「何時も若々しい人」 室生犀星
室生先生、2024年のお誕生日おめでとうございます。
新潮社の室生犀星全集の目次からはこのタイトルが見つからなかったので、収録されていないのかも、と思い、ここぞとばかりに入力してみました。(青空文庫にも収録無し)
室生先生が、中野重治さんのはじめての全集発行にあたり寄せた一文です。
何時も若々しい人
中野君の全集が出るといふ話を聞いて、少し早いやうな気がしたが、考へて見ると、私の全集が非凡閣から出版されたのは、五十歳の時であつたから、中野君がいま五十八歳だとすると、八年間も遅れてゐることになつてゐる。金沢の高等学校時代からの中野君と私の間では、何時も年齢の計算をしなくとも、中野重治は何時も若々しいから全集の出版時期まで早いやうな気がして来たが、決して早くはないのだ。
此間血圧が高いといふ話を聞いた時も、血圧上昇の年齢かどうか疑ひを持つたくらゐであつた。十三も年が違ふと、対手をずつと若く見るくせが私にあつて、中野重治は何時も私にはすべすべした顔付で、眼の前に現はれてくるのである。恐らく中野重治といふ人は六十歳になつても、わかわかしいのではないか、これは学生時分を知つてゐる私だけの印象ではなく、中野重治といふ名前と、いままでして来た仕事の性質にあるわかさが、中野重治の背景や前景気になつてゐる。それに小説にある未完成の風体と、文章にある言ひまはしが元の本論にもどる行方なぞ、何時も若くて追従を許さない点なぞそれだ。
たとへば中野君の詩は僅か数十篇に過ぎないが、数が尠ないだけに覇気もあり美しくもあつて、堀辰雄君の十数篇の詩とともに、二人の作家がいとしくも生ひ立つた羽ばたきの微妙をかなでてゐる。そして自らの才をむだにしなかつた点で、私なぞ数巻の詩集を抱へてゐても、二君の十数篇の詩には及ばない。
中野重治は詩とか詩らしい方向にまがると、大抵、作品の成功があつたが、智識の方にまがると読みにくくなるのだ。この人は自分の智識といふものを詩よりも大切にしてゐる点で、詩に就ては時々冷たい眼付をするやうになつたが、実際は詩らしいものを沢山に持つてゐる人だから、故意に危ながつてよそよそしい態度をとるのである。好きな人に好きなといふことを言ひ現はさない、詩についてもさういふ態度を取つてゐる人なのである。
中野君と四十年くらゐの交際はあるが、私の家にふらりと遊びに来たことが一度もない。私もふらりと中野君を訪ねたことは、去年の十二月いまの家の近くまで道具類を見に往き、血圧が高いとかいふので寄つて見たが、幾らベルを押しても誰も取次に出て来ないので、留守かと思つてその儘くるまに引き返すと、同乗の堀多恵子が降りて来てベルといふ物は確かり押さないと、鳴らない物だと言つて、自分で押して見てくれた。ベルは奥の方でじいと鳴つた。私は人を訪ねたことがないので、ベルの押し方を知らない男であつた。
奥さんが出て見え、私も奥さんも、忙し相に早口に血圧の事や薬の事、それから全集が出るさうだがそれもおめでたうといふふうに、せかせかと花火線香のやうに喋つた。同乗の娘も降りて来て何を喋つたのか判らない十分間くらゐが過ぎた。親類のをぢさんが同じ親類に立ち寄つて、少時、息もつかずに話してゐたやうな景観であつた。その十分間で一年分くらゐお互の話を分け合つて、愉しく笑つて別れた。われわれは一時間も座り込んで話をするより、玄関で何を喋つたのか判らない十分間で、急き込んで何年分かを喋べることは後まで笑ひがのこるのである。
これも余談であるが、「むらぎも」の中に私の顔の形容を中野君は鮴のやうだと書いてあつて、その当時、私は抗議しようと思ひながら、わすれてゐた。こんどの全集ではこの鮴のやうな顔であるところは、「彼は年を取つても頭髪は黒く、シラガが見えない、まるで犀川の鮴の頭のやうに髪はつやつやしてゐる。」とでも、訂正すべきではないか。中野君、あれは一つ是非とも直して下さい。一体に文士といふものは書く時はすらすらと書いて、書いたことに悪気は特にないものである。それを知つてゐるから私は抗議しなかつたのである。読者の為に敢て書き留めて置くなら、ごり(鮴)といふ川魚は大きく育たないで、顔は三角にまがり、頭部に二本の鋭い針があつて、皮は、うるしのやうに黒くつやつやしてある。これを水から離して見ると悲しげな鳴き声をあげる魚である。清冽な浅瀬の石の上に好んで休憩、或ひは遊泳するものである。中野君はきつと福井県の田舎の川で、それを捕まへようとして何時も逃げられ、くやしさうに筒袖の子供姿でそれを見送つてゐたのであらう。
底本:中野重治全集 1巻月報(昭和34年3月)筑摩書房
個人の趣味による入力のため、誤字脱字その他についてはご容赦ください。
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