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なぁ、ホームレスやい


寒くなってきた、初冬の夜。
ホームレスの男は、公園のベンチにうずくまっていた。
目の前に見えるのは道路、挟んで向かいには高級マンション。

何も言わず、1枚の汚い毛布に包まる男。

前の道路にタクシーが1台停る。
そのタクシーは、暫くそこに停り続ける。
正味4時間くらいか。
2:00過ぎくらいになると、回送表示を点け走り去って行く。

というのが、もう2週間くらい続いている。

ホームレスがベンチに来出すのは、子どもも誰もいなくなった20:00頃。
その1時間後に彼はやってくる。

時折、タクシーから降りて公園側に体を向けつつ車体に寄りかかり、スマホをいじっては、運転席へと戻っていく。

エンジンは切っていない。
故にアイドリングである。

見せつけられているのだろうか、ホームレスは少しだけ不快な気分になる。
でもそこから動こうとはしない。自分が見つけた、居場所だからである。

そんな日々が、更に2週間。要は1ヶ月続いた頃だろうか。
世間的にはクリスマスが近づき、浮き足立つ子どもがサンタの格好をして公園から帰っていくのを横目に、ホームレスは自分の拠点へとたどり着く。

今日手に入れた段ボールをベンチに敷き、毛布を掛け寝転がると、オリオン座が空に光っていた。
男はそれを見ると、目を細めたり開いたりした。

しばらくするとタクシーが来る。
お決まりの毎日だったが、その日は少しだけ違った。

「なぁ、ホームレスやい」

オリオン座と男の間に、ホットのカフェオレ
缶が現れたのだ。

「飲めよ」

「……」

男は黙って左手を出し、それを受け取った。

「毎日、寒くねぇか」

「……」

「夏は、暑いんじゃねぇか」

「……」

「俺もよぉ、目的があってタクシーなんてやってんだけど、お前はどうなんだよ。なんでホームレスやってんだ」

「いや、何でとかねーか。人生それぞれだもんな」

「星綺麗だよなー。東京なのに、こんなに見えるってのは嬉しいもんだ」

「俺の田舎も見えんだよ。星。そりゃー綺麗でさ。田舎だから。昔働いてたとこのすげー仲良かった同僚も、冬はこうして東京の空見ながら、オリオン座眺めて帰ってたっつってた」

「今何してんだろうなぁ」

タクシーの男はホームレスの相槌も反応も気にせず話した。
ただ、ひたすらに並べた、言葉。

「…」

そして、黙る。
白い息を吐き出して、それを眺めた。

「なぁ今日1日だけでいいからよ、家、来ねぇか。
少し酒に付き合ってくれよ」

言い残して、タクシーの方へ戻る男。

「…」

ホームレスはスっと立ち上がり、男の後ろについて行った。

―――

缶チューハイを片手に、男はホームレスにも缶を渡す。

「カンパチ」

「…」

「笑うところだぜ」

ホームレスは1口、酒を飲んだ。

何を話すでもなく、2人はテレビを見ながら酒を飲んだ。
深夜のバラエティでは、若手の芸人が大御所にいじられ笑いを取っていた。

「…さっき言った、俺の仲良かった同僚もよぉ、こうやって上司にいじられてはさ、面白い返しでその場を笑かすんだよ。天才だと思ったね。俺が同じことしても、笑いなんて取れないのにさ」

飲み終わった缶をゴシャと潰し、男はもう一本のチューハイをカシュと開けた。

「絶対あいつは出世すると思ったね。ゆくゆくは、営業の神になれると思った。みんながあいつ好きだったもん」

いじられる若手芸人の横で、どこか芸人の笑いよりも写りを気にした綺麗な笑いをする女優が映る。

「でもさー、そいつが言うんだよ、とある時の飲み会の帰りに、『俺、いつか全国周る仕事してーんだよ、色々な場所、見て回りたい。こうした取り引き先だけでなくさ、もっと色々な人と関わって、色々やりたいんだよな』って」

「なんだよそれ、この仕事辞めんのかよって、俺が聞いたらさ」

「『だからさ、俺、タクシーの運転手になろっかな』なんてバカみてぇなこと言いやがって」

「俺、飲んでたからかさ、すげー腹たってさ」

「そいつの営業先の発注書ひとつ、破棄してやったんだ」

大御所の芸人が、若手芸人の頭をガツンと叩いた。

「そしたら思ったより大事になって、そいつ、営業先まで謝りに行ったけど、ダメで」

「多分少し落ち込んでたんだろうな、営業車の運転ミスってさ」

「事故起こして、右半身ダメになっちまったんだよ」

「……」

「……」

テレビの、笑い声が響いた。
笑い声に包まれる部屋。

黙って酒を飲んでいるホームレス。

「なぁ、俺が言いたいこと、分かるだろ」

「…」

「お前だよな、柿本。お前なんだよな?カフェオレを左手で受け取った時に確信したよ、あぁ、やはり左手だって、そう思ったよ。俺さ、どうしても、どうしてもお前に謝りたくて、お前を探すためにタクシーの運転手になったんだ。お前なら、全国本当に転々としてそうだなって。そしたら、タクシー仲間に聞いたんだ、この公園に少しおかしなホームレスがいるって、ホームレスになったなんて思ってなかったけど、だって嫁もいたし子どももいたしな、でも、興味本位で見に行ってみたんだ。そしたら、何か見たことある面影なんだ。少し全体の右を遅らせて歩いてくる」

「…」

「暫くは声掛けれなくて、実は遠くから度々見に来てた。実は今日でお前を見つけて1年くらい経つんだ。気持ちわりぃだろ?俺もそう思う。ストーカーみたいだ。でも、どうしてもお前だって確証が欲しかった、というよりお前であって欲しいと思ったんだ」

音が煩わしくなったのか、男はテレビを消す。
若手芸人の笑顔のアップを映し、テレビは消えた。

「柿本、本当に、本当にすまなかった
事故を起こしてから、直ぐに俺がやった事がバレて、俺もクビになった。当たり前だよな、会社に大損起こして、お前みたいな優秀な人材ダメにして。
会いにも行かせてもらえなかった。でもな、本当に、本当に悔しかった。お前がタクシーの運転手になるなんて、そんなん、許せねぇと思った。俺が憧れてるお前が、タクシーの運転手なんか、ってそう思ったんだ」

涙と鼻水と嗚咽が、男の言葉を詰まらせる。
その涙を上回る量の言葉で、男は話す。
部屋が言葉で埋まっていく。

「もし許してくれるなら、俺の会社で働かないか。今、人が足りてねーんだ。勿論お前のことも話してある。運転だけじゃなくて、うちの会社は簡単な仕事があるんだ」

「…」

「それが、それしか、俺がお前に出来ることはなくて…」

「……」

「悪い、急に言われても、困るよな、ごめんな、俺少し、便所行ってくる……」

涙と鼻水を軽く拭ったあと、ホームレスの顔を見た。
初めて目が合った、男のその目は紛れもなく

「……」

男は便所の扉を閉めた。
泣き声と、少しの、笑い声が聞こえる。

―――

「……?」

男は目を覚ますと、便所の蓋に頭を置いていた。

「、!柿本!!」

急いで便所を出たが、ホームレスの姿は無かった。

「……」

空いた酒の缶が、テーブルの上にいくつか置かれていて、男はそれを集めて片付ける。

「ん」

机の上に置かれた、汚い字のメモ。

『きっと彼は恨んでないと思います。そして、彼は大丈夫』

その下に小さく書かれた、『ハマチ』の文字。

「それは…カンパチのあとに、返してくれよ」

―うぇーい、それでは皆さん…カンパチー!
ハマチー!トロマグロー!
―なんだよそれー!
―ただの乾杯だとつまらないので、俺が考えました!
―いらねー!柿本!いらねーよそれー!
―わはははは…

男の頭の中で、あの日の飲み会がリフレインする。

―柿本、俺、あれ気に入ったよ、カンパチー!
―じゃあ、俺がそれ言ったらお前ハマチ担当な。
―トロマグロは?
―とりあえず無しで!絶対ハマチ返せよ!
―しゃーねーなー!一緒にスべってやるよ!
―次の飲み会でやろうな!

「それで…終われば良かったのにな」

その後に起きた些細なケンカ。
男が起こした本当にしょうもない嫌がらせ。

それが2人を変えてしまった。

「でもなぁ」

缶を片付けながら男は思う。
俺が思ってたタクシー運転手なんか、はなんか、では無いと。

「お前の言う通り、色々見えてくるよ」

それを呟いて男はハッとした。

「そっか、俺、またお前のことわかってなかったのか」

支度をして、走って外に出る男。

会社のタクシーに乗り込み、空車にはせずあの公園に向かう。

だがそこにホームレス、柿本の姿はなかった。

そして、そのベンチには新しく手すりが出来ていて、寝転べない仕様に変わっていた。

「あの一晩で?」

男は力なく笑った。

夜、また男が来た時も柿本は現れなかった。

そしてその日以降も、柿本が姿を現すことは無かった。

「…いや。これで、良かったのか…」

これで、柿本はまた、どこかに旅に出たに違いない。

ベンチに近寄り、男はいくつかの傷がついた部分に爪で更に傷をつける。

『トロ』

いつかここにマグロが追加される事を祈って。

その時はまた、

今度はオリオン座見て、カンパチしよう。

タクシーは、音を立て、走り去った。

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