生が死なのか、愛が死なのか



こんにちは

2回目の更新にしてタイトルが重すぎるだろ、と思ったそこのあなた


確かに


だけど最近、生と死について考える機会があったので連ねたくなってしまいました

つらつらと、なんとなく連ねます


生と死、愛、そのことについて考える機会があったというのは、ある展示会に行ったからです


『シリアルキラー展』


銀座のヴァニラ画廊にて

どういうわけか昔から、実際に起きた凶悪犯罪を深掘りすることを好み、それはそれは必然的に今回の展示会に興味を示し行ってみることになった



『シリアルキラー』とは、一言で言えるなら(言えないけど)『連続殺人犯』ということ

この展示会は、そんな彼等達が実際に描いた直筆の絵や手記などが、幼少期から生い立ち、どんな凶行を行ったのか、までを辿り記した上でそれらをバックグラウンドに展示されていた だから、普段は対とされる生と死を、一度に味わえる不気味な空間だった 怖かった だけどなんというか、どれもこれも叙情的で物体の色使いや配置が妙に上手くて巧妙で繊細で、何故だか哀しくなった 空っぽになった 見たくない気がするのに目を背けられなかった まるで映画の中の作り話のようなことが自分が生きているこの世界で、自分と同じ人間によって行われたこと 憤慨するよりも先に恐怖に怯えたのは確かだけど、不思議と軽蔑の念は生まれなかった それは彼等達がまだ生を感じ愛を求めていた頃の記憶も記されていたからだと思う

彼等はあまりに惨い幼少期や生い立ちによって形成されていた 虐待をする親、薬物やアルコール中毒の親、娘が欲しかったがために息子に女装をさせる親、性行為を見せつける親

こんなにも救いようのない親に育てられてしまった彼等達は死んでいるも同然だったのではないかと憤りを覚える ただ純真無垢に愛を求め愛を感じ愛の与え方を学ぶ(これらが本能的に生み出される行為だったとしても)このような人格形成の時期に彼等は愛の存在すら知る余地もなかった

シリアルキラー達の共通点はそこだった

シリアルキラーという繭を作った元凶は常にそこにあった  昔も今も

しかし愛の本質など誰にも分からない曖昧なもの だからこそ人間は愛を求めるし愛を嫌う 愛を戦闘機にもするし絆創膏にもする どんな形にでも変えられてしまうという欠点がある そして、それを私利私欲のために利用する貪欲な人間が1番のキラーであることを忘れてはいけないと改めて気付かされた シリアルキラー達によって




生と死、その狭間で擦れ犇めく愛 その愛の裏に死 対になって見えるようで実は隣り合わせの生と死が愛を教えてくれているのかもしれない 生きるということは痛いことでありその痛みを感じることが出来るのは愛を知っている証拠なんだと思う だからその痛みを受け入れながら生きてみれば、ちょっぴり人生が豊かになるのかな

なんて、そんな風に思えたとてもいい機会でした  



シリアルキラー展、7月11日までやっているそうなので興味のある方は是非 行って後悔することは絶対にないと思います(尚、18歳未満の方は入れないそうです)



今の環境がとても幸せで恵まれているということに感謝をしながら眠りにつきます



おやすみなさい








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