夏の終わりに考える。
そういえば夏も終わりだ。
全身が汗でじめっとしているような夏。かと思えば冷房の寒さに震えあがる時間も長くて、気温差で風邪をひきそうになる。
花火とか夏祭りとか海のような夏らしいことなんて例年まったく縁がないのに、どこかから漂ってくる夏の音や匂い、人の楽しそうな声がない夏は物足りなく感じた。「夏のイベントなんて私に関係ない」とうそぶきながらも、漏れ出てくるものからしっかり夏を感じていたのだなと気づいた。
あったはずのオリンピックがなくなって、かわりに猛暑をマスクの中で喘ぐように過ごした日々。外国人観光客の姿は見なくなって久しく、人と人がアクリル板やフェイスシールドで仕切られるのも日常の風景になった。不安な世の中で、首相も辞めた。
少し前まではこんな日常が来るなんて誰も思っていなかったよなあ、とよく思う。世の中のこともそうだし、私個人としての出来事もそう。
1年前、結婚を考えた人がいた。それまで自分にとってはあまり現実的なことではなかったけれど、一緒にいるということがすごく自然に考えられた相手だった。一緒に暮らして、子どもを産んで、年をとっても手をつないで歩いている、という光景がごく自然に浮かんだ。
いろいろあって結局は破綻してしまったのだけれど、ああいう気持ちになることがあるんだなあ、という気づきに私の世界が変わった気がした。
それと今。1か月後の転職に向けて、あと何週間かすれば私は初めての土地に引っ越すことになる。これまで縁のなかった西の田舎町だ。
初めてやる仕事、初めての場所。初めて出会ういろんな人たち。望んで手にした転職だけれど、期待も不安もとても新鮮だ。
いろんなことに振り回されて、いつも想像もしなかった未来の渦中にいる。コロナのせいで世の中にはたくさんの不幸が生まれているけれど、負の側面だけではないと思いたい。
1年後にはきっとまた、今は想像もしない出来事が転がっているのだろう。
何が起こっても受け入れて、軽やかに面白がっていられたらいいなあ。
過去と未来に挟まれて、そんなことを思う夏の終わり。