覆う立体の、その一本一本に個別の長さがあり、ある者は真直ぐで、ある者は縮れたような髪を持っている。次第に私は髪のみを視て他者を測るようになっていた。人種が同じならば髪色も大差はないと信じていたが、顔を失った私には僅かな差が際立って視えた。光に照らしたり、闇の中で視たりすれば様々な光彩を示すのが面白かった。
形と色で多様性を示す髪を、いつしか花に擬えるようになった。水泳部の快活な友人の、塩素で脱色された髪は四方に広がった黄色で、彼のことは向日葵と呼んだ。湿気の強い日に波のような曲線を示す短髪の彼は紫陽花であった。逢う度に髪の色が変わる女の知り合いは、どこか南国に咲く派手な花のようだと思っていたが、そのうちに彼女の内なる静けさに触れ、蓮華と見做すようになっていた。縮れた赤髪の、どこか人形のような雰囲気のある男のことを彼岸花と呼んだら機嫌を損ねてしまった。彼岸花には毒があることを後で知り、彼には申し訳ない気分であった。
或る晩に川の縁を散歩していて出逢った背の高い女の長髪は漆黒であった。漆黒の花弁など在る訳が無いと、彼女の髪をじっと見詰めたが色を見出すことは叶わなかった。一拍ののち、彼女と目が合っていることに気付いた。その目の形は流動し、事故で揺さぶられた頭脳に届く前に消え失せてしまうのだが、微笑みであることを辛うじて識ることはできた。明くる日もそのまた次の日も、彼女とはそこで出逢った。そうしていくうちに懇意となった。長い黒髪は歩く度に揺れ、撓やかで美しい花弁を連想させたが、日の光に翳しても月明かりに照らしても、知る限りの花の色と見做すことはできなかった。私は意地でも彼女に花の名を与えたいと思い、貴女は一体どんな花なのかと訊いた。彼女は矢張り微笑みを浮かべ、ただ一言、孰れ咲かせる花は落ちる前が最も美しい、と返した。それで、私は彼女の咲かせる花が何としても知りたくなり、初めて恋を自覚した。彼女もまた私に恋をしていた。
そうして数十年が経った。老いて床に横たわる彼女は尚も微笑みを浮かべていた。脱力した肢体は、しかし凛として視えた。そして彼女は白髪へと変貌していた。どんな花よりも美しい、無垢な白であった。咲いたのだな、と云うと、彼女は此方を見詰めて真直ぐに手を広げ、胸元まで伸びた私の髪を撫でた。同じ白であった。そうして初めて、自らも花を咲かせたことを自覚した。二輪の同じ花があった。純粋な花だった。私は彼女の手を握り、恥ずかしくなって俯いた。
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