01 イントロダクション
小沢健二の言葉と眠る街明かりの中のヤングたちよ
東京は明るいか 東京は五月蠅いか 東京は空気が不味いのか 憧れたものには追い付けたか 断片的な希望を集めそれでも夢は叶いそうか
僕らが住む街には喜びと悲しみが時に訪ねる そしてみなは手を振ってしばしの別れを告げるのだ
いちょう並木を通るときそれは確かなものになる 街の光に眩んだとききっとあいつが恋しくなる
東京タワーへと続く道が言葉を飲み込み生活の海を掻き分ける
そして僕らは溶け合うように眠りにつく
日曜の昼下がりに聴くオザケンは至高だ。もはや時間帯はそんなに重要ではない。聴いている音楽がオザケンである、というところが重要だ。日曜に聴いたって水曜に聴いたってオザケンはオザケンだ。だけどちょっとの感情の波スパイスで聴こえ方は変わる。
そんな波が打ちつける脳内では、黒い毛糸玉が常に絡み合っている。それは蜘蛛の足みたいに規則的に不規則に、交錯し合いながら蠢く。
その塊を解くには言葉や文字として自分の中から吐き出すしかない。助走なく喉仏まで上がってきたものを飲み込まないための応急処置として、思いついたままに文字に起こし、後に、このようなコンテンツでコラム・エッセイ・日記等として形にして吐き出す。
一方、言葉と声に変換して吐き出すのは難しいし苦手だ。だけど時々文字では抑えきれない感情というものが溢れてくる。それは、声のボリュームやトーン、表情、口の動き、気持ちの大きさなどの調味料を加えないと完成しない。ただ思うがままに文字に起こすのとは違って圧倒的に手間がかかる。
そんな手間が多少省けるのが歌だ。
こちらにはこちらで音程などの技術というものが絡んでくるが、音楽に便乗することで言葉を吐き出しやすくなる。その上自分で作詞作曲をしてしまえば、自分の吐き出したい言葉を整頓して効率的に吐き出せる。慣れれば感情を抑揚などで表現することも出来るので画期的だ。
素晴らしい。
自分自身、文を書くことが好きというだけで得意ではない。実際一つの記事を書くのに何時間もかかるし何度も読み返して何度も添削する。だからこそ満足のいく記事が出来た時の嬉しさと達成感は相当なものだ。
これから綴る文字たちは、活字、という大層なものではなくて何というか、感情が先に来ているというか...支離滅裂で乱暴なものなので気軽に読んで頂ければと思います。
言葉の交錯が他の人よりも少し多いだけなのかもしれない私だけれど、文字にすること、言葉にすることで救われる気持ちがあることは本当で、これは誰にでも共通する方法であってほしいし知っていてほしい。
もちろん文字にすることだけではなく、小説や漫画を読んで文字に触れる楽しさも知ってほしい。
最終的な目標としては、私の文字で何かを感じてほしい。
そんな気持ちたちでnoteな1週間を作り上げます。
残り6日、是非ご愛顧のほどよろしくお願いします。