07 何もしないという罪から私たちは逃げている




・チョコバリのないコンビニなんて金魚のいない水槽だ


・このあいだ  を  こないだ  って言うの可愛い


・海洋の覇者を見る夜 ニシオンデンザメが愛おしい 北極の深海で時速1キロで泳ぎながら生きるらしい 盲目なのに どうして生き続けるんだろう その孤独さは底知れぬ深海のよう


・雌に自分をアピールするために水面から高く飛び上がり大きな音を立てるイトマキエイの姿が私の好きなセブンのイカ焼きに見えて美味しそうになっちゃった


・食べることが好きな万年ダイエッター


・口を開くたびに鳴る骨の音が自分の惨めさを物語っている


・Siriにアラームの全解除を命令する朝 ちょっとのごめんなさいの気持ちで反省して二度寝してアウト


・一週間のうちに何回月を見ているのか分からない


・トレイに金を乗せろ 嫌がらせか


・『今年一番の暑さです』と毎日耳にする季節が来た


・右側の鼻筋だけにつく眼鏡の痕


・怖い顔して怒るあいつは字が汚い


・丸くないけど丸いときを知っている



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「Siriにアラームの全解除を命令する朝 ちょっとのごめんなさいの気持ちで二度寝してアウト」


最近、iPhoneの喋る人工知能Siriに、前日の夜にセットしたアラームの全解除が頼めることを覚えた。寝ぼけ眼での手動アラーム解除は確かに億劫でありストレスだ。

正直今まで、Siriという機能の利便性を理解しておらず、その凄さみたいなものを実感したことがなかった。一定速に、違和感のある発音でハキハキと喋べるので怖いとさえ思っていた。

けれどその機能を試してみたとき、初めて本質的な使い方をした気がした。ほとんどが情報ツール化しているこの鉄の塊に初めて、血が通ったようだった。

現代に置いて、''文明の利器''という言葉の拠り所が存在することにこんなにもありがたみを感じたことがあっただろうか。

しかし最近は、寝起きの掠れた低い声では一度で聞き取ってくれないことが新たなストレスとなり、一筋縄ではいかないこの暮らしの難しさを、便利だと思っていたものから思い知らされる羽目となっている。


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このなのかかん、言葉と真摯に向き合ってみた。勝手で自己満足な企画ではあったけれど、改めて文章が持つ力を身を持って感じることができた。

言葉に救われる気持ちがあること、文字に触れる楽しさがあること、私の言葉をもっと沢山の人に知ってもらいたい、そんな魂胆で始めた企画。しかしもう一つ、ある問題のためでもあった。

それは、曲作りができない、という個人的な問題、悩みだ。

私の中で、

曲作りをしない=罪

みたいな認識がどこかあって、曲が作れない時間というのは生きていることを恥じるような時間でもあった。曲を作らないなら生きていてはいけない、曲を作らないならそれ相応のこと(なんだそれ)を代わりにするべきだ。早起きして、仕事に行って、ご飯を作って食べて、映画を観たりゲームをしたりする趣味の時間を過ごして、今日も頑張ったと眠りにつく。そんな生活を、曲を作らない生活というのを、私の生活の中では想像できなかった。そしていつしか曲を作らない生活に罪悪感を抱くようになっていた。

そんな罪に苛まれつつもアウトプットする気になれず何もしない生活に慣れ始めてしまっていた最近、突如思いついたこの企画。曲作りから一度離れ、文章を綴るだけのコンテンツで自分を表現してみよう。多少なりともインプットはしていたつもりだったし、好きな言葉、誰かの言葉、そして自分の言葉を誰かに伝えたい、と単純にそう思った。

今思えば、自分の言葉を誰かに伝えたいと思って曲を作ったことがなかった。自分が好きなことを好きなようにやっているだけで、そこに他人の存在は必要ない、自分を表現したいだけなのだと。

けれど今回は真逆だった。

不覚にも、もっと沢山の人に私の言葉を見てほしい、と断言している。

そしてその気持ちを感じたとき新しい言葉たちがたくさん溢れてきたのだ。見てもらいたい、伝えたい、という気持ちが持つパワーは凄かった。

同時に無意識的なところで私は、誰かに伝えたい、認められたい、と思っていたのかもしれない。捉えようによっては自己顕示欲だと思われる感情だけど、その気持ちが開ける言葉の扉があることを知った。

曲が作れない時間を、''何もしない''という罪だとは思わずに、新しい気付きを発見するための時間だと思うようにしよう。そう形容することで視野を広げられたいい機会となった。


この生きづらい世の中で生きる人々は、''何もしない''という罪から逃げている。

学校に行かない、仕事をしない、アルバイトをしない、外に出ない、コミュニケーションを取らない、恋愛をしない、結婚をしない。

私たちはそれを罪であるかのように捉えネガティブな問題としすぎてしまっているのではないだろうか。

その堅苦しい固定概念を柔らかくできる心の柔軟性、立ち止まって振り返る身体の余裕。それらを上手く活かす生き方で、逃げるのではなくいつでも追いかけていたいと私はそう思う。


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この度は、このような身勝手で我儘な企画にお付き合い頂きありがとうございました。

小さな試みではありましたがとても充実したなのかかんでした。

不定期にはなってしまいますが、これからもこのnoteというコンテンツでたくさんの文を書いていけたらいいなと思っています。

まず次にしたいこと『自由律俳句』のために。


それではまた =・×・=


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【死せる孔明''note''ななのかかんプロジェクト】


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