12年経った
干支が一巡した。
年長だった息子は高3になった。
12年前の今日、友達がこの世を去った。
彼女は、いつも一緒にいる友達だった。
部活も、お昼のお弁当タイムも。
一緒に行こう、と約束をしてしているわけではないけれど、いつも一緒にいた気がする。
彼女とはソウルメイトだったのかもしれない(笑
今までそんなこと思ったことないけれど、まさに今日、そんなことをふっと思った。
見た目の特徴や性質、誕生日、血液型は正反対、感情の表し方も反対。
思考は似たり寄ったり、趣味も似たり寄ったり、テニスの技術も似たり寄ったり。
お互いの大学に入って、テニス部を選んだり、教育実習も一緒だったり、卒業してからスキーツアーに行ったり、テニスしたり、フットサルしたり。
いつも一緒にいた仲間で会うことよりも、二人であることの方が多かったかもしれない。
朝時計を見ると、彼女の誕生日だったり・・・まぁ、毎日同じルーティンの繰り返しではあるから、同じ数字を見る可能性は高いんだけど。
私が彼女と一緒にいるのはとても居心地がよかったように、彼女も想ってくれていたのかな。
彼女が亡くなって弔問したときに、妹さんから言われたこと。
「自分のことをあまり話さなかった姉が、一番話をしていたのが、なぎさんでした」
きっと同じように想ってくれたいたのだと感じて、さらに涙が出た。
友達と弔問に行ったはずなのに、なぜ妹さんと、庭が見える窓際に座って橋をしていたのか、思い出せない。
彼女が乗ってた、カワサキの緑のバイクが印象的だった。
彼女の名前と私の名前は、1文字目が同じだ。
もし、偽名を名乗ることがあったらこっそり借りようと思っていた。
ある日、「SNSに登録したんだけど、本名はいやだから、なぎの下の名前を借りたから」と連絡がきた。
考え方、似たり寄ったり。
彼女の戒名は、ぼんやりとしか覚えていないけど、私の名前がひっくり返った名前みたいだった。
彼女がこの名前を持つと、こんな柔らかい雰囲気になるのかと、優しい気持ちになった記憶がよみがえる。
彼女との思い出を全部書くことはできないけれど、何を見ても彼女を思い出せるくらいには、いろんなことを一緒にした。
ということを、今日思い出していた。
過去を思い出すということは、脳は現在体験しているということ。
時間軸を認識するところと、記憶は別の領域だから。
つらい記憶は思い出さないようにした。
12年経った。
12年前の私は泣いてばかりいたけど、そのあと強くなった。
行動的になったし、少し社交的にもなった。
ここ数年は元気が出なくて行動も人と会うのも億劫になっていたけど、干支が一巡した。
もう一回、奮起してみようかな。12年前と同じように。
今も、私を元気づけてくれる友達に出会えて、幸せだと思う。
でも、ほんとは、まだ一緒にいたかったな。
会いたいときに、会いたかったな。