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解説「紹介的に」 徳永直

 戦後間もない1946年、新興出版社の新日本名作業書の一冊として、中野重治の短編集「鐡の話」が刊行されました。
 徳永直により、この単行本に解説として書かれた、中野重治という作家の紹介文です。


解説「紹介的に」


 戰爭が始まるまへ、始まつてから終るまでの約十年間のうちに大人になつた若い讀者は中野重治について多く知らぬだらうと思ふ。中野は二度監獄にゆき、彼の作品も永い間、いろんな形で讀者のまへから遠ざるように、日本軍ばつ政府がしてゐたからである。
 中野重治は日本でめづらしい作家である。一流の作家であり、一流の詩人であり、一流の評論家である。そして日本のプロレタリア的な文學、民主々義的な文學の草分けの一人である。ラヂオや講演會などでよく朗讀される「浪」や、「夜刈りの思ひ出」や、その他有名な時がたくさんある。
 小説では「汽車の罐焚き」とか、「村の家」とか、「空󠄁想家とシナリオ」とか、「村のあらまし」とか、いろいろ評判になつたものがたくさんあるが、この一本にをさめられたものは比較的初期の作品で、今日もなほ有名なものである。そのうちでも「鐵の話」「春さきの風」「わかもの」などは、當時の文壇をさわがせたものだ。
 これらの作が、何故文壇をさわがせたか、それは讀者が作について讀めばわかる。中野の文章の特徴の一つは、區切りが短かくてつよいことだ。そして短かくて奥行きがあることだ。若い讀者は一度讀んで、また半年くらい経つてからまた讀むとよい。それは一度くらい讀んでもわからぬといふのではなくて、一度読んでも面白いし、よくわかるが、二度めには、もっとよくわかる、といふ意味である。奥行のふかい文章といふものは、すべてそうである。
 中野は東京帝大出のインテリゲントであるが、文壇にでるその最初から、プロレタリア的、民主々義的な文學者としてあらはれた一人である。大正末期から昭和初期にかけて、日本文學のこの新らしい發展方向に参加したインテリ作家の多くは、かつてブルジョワ文學の方から轉向してきた人々であつたが、この點でも数少ない一人であつた。
 「鐡の話」をはじめ、これらの作の書かれた時期は、「三・一五」と、「四・一六」の大斷壓時代を中心としてゐる。「三・一五」とは一九二八年(昭和三年)三月十五日の未明を期して、日本全國にわたって日本共産黨を中心とする戦とう的な勞働者および革命的インテリゲントを一せいに檢擧し、無法な斷壓を加へた事件のことで、「四・一六」はその翌年の四月十六日、同じ目的を以て、日本の封建軍ばつ政府が行つた大檢擧のことである。この二つは日本の政治史にも、文化史にものこる有名な出來事であるが、この本に収められてゐる諸作は、作者が當時の斷壓にくつせず、民主々義的なものプロレタリア的なものを護るためのたたかひのなかから生れでたものである。その翌々年の一九三一年(昭和六年)には、「満洲事變」を强行しこんどの侵略戰爭の發端をつくつた軍ばつ政府の意圖をおもへば、この「三・一五」と「四・一六」の大斷壓が何のために行はれたかおのづからわかるし、したがつて「鐡の話」以下の諸作が、いま改めて當時を知らぬ若い讀者のまへにでる意義の大きさも、わかつてもらへるだらうと思ふ。
   一九四六年七月

                        徳永 直


底本:
 中野重治 著『鉄の話』,新興出版社,昭和21.
 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1134608 (参照 2023-05-19)

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