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後悔と安堵の狭間で、私の心は揺れ動く

「それは、学習障害の症状ですね」

数年ぶりに受診した小児科は、改装されて綺麗になっていた。真新しい椅子に座り、楽しそうにクルクルと回っていた三男を静止して、私は先生の言葉をゆっくりと自分の中に飲み込んだ。

「、、やっぱり、そうですか」

そう言われると思っていた。心の準備はできているつもりだった。

それなのに、実際に先生の口から『学習障害』という言葉を聞いて、衝撃を受けている自分に驚いた。

あぁ、やっぱりそうだったんだ。

それは、今まで何か違うと思っていたことがストンと腑に落ちた瞬間であり、もっと早くここに来るべきだったと後悔した瞬間だった。


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「お母さん、やっぱりね。言葉の間違いが直らないですね」

2学期の懇談で、担任の先生から言われた。定年間近の優しそうな先生は、子供達からも保護者からも人気で、私も以前から「良い先生だよ」という噂をあちこちから聞いていた。なので2年生で担任と聞いた時は嬉しくて、これで三男も安心だねと、夫と二人で喜んだ。

去年、三男は平仮名を覚えるのにとても苦労した。それは発音が悪く、音の認識がうまくできていないからだと思っていた。特にカ行とタ行が混ざって言いにくいらしい。

「おかあさん」は「おたあさん」、「おとうさん」は「おこうさん」という風に、苦手な音は自分が言いやすい音に変換し、それをそのまま文字にしてしまっているようだった。

それでもコミュニケーション能力が抜群に高い三男は、友達との会話に困ることはなく、私も成長と共に直っていくだろうと思っていた。むしろ、舌足らずな話し方が可愛いと感じていたくらいだった。

最初は文字としてすら認識できていなかった平仮名も、1年生の終わりには短い文章が書けるようになり、この子はゆっくり成長しているんだと思っていた。


しかし、2年生になって作文を書く機会が増えると、決まった文字を書き間違えるようになった。特に目立つのは『こ』だった。よっぽど意識して書かないと『こ』を『と』と書いてしまう。

ねこ → ねと

こんぶ → とんぶ

すごい → すどい

他の文字の書き間違えもあるが、それは毎回ではなかった。しかし、『こ』は必ずと言っていいほど『と』に書き間違える。

書写であれば問題ない。『ねこ』を動物の猫と理解して読むこともできている。でも、自分の言葉で文章を書いたときは『ねと』と書いてしまう。それは何度指摘しても直らなかった。

感想文1枚で5箇所も書き間違った『と』を先生と見ながら、「不思議ですね」と二人で首を捻る。

「一度ね、言語の相談に行かれた方がいいと思うんです」

そう言われて、ドキッとした。なぜなら去年、私は市の発達支援室に相談に行っていたからだ。

その時に、言語療法士さんとの面談を予約したのだが、数日後に「発音ではなく耳の問題かもしれないので、どこか詳しい検査ができる大病院に行って欲しい」と断られた経緯がある。

本人に会ってもいないのに、そう言われても、、

私はその時、とても戸惑ってしまった。あまり病気をしなかった三男は、気軽に相談できるようなかかりつけ医もおらず、いきなり大病院と言われてもどこに行けばいいのか全く分からなかった。

発音は悪いが普通に会話はできているし、言葉が遅かった訳ではない。ちょっと気になるくらいで、そんな大きな病院に行く必要があるのか。人より成長が少し遅いだけなんじゃないのか。

夫とそう話し合って、しばらく様子を見てみようという事になった。そして、徐々に平仮名が書けるようになった三男を見て安心していた。


「行きます。今度は絶対行きます」

そう言って、担任の先生に頭を下げた。


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「トム・クルーズ知ってますか?」

唐突な質問に「あっ、はい」と間抜けな声を出す。

「あの人はね、文字が読めないんですよ。読めないというか、私達が見えてるようには見えてないんですね」

その話は聞いた事があった。確かスピルバーグも学習障害じゃなかったかなと記憶を辿る。

「この子にはどういう風に見えているのでしょうね」

優しく微笑みながら三男の顔を覗き込む先生を見ながら、あぁこの子は私とは違う世界が見えていたんだ、と初めて気づく。

それは、一人一人違う人間なのだから当然のことなのに、私は今まで自分の物指でしか、三男を見ていなかった。

これくらいできて当然。

ちょっと人より遅いだけ。

そうやって他の子と比べることで、不安になったり安心したりしていた。書き間違えるのは発音が悪いせいだと勝手に思い込み、三男が文字をどういう風に見ているのかなんて、考えた事がなかった。

「僕って、バカだなー!」

そう言って、よく自分でコツンと頭を叩いていた三男を思い出す。

何度も何度も違うと言われ、消されていく文字を、この子はどんな思いで見ていたのだろろう。ただ、見えているモノが私とは違うだけだったのに。それを頭の中で一生懸命変換して書いていたのに。

自分を否定され続けても、明るく頭をコツンと叩いて笑っていた三男を思うと、胸が苦しくなった。


「紹介状を書いておきますから」

先生から、近くの公立病院の小児科を受診後、専門外来にかかることになるだろうと説明を受けた。

それを聞いてほっとする。今までずっと支えていた喉の骨が、すっと取れたような感覚だった。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

そう言って、診察室を後にした。


帰り道、自動販売機の前で喉が渇いたと立ち止まる三男に、好きなジュースを選んでいいよと言った。

「やったー!ありがとう」

きっとオレンジジュースを選ぶだろうと思っていたのに、三男は迷いもなくカルピスのボタンを押す。

「今日はカルピスなんだね」

「僕、カルピスも好きだよ」

そう言って、嬉しそうに自動販売機からジュースを取り出した。


もっと早く病院に来ていればと後悔している。でも、やっとやるべきことが分かったことへの安堵感も大きかった。

後悔と安堵の狭間に立ちながら、私はこの子が見ている世界を、これから一緒に見ることができるのだろうかと思った。

この子が見ている世界を、片隅でもいいから見たいと思った。



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