#6 逃限界
美術館や博物館が大好きだ。
絵や芸術に関して博識な訳では全く無いが、あの小綺麗で独特な空間が大好きだ。
お目当ての作品を見に行ったり、特に目当ては無いがフラッと入ってみたら凄く好みの物に出会ったり、言わばライブハウスと同じ感覚かもしれない。
元はと言えば、「休みの日に美術館行くのとか、なんかカッコよくね?」くらいの感覚で行き始めたのだ。それがいつの間にか本当に好きになっていた、というパターン。
何事においても、生はやっぱり別物だ。Sleeping Girlsにも、是非直接会いに来てください。
冒頭の写真は、最近美術館や博物館で購入したものである。絵心経エコバックと、中国のアーティスト、卜樺氏のイラスト手ぬぐい。
可愛いにも程がある。
休日はめちゃくちゃ出かける派なので、美術館、博物館、水族館、動物園、温泉、お気に入りの場所は沢山ある。いつかそれについても書いてしまおう。
さて、ここまでの話とは全然関係の無い話なのだが、
実は、今俺は非常に限界である。
もう無理なのだ。
…何が限界?病んでるの??
これはよく思う事なのだが、「病む」という言葉がラフに使われる様になっているこの社会は、やっぱりおかしい。
本来、病んでいる自分など見せたくない、と思うハズではないか?
大抵の場合は、ただ「悩んでいる」だけなのである。人間らしい、普通の感情である。
本当に心が危ない状態かどうかの線引きはハッキリしていないし、自分でどうにも出来ない時は迷わずお医者に行けばいい。
人の事は関係ないが、それでも、まあみんな悩む事なんか山程あるよな…と考えれば、案外俺は楽になる。
話を戻すが、今限界なのだ。
何が限界って?
もう飲めないのだ。
金のない時は、家で空腹に酒が効率が良い。
たったの数杯ですが、すみません。
もう飲めません。眠いです、すみません……
もう限界です……
しょーもない掴みで話に入ったが、俺には割と頻繁に限界が来る。
プツンと、何かが弾けた音を合図に、あ、もう無理だ、と心の中のミナギがシャッターを締めだして、部屋の明かりを消してポツンと中で体育座りをしてしまう。
タイミングは分からない。ちっさい事から大きい事まで原因も様々。
どうしても人には、それぞれの容量があると思う。
大抵の場合、容量が小さい人には容量の大きい人の気持ちはわからない。
大は小を兼ねる、というやつだ。
ただ、これはニュアンスでしかないけど、容器には深さもあると思う。
大きくても底が浅い人は、大小では測れるが相手の深さを見い出せない。
器が大きく見えるあの人は、うすーく水が張っている表面張力の状態で、実はいっぱいいっぱいなのかもしれない。
俺は大きさには自信が無い。元々そうだったのか、生きていくうちに作られていったのか、わからない。
でも、多分そこそこ深いんだと思う。なので、我慢や見て見ぬふりはわりかし得意だし、心が折れそうな事を察知するとその瞬間「知らぬが仏」戦法を使う。
しかしどうにもならず、気持ちがコップ一杯になって溢れ出てしまった瞬間、限界、と感じる。
見るもの聴くもの全てが敵になり、1人の世界に篭もりたくなってしまうのだ。
面倒な話であるが、本当にそうなるのだ。
皆も多分、状態は違えど「もう無理だ!」となる時はあるだろう。そうなった時、どうしてるだろうか?
個人的解決策は2つある。
1つは真正面から向き合う事だ。大丈夫、大丈夫、と信じながら不安な事に正面から立ち向かう。原因が明確に分かってるならこれはかなり効果的だ。
ただ、限界を感じる時と言うのは大抵ひとつの事ではなく、色んなことが重なった時だ。
沢山の面倒事1つ1つに正面から対峙していくのはかなりしんどい。
なので俺は、2つめの方法で、すぐに逃げる事にしている。
1人で美術館に行ったり温泉に行ったり、水族館へ行ったり。
訳もなく日帰り旅をしてみたり、降りた事の無い駅で降りてみたり。
映画を見て音楽を聴き、本を読み、歌ったり楽器を弾いたりする。
この状態の時、これらは俺にとっての
「逃げ場」である。
勿論人それぞれ「逃げ場」があるだろう。
身体を動かす、家でめちゃくちゃ寝る、絵を描く、掃除をする。
中には自慰や瞑想、奇声を発する、という様な人も勿論いるだろう。
全力で五木ひろしのモノマネをする事が逃げ場なんです、という人もいるかもしれない。
家には1人。しっかり顔まで作って、
「ぃよっこっはんまぁ〜♪たっそがっれへぇ〜♪」である。
逆に頭がおかしくなりそうだが、感覚とは人それぞれである。似てなかったとしても、クレヨンしんちゃんの物真似をする女なんかよりは全然マシだ。………マシだ。
とにかくなんでもいい、自分の「逃げ場」へ一目散に逃げるのだ。
そして落ち着いたらすぐ戻る。逃げてばかりではダメだ。1回何も考えずリセットして、それからまた立ち向かうのだ。
そうすると面白いことに、あの時は大きく見えていた敵が、なんだ大したことないじゃないか、と小さく見えたり、そもそも敵じゃなかったんだな、と思えたりするのだ。
俺がロックを好きになった理由、勿論色んな理由があるが、大きい1つとして、彼らは限界が来て落ちている俺を無理に引っ張ることはしなかった。
「頑張れ!」「やれば出来る!」「前を向こう!」
ではなく、「辛いよな〜俺も俺も」「嫌んなっちゃうな!もう逃げちまおうぜ!」みたいなニュアンスで肩組んで寄り添ってくれたのだ。
ロックは大切な「逃げ場」でいてくれた。
人間関係も同じだろう。
「逃げ場」になってくれる様な人達が、今俺にとって最も大切な人達である。
こんなクソどうでもいい文章をずっと読んでくれている皆様には、恋人でも友達でも、自分の「逃げ場」になってくれる素敵な人と出会って欲しい。
20歳そこらの女の子が、まるで自慢話かのように、前の彼氏は酷い男だった、DVだ、傷ついた、今の彼氏が浮気をしているかもしれない、セフレがどうだ、愛とはなにか、誰とヤッた、どんなセックスだった………等と平気で話している。なんて世の中だ、と思う。
まず、ダメな異性が寄ってくるのは自分のせいでもある。そんな奴が寄ってくる様な魅力しか自身にない、のだ。
それかシンプルに見る目が無いか、どちらかである。
酸いも甘いも経験すれば勿論人生の糧にはなるが、それは結果論である。
絶賛「酸い」経験中の精神では、そう思える事は難しいし、そもそもどんなに普通に真っ当に生きていても、困難は沢山あるものだ。
皆それぞれの規模での酸いと甘いを、経験しながら生きているのだ。
窮屈な所ほど気持ちいいのはよくわかる。だが、歪んだ物を追い求めるあまり幸せを見失ったりわからなくなったりしてはならない。
形や即効性に囚われず、ちゃんとした幸せを探す事を、諦めたくないものである。
終始偉そうな文章を書いてしまった。反省。
しかし思いを吐ける場所があると少し楽になる。
俺も、誰かの逃げ場になれるような、幸せなロックを目指している。
限界が来た時こそ、ライブハウスで、我々の生のライブを逃げ場にして欲しい。
他にも、色んな媒体で曲は聴けるし、映像もあるし、身につけると幸せになれるグッズなんかも取り揃えております。
色んな形の逃げ場を用意してますので、是非利用して欲しいです。
(俺のnoteは宣伝で終わることを「綺麗なオチ
」と定義しています。こんな奴ですみません。)
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(「貼る」という新曲が出たので沢山聴いてください!!)
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