JOKER 続編の感想(ネタバレ注意)
以下はネタバレを含みますのでご注意ください。
今月JOKER 続編が公開され、すぐに観に行きnote にも書きましたが、公開直後だったこともありネタバレしないようにしようと考えていたのであんまり深堀りはしませんでした。
また、あまりにも衝撃が強すぎて観た直後には
感想を整理できていなかったことも一因です。
それだけ思い入れの強い映画です。
eponaさんの記事
JOKER を私以上にこよなく愛されているnoterさんのeponaさんが本当に素晴らしい記事を2回に渡り書かれているので、そちらの記事をご紹介させていただきます(ご本人の許可をいただいてます)☺
決してお世辞ではなく、私はeponaさんの記事を拝読し圧倒されました。JOKER 続編については
上記の記事を読んでいただけば、大筋からレビューまでほとんどわかるように思います。
私にはとてもそんな風にわかりやすく、かつ本質を衝いた記事を書ける気がしないので💦、今回は端的に率直に私自身が感じたことをそのままに書こうと思います。異論はもちろんあると思いますし、気分を害することもあるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。
感想
まず、観終わって私が最初に感じたことは
絶望感でした。
もちろん、映画としてのクオリティは非常に高いです。また、前作でも賛否両論あったようですがそれに対する製作者側の明確な答えともなっています。
『ダークナイト』のヒース・レジャーの怪演で
有名な、バットマンにおけるジョーカーと
アーサーのJOKER は別人なんだよ、という答えにもなっているように思います。
JOKER 1でもそのように解釈できる表現もありました(ブルース・ウェインの両親を殺害したのはアーサーとは全くの別人)。
アーサー・フレックとバットマンのジョーカーは
全くの別人という答えが一つ。
そして、悪は悪であり栄えてはならないというメッセージが一つ。
私は製作者側のメッセージをそのように感じました。
今作では度々ミュージカルでの表現が挟まれ賛否両論ありますが、私は元々ミュージカルも好きですしアーサーは妄想癖があるのでそういう妄想が挟まるのもストーリー上違和感はありませんでした。
私はなぜ絶望感を感じたか
前作はJOKERの誕生
今作はJOKERの死
とeponaさんは表現されていましたが
私も完全に同意します。
ただ、あまりにもアーサーに感情移入をしてしまった私は、正直なところもっとJOKER に活躍してほしかった。
ダークヒーローとして、痛快に腐った社会をレディーガガのリーと共に荒らしまわり
暴れまくってほしかったです。
もちろん、それは道徳や法治国家においては言うまでもなく悪です。
もしかしたら、製作者側も本来はそういう風に作りたかったが社会への影響の大きさを懸念して方向転換したのかも?と勝手ながら思いました。
社会の底辺で虐げられている
アーサーがJOKER となり多くの人々へ影響を
与えカリスマとなっていく姿に希望を見出だしたのは私だけではないと思います。
もちろんJOKER の様に悪行をするわけではありませんが、私にだってまだ人から受け入れてもらうことは出来るんだ!という意味での希望です。
だからこそJOKER 1は私のような人間にとってもカタルシスとなりました。
しかしながら
JOKER 続編においてはその存在そのものの否定です。
しかも全く容赦なく完膚なきまでに打ちのめされ
アーサー自身でJOKER の存在そのものを否定し、そしてパートナーと信じていたリーにもそれ故に否定されます。
しかもその否定される場所は、JOKER 1からの
象徴的な場所であるあの階段です。
人生に疲れきっていた人間が毎日登り、そして
自らが生み出したダークヒーローJOKER となり
降りてゆくその階段で、信じた人に全否定される。これ以上残酷な描写はないなと思います。
アメリカではJOKER 1を公開する時、本当に暴動が起きないかと警戒したそうですが続編公開にあたってはそれを観た人が自殺しかねないとは警戒しなかったのかなと私は今回続編を観て思いました。
こんな私だって社会に受け入れてもらえるんだ
という淡い希望が、そんなことはありえないんだよと叩き落とされた気分になりましたので…
正直私は今回続編を観終わった時
しばらく口もきけず食べ物の味もしない程
落ち込みました…
映画じゃないかと言われたらそうなのですが
うつ病に毎日苦しみながらも、私だっていつかは
元気にまたみんなと同じようにバリバリ働くんだということを夢みてかろうじて会社にしがみついていることが否定された気分となりました…
なので、正直なところ私のように精神疾患を持ち
JOKER 1に希望を見出だしていたような方は
続編を観るのはあんまりおすすめ出来ないなと
思っています。
もちろん、1つのエンタメ映画として観る分には
素晴らしい映画だと思います📽️
JOKER におけるゲイリーの存在
色々と書いてきてしまいましたが
映画としては本当にとても面白い映画であることに変わりはありません。
特に、法廷もの等が好きな方にはそういう視点からも楽しめると思います。
JOKER続編は法廷でのシーンが多いのですが、
映画の中での1つの山場ともいえるのが
以前の同僚でもあるゲイリーとアーサーの法廷での対話だと思います。
ゲイリーは
「どうしてこんなことをするんだ?アーサー」「君らしくない」などとアーサーに法廷で訴えかけます。この時のゲイリーの真心がアーサーに
響いたためなのか、その後の法廷においてアーサーはJOKER はいない、とアーサーは告げ本来の
アーサーに戻ります。
私はこのゲイリーとのやり取りを観て
以前別の記事でも書いた、岡田斗司夫さんが
話していたことを思い出しました。
アーサーは社会の底辺で、社会から周囲から虐げられいじめられ続けてきた存在です。そして、そのアーサーをいじめている一見エリートに見える会社員や、ストリートチルドレンもまた社会で
いじめられている存在です。
だからこそアーサーは社会をいじめる側に立つしかなかった、といわれています。
しかしながら、身体上の不自由もありある意味
アーサー以上にいじめられている存在である
ゲイリーは、社会を恨むこともなく誰かを傷つけることもなかった。
最低辺の存在かもしれないけれど、私は私を受け入れて正しく生きているじゃないか、と言わんばかりにゲイリーは法廷においてアーサーと対峙する。
そうしたゲイリーの言葉だからこそ、JOKER で
あろうとしているアーサーの心にも突き刺さったのではないかと思います。
私はこのシーンにおいてだけは、わずかな希望を感じることが出来ました。
JOKER、JOKER続編共にとても気持ちが
揺さぶられる映画ではありますが
間違いなく私の人生にとって大きな意味を持つ
映画です。
eponaさんとは、JOKER 続編が公開されるまではなんとか生きましょうとお話しましたがこれからは何を糧に生きていこうかと模索中です😿
映画の最後でアーサーが目を開いて倒れていたのでもしかしたら生きていて続編があるのでは?などと私はまだしつこく淡い期待を持っています💧
eponaさんありがとうございました☺