太陰太陽暦からの切り替えは1ヶ月で!?
2月第1週の食とココロの処方箋。
2月4日は立春
旧暦では、ここから新しい1年が始まります。
立春といえば春の始まり、春の気が立ち始める頃ですが、2月前半は寒気の影響で厳しい寒さとなるようです。
そんな寒い中でも、スギ花粉は飛び始める準備をしているところ。
今シーズンは、例年並みの花粉の量が予想されています。
東京では、昨シーズンと比べるとやや多いそうですので、花粉症の方はお気をつけくださいね。
《コーナー①》
最初のコーナーは、今週の暦です。
一年を24に分けた二十四節気と、さらに三分割して72に分けた「七十二候」をご紹介しています。
二十四節気は、2月4日から18日まで「立春」
春の始まりであり、旧暦では新しい年の始まり。
江戸時代に書かれた暦の解説書「暦便覧(こよみべんらん)」には、「春の気立つをもってなり」とあり、春の気配が感じられる頃とされています。
まだまだ寒い中ではありますが、日差しや風に真冬とは違った匂いが感じられる頃ですね。
七十二候は、2月4日から8日まで立春の初候「東風解凍(はるかぜ こおりをとく)」、春を呼ぶ風が氷を解かす頃。
この「はるかぜ」は、「東風(ひがしかぜ)」と書きます。
これは中国の陰陽五行説に由来していて、春は方角でいうと東に当たることから、東の風と書いて「はるかぜ」と読んでいます。
七十二候の一番目がこの「東風解凍」ですが、太陽が昇る東の方向は、まさに始まりのイメージですね。
9日から13日までは、次候「黄鶯睍睆(うぐいす なく)」、まだ寒い山里で鶯(うぐいす)が鳴き始める頃。
うぐいすは、春を告げる鳥「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれていて、春が訪れたことを知らせてくれます。
初めての鳴き声を「初音(はつね)」といいますが、鳴き始めはあまり上手でなく、練習してだんだんうまくなっていくそうですよ。
14日から18日までは、末候「魚上氷(うお こおりをいずる)」、解け始めた氷の上に魚たちが躍り上がる頃。
冬の間静寂に包まれていた自然界でも、動物たちが動き出してだんだん活発になってくる様子が描かれています。
二十四節気、七十二候は、一巡して立春からまた新しいサイクルが始まりました。
二十四節気は、それぞれの季節の始まりである「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「四立(しりゅう)」と、「夏至」「冬至」の「二至(にし)」・「春分」「秋分」の「二分(にぶん)」で「二至二分(にしにぶん)」の8つの節を軸に、一年を24に分けています。
この八節、特に二至二分は現代の暦でも馴染み深いものですね。
二十四節気の名前は、「春分の日」のように節気の始まりの日を指すこともあれば、期間全体を「春分」と呼ぶこともあります。
1つの節気は約15日。
大まかに言うと1月を2つに分けていて、前半を節気、後半を中気と呼んでいます。
例えば新暦の2月(旧暦の1月)は、前半が立春、後半が雨水となります。
この二十四節気を、さらに細かく分けたものが七十二候。
15日を約5日ずつ3つに分けて、「初候」「次候」「末候」として、一年を72に分けたものです。
季節が少しずつ変わっていく様子が、豊かな感性で描かれています。
二十四節気も七十二候も中国から伝わったものですが、七十二候は、日本の気候風土に合わせて何度か改訂されているようです。
空や風の様子、植物、動物、虫たちの動きなど、季節の移ろいを細かく捉えて表現されていて、二十四節気とは違った味わいがありますね。
さらに、「八十八夜」や「二百十日」のように、立春から数えた日にちによって決められた日本独自の「雑節」もあって、農作業の目安にされたり、注意する時期とされるなど大切にされてきました。
何月何日何曜日と、日付と曜日のわかるカレンダーは、現代の生活の中では欠かせないものとなっていますが、季節の移ろいに目を向けてみると、時の流れがちょっと違って見えるかもしれませんね。
《コーナー②》
次のコーナーです。
暦の話題
旧暦の始まりに当たる今週は、もう少し暦の話題をお届けしましょう。
人は古代から、太陽や月、星の動きを観察して、時間や月日を知る手がかりにしてきました。
太陽暦
現代で私たちが使っている暦は、地球が太陽の周りを1周する時間の長さを1年とする「太陽暦」です。
月が、新月から次の新月になるまでの時間の長さを1ヶ月とするのが「太陰暦」です。
旧暦
旧暦は、太陽暦と太陰暦を組み合わせた「太陰太陽暦」というものです。
1ヶ月は、太陰暦の考え方で「新月から次の新月まで」の約29.5日。
1ヶ月が29日の小の月が6回、1ヶ月が30日の大の月が6回あって、12カ月で354日。
1年は、太陽暦の考え方で「地球が太陽の周りを1周する時間」である365日ですから、11日のずれが生じます。
旧暦では閏月が変動?
1年で11日、3年経つと33日・1ヶ月以上もずれてしまいますので、約3年に1回、13番目の月・「閏月(うるうづき)」を入れて調整していました。
現代の閏年、4年に1回ある2月29日のような感覚なのですが、わかりにくいことに、閏月が入る時期は固定されていないのです。
なかなか複雑ですよね。
この太陰太陽暦が、西暦1872年の「明治改暦」まで使われていました。
太陽暦(グレゴリオ暦)
西暦1872年に当たる明治5年をもって太陰太陽暦を廃止し、翌・明治6年から太陽暦(グレゴリオ暦)を採用することとなりました。
暦を切り替えるタイミングはグレゴリオ暦の1873年(明治6年)1月1日からと定められましたが、その日は旧暦ではまだ12月3日。
それで約1ヶ月も日付が後ろにずれてしまったのです。
現代で考えてみると、立春はまだ寒い2月の始め、七夕の頃は梅雨の時期で天の川は見えず、本格的に暑くなった頃にはもう立秋。
季節感が合わないのは現代の気候変動の影響なのかと思っていましたが、暦の切り替えの段階で1ヶ月近くずれていたのであれば納得できますね。
この改暦が公布されたのは、改暦まで1ヶ月もない明治5年11月9日。
かなり直前ですよね。
元号が変わる時にも何かと混乱がありますが、1ヶ月もしないうちに急に暦が変わるなんて、当時の人は戸惑ったことでしょう。
20 明治6年以降、それまで使われていた太陰太陽暦・天保暦は、旧暦と呼ばれることとなります。
この番組では、二十四節気、七十二候と暦をたどりながら、その季節ならではの食材や風習、季節の健康情報などをお届けしていきます。
実際の季節感とはちょっとずれがあっても、自然の小さな変化を感じ、巡る季節に沿う感性は、旧暦ならでは、ではないでしょうか。ぜひ聞いてください。
産業医 さくらばちほ
食とココロの処方箋 レインボタウンFMにてオンエア中です。