見出し画像

流行から丸3年。コロナって何だったんだろう。

コロナ流行から丸3年が経ちました。

3年前の2020年3月初め。
夕方に突然、小学校から「明日から休校です」とメールが来て、パニックになったことを覚えています。

そして、職場が急きょ在宅勤務を許可してくれました(とても有難かった)。

結局、最初の休校は2020年3月初旬〜6月初旬までと長期間に及び、この3年間に休校⇔再開を何度も何度も繰り返しました。

また、当初任意だった在宅勤務は、2020年3月末には出社禁止に変わり、2022年の9月頃までフル在宅勤務が続きました。
※現在は出社×在宅のハイブリッド形式で働いています

コロナ感染については、幸いなことに現在まで子どもはゼロです。
夫は昨年11月に感染。私は夫が感染する前に発熱し、感染してた気がするけど。半日で解熱したため検査せず不明です…。

コロナ流行から3年間をざっと振り返る

怒涛の3年間を良かったこと、悪かったことで振り返ります。

良かったこと:在宅勤務で時間ができた
・早朝ランニングを始め、14kg減量した
・自分軸手帳というサードプレイスを見つけることができた
(コロナ禍のストレスから辿り着いた)

悪かったこと:いつもいつも、不安との戦いだった
・休校⇔再開を繰り返す小学校に対するストレス
・感染が怖くて、自分や家族の健康に神経をすり減らした
・何よりサービス業の夫の仕事が大打撃を受け、夫の苦労を見るのが本当に辛かった

また、2020年3月に愛犬が癌で亡くなり私たち家族の生活にぽっかり穴が空いてしまいました。
(ペットロスとコロナのダブルパンチ、辛くて辛くて毎日泣いていた)

2020年3月〜6月、最初の休校期間は地獄の日々。

2020年3月、当時わが子は新小学2年生。
ありがたいことに私は在宅勤務を認められましたが、最初の休校時は「家から出るな」「遊びに出かけるな」という空気があったため(空気というか、言われてたような?)子どもは一日中ほぼ家の中。

以下、辛かったことあれこれ。

・宿題として渡された大量のプリントは全て予習系。「これわからない」と仕事中に聞いてくる子どもにイライラ。
・テレビを見ようもんなら、「ちょっと!音量下げてよ!!」と怒鳴る(私は今もですが、リビングで仕事をしています)
・子どもの運動不足解消のため、昼休みはマンション下に出て縄跳びやジェイボードの練習に付き合い、昼休みが潰れる。
・3食、ご飯の準備が死ぬほどめんどくさかった…。

今思うと3ヶ月、子どもも苦行の日々だったでしょうね…。
怒ってばかりで申し訳なかったです。

私、「紅蓮華」を聴くと泣いてしまうんです。
なぜなら、地獄の休校期間ずっと子どもがエンドレスで鬼滅をみていたので、当時を思い出すんですよ…。
曲もアニメも全く罪はなく大変申し訳ないのですが。
とにかく、もう2度と戻りたくないです。

コロナ感染者宅に石投げた人、今頃どうしてるんだろう。

最初の1年くらい、よくニュースに出てましたよね。
コロナ感染者が、近隣住民に嫌がらせを受けて引っ越したとか、職場でハラスメントを受けて辞めざるを得なかったとか…。

自殺に追い込まれた人のニュースなんて耳に入ろうものなら、眠れないくらいでした。

実際、義実家(田舎)でも最初のコロナ感染者宅は家に石を投げらる等の嫌がらせを受けて、引越しされたそうです。

で、今思うのは当時嫌がらせした人たちは今頃どうしているんだろう?ということ。

現在これだけみんな感染しているのだから、そのうちのいくらかは感染してますよね??
石投げた時、明日は我が身と思わんかったんだろうか?

コロナって何だったんだろう

まだそれなりに感染者がいると思いますが、3/13よりマスク着用の義務がなくなり、5月には5類へ移行されます。

世間はコロナ前と近い状態へ、という流れになるでしょう。

「コロナって何だったんだろうね…」と、この3年間に職場がコロナによって大打撃を受け、苦労の連続だった夫がぼそり。

何だったんだろうね…。

この3年間は、当たり前だったことが当たり前でなくなる連続でした。
また、コロナの他にもウクライナ危機や、世界的な鳥インフルエンザの流行。これらによる物価高。

不穏な世の中で、心のざわざわが止まらないことが多いです。

でも、「今」は家族みんな元気に暮らせている。
夫の会社もなんとか持ちこたえて、会社設立100周年のお祝いが先日ありました。
私はコロナを機に働き方に対する意識が変わり、前向きにキャリアを模索中です。

これからも、みんな幸せに暮らせますように。
そう願って止みません。





いいなと思ったら応援しよう!