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フジファブリック20周年に寄せて

 フジファブリックと出会ったのは約10年前。バンドに誘われてキーボードが入ってる曲を探している中で、候補に上がったつり球のエンディングの「徒然モノクローム」を聞いた。ちょっと変わったバンドで直ぐにハマることはなかった。その後に聴いたのは多分「銀河」。まだハマらなかった。でもなんか癖になって「銀河」を繰り返し聴いてた。その後「LIFE」、「赤黄色の金木犀」、「虹」を聴いた辺りで徐々に好きになったが、結局高校生のうちはコピーもしなかった。
 大学に入った時、最初の箱ライブで先輩方がフジファブリックをコピーしてるのを観た。その時やってたのは確か「夜明けのBEAT」「Sunny Morning」、「Surfer King」などなどだった気がする。とにかくカッコよくていつかコピーしたいと思っていたら、たまたま代打をやらせてもらう機会をいただいた。コピーしてみるとフレーズの多彩さや音作りの奥深さに気づいて楽しくてしょうがなかった。その後、自分でもメンバーを集めて約2年間で16曲ばかりコピーした。
 コピーは楽しかったが志村正彦がいないこともあり、ライブに行くのは少し躊躇ったが、2019年の15周年の大阪城ホールのチケットがギリギリまで残っていたので覚悟を決めて初めて本物を見た。やっぱりギターが足りなくてちょっと悲しくなったけど、残った3人の曲もカッコ良い曲がたくさんあるし、志村のDNAは確実に受け継がれていたことがわかってそこから5年くらいは毎年ライブに行くようになった。
 5年も経つと色々なことが変わってしまうことも多い。けれどライブに行けば変わらず3人が演奏してくれているからそれが支えになっていたことは紛れもない事実だった。
 20周年だってその先の25周年、30周年を見据えたものだと、通過点であるとあまり大ごとに考えていなかった。だから7月に発表された活動休止は動揺したし、ライブを迎える8月4日まではすごく不安だった。もう見納めになるかもしれないとそんなことを考えるとやっぱり寂しくてしかたがなかった。
 だけど今回の20周年アニバーサリーライブを見て思ったことは、彼らにも相当プレッシャーがかかっていたということだ。いつにも増して演奏中のメンバー間のコミュニケーションが観てとれたし、なるべく明るくいようとしているのが切なかった。中盤からはそんなことも気にならなくなるくらい楽しくてしょうがなかったけど。志村のことを期待しているファンもいるから、それに応えなきゃという葛藤もたくさんあっただろう。
 途中「モノノケハカランダ」、「陽炎」、「バウムクーヘン」、「若者のすべて」が志村のボーカル、生前の映像と共に演奏された。観たことのない志村の映像も随所にあって本当に本当に苦しかった。僕が観たかった時代のライブだ。そんなことを思ってしまうのは今の体制で続けている3人にも申し訳ない気持ちで感傷的になりきれずにいた。
 アンコールの1曲目。何度も聞き、繰り返し観ていた富士山ホールでの志村のMCが流れる。オルガンとドラムで「茜色の夕日」が始まった。メンバーによる演奏と音声だけで、映像はなかった。この曲に関してはもうやらないと思っていたから想定外だったし、涙が止まらなかった。
 「茜色の夕日」はたくさん思い出がある。大学1年生のときサポートで大きなステージでフジファブリックをコピーした時から、いつか自分が集めたフジファブリックのメンバーで同じステージに立った時にやろうと決めていて3年越しで叶えた曲。卒業する前のライブでもやった。卒業してからも東京からの帰りによく聞くし、富士吉田で初めて聞いたチャイムもこの曲だった。
 山内総一郎は終盤のMCでファンがいてくれないと続かなかったと言っていたけれど、今の3人がいなければ、今の僕はいないし、志村と出会うこともなかった。今の僕は志村がいなくても僕の1番好きなバンドはフジファブリックだと胸を張って言える。「LIFE」や「Water Lily Flower」、「Green Bird」、「楽園」、「ミラクルNo.9」、「東京」など15年間に渡り名曲を生み出してきた彼らに感謝をしている。ありがとうフジファブリック。そして今日たくさんコピーをしてきたことを直接、ほんの少しの時間だったけど総くんに伝えられて「ありがとうございます」と笑ってもらえたことはこの先も人生でかけがえないものであり続けます。

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