見出し画像

「吉野ヶ里遺跡」内石棺墓に埋葬品なし

「吉野ヶ里遺跡」内の「日吉神社」敷地内の石棺墓の発掘において、赤色顔料が確認されたが、 骨や副葬品が全くなかったとユーチューブで見ました。

私の個人的な感想です。
「吉野ヶ里遺跡」内の日吉神社の(ヒヨシ)の「音形」読み深読みです
ヒ x・形状内、別体形が 立体内に つながりきる
  倭国・形状内、邪馬壱国の 立体内に つながりきった
ヨ x・重なり形が 立体内に 集まる
 (邪馬壱国内;)吉野ヶ里遺跡・重なり形(吉野ヶ里遺跡敷地内となっ         た)の 立体内に 集めて
シ x・交連形が 立体内に つながりきる
 (吉野ヶ里遺跡内;)徐福、狗邪韓国王・交連形(業績、子孫)を                  立 体内に  つなげきった(祭った)
〇音形読み結果…
「倭国」内の「邪馬壱国」内につながりきった「吉野ヶ里遺跡」内に集まる、「徐福、狗邪韓国王」の業績、子孫を つなげきった(祭った)。
と読むことが出来ます。

「倭国」倭王国を数百年続けた「邪馬壱国」内の建国者が住み、「卑弥呼」の母国でもあって国内の高地にあり、先祖を祭る神社を備えた敷地内に赤色顔料に包まれた石棺墓。埋葬品が何もない。そんな訳がない。私の感想です。

「魏志倭人伝」内に「倭女王国」と「狗奴国」の戦争が書かれています。西暦248年に「卑弥呼」が死にます。「卑弥呼」は、「邪馬壱国」と共にだけ存在できる女王名です。「卑弥呼」の死は「邪馬壱国」の滅亡を意味します。

「邪馬壱国」倭王国が滅亡した後に誕生した国は、『古事記内・子淡道之穂之狭別島(邪馬台国)』の「狗奴国」が主要国となった「伊耶那岐命、伊邪那美命」体制です。
「伊耶那岐命、伊邪那美命」体制内には、「狗奴国、倭国、邪馬壱国」が連合されています。

この「伊耶那岐命、伊邪那美命」体制の母国は「狗奴国」です。「狗奴国」は、「周防灘」面にあり、九州島の東面です。東面内となって「大隅半島」迄の日向地方の全国を「伊耶那岐命、伊邪那美命」体制が統合しました。

(この後の文章は、全く私の想像です)
戦いで勝利した兵は、勢いに任せて新領土内に侵攻するというのが私の感覚です。日本全国に「徐福」上陸地の伝説が残っていると言います。ある場所の「徐福」上陸伝説地の「中国渡来人国」が、「吉野ヶ里遺跡」内石棺墓内の人を偲んで「遺骨、副葬品」を移動したのではと想像します。

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形」読み、によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?