「好古都国」の地形と役割
本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形読み」によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。
「好古都国(カウツコク)」… 「八代海」を囲った「天草上下島(好古都国)」内になります。
〇私の勉強では、「大八島国」時代の「弥奴国」同盟国が、「已百支国、都支国、弥奴国」の「筑紫国」であり,左回りに書かれた次の「好古都国」同盟が、「好古都国、不呼国、姐奴国、投馬国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国」の七ヶ国同盟が「豊国」となります。
熊本平野の「鬼国」同盟国である「華奴蘇奴国、鬼国、呼邑国、鬼奴国」の四ヶ国が「肥国」になり、「邪馬壱国」同盟国内であった「筑後国」範囲の「邪馬国、巴利国、支惟国」同盟国が「熊曽国」になります。
しかし、この「熊曽国」の三ヶ国は、「大八島国」制定時に「邪馬壱国」同盟国から「九州人国」体制内に寝返りました。
しかし、紀元前の時代から「卑弥呼」が死んだ西暦248年の400年以上続いた「邪馬壱国」倭王国の滅亡は、「倭国」内に大変革をもたらしました。
〇1,「邪馬壱国」同盟国内の「伊邪国、邪馬壱国、烏奴国、躬臣国」が存在した筑紫平野全域を「子淡道之穂之狭別島」統一王権が没収しました。
〇2,没収した「邪馬壱国」同盟四ヶ国全国が「好古都国同盟国(豊国)」内に委譲されました。
〇3,「邪馬壱国」同盟全国内の四ヶ国民衆全員は、現在鹿児島県の薩摩地区を国内とする「不呼国」内に強制移住されました。
〇4,「邪馬壱国」同盟四ヶ国内の大人と、「倭国」内全国大人は、「好古都国」七ヶ国内の六ヶ国内大人が率いて統一王権国である「狗奴国」に移住しました。
〇5,空になり「大八島国」体制内で「大倭豊秋津島」と命名された筑紫平野の「邪馬壱国」同盟の四ヶ国内領土には、「好古都国(豊国)」同盟国の六ヶ国が移住しました。
ここまでが一段落ですが、
『古事記』内の「大八島国」記載の後に「六島、十神」の「島、神」名内で、「狗奴国」内に王国を創建した「狗奴国王、倭国倭王権者」を「台与」体制が拘束し、「狗奴国」内に「台与」単独統一王権を築く過程が書かれています。
そして、「台与」王権体制となった「狗奴国」内の「狗奴国王、倭国倭王権者」は、「台与」体制の連合国である「狗邪韓国渡来人国」内の「伊都国」の「糸島」内王宮に監禁しました。
〇「邪馬壱国」倭王国時代の「伊都国」の「糸島」内では、「邪馬壱国」から倭王権を委譲された,「卑弥呼」と「爾支、泄謨觚、柄渠觚(斯馬国・伊万里湾地区王が組織した)」が倭王権を執行していましたから王宮が有ったはずです。
ともかく、「狗奴国」内に「台与」統一王権が成立すると「大倭豊秋津島(筑紫平野)」内に移住した「豊国(好古都国同盟国)」六ヶ国は、「狗奴国」内に移され「狗奴国」内に「豊国」の全住民が移動されて「狗奴国」内に「豊国」名が移りました。
筑紫平野の「大倭豊秋津島」は、「台与」体制が取り戻して「女島(ヒメシマ)」と命名されたした
そして、「不呼国」内に強制移住された「邪馬壱国」民衆は、「台与」統一王権体制国民と成り、「好古都国(豊国)」同盟国範囲の総てを「台与」王権体制内にして、
「倭国」の基本勢力であった同盟国が半分の七ヶ国になってしまいました。
「好古都国」… 地形読み結果
カ 「邪馬壱国」倭王国体勢内となった
ウ 「倭国」内に交わり
ツ 「有明海、島原湾、八代海、橘湾」が交わる
コ 「有明海、島原湾、八代海、橘湾」内の「八代海」を集めた(囲った)
ク 「天草上下島(好古都国)」内に交わる
「好古都国」… 役割
カ 「邪馬壱国」倭王国体制内になった
ウ 「倭国」を交わる
ツ 「倭国」内「倭国統一三ヶ国盟主王連合」内に交わった
コ 「弥奴国王、斯馬国・北九十九島地区王」が集まる
ク 「弥奴国王、斯馬国,北九十九島地区王」内の「斯馬国・北九十九島地区王」内に交わる(従う)
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