永代和盛の囲碁人生 Vol.20 (番外編・お金について 1)
小学生のころの将来の夢
小学校の卒業アルバムで将来の夢は「お金持ちになること」と書いた。
特に他に夢が思い付かなかったからだ。
当時は小学六年生から故郷である長崎を出て、囲碁棋士を目指す院生になっていたくせに‥(笑)
何となく、当時に流行っていた音楽でミスチルやシャ乱Qなどを聞いていたから、こういう人達みたいに一発当てて有名になればお金とかもたくさん入ってくるんだろうなぁ‥という単純な発想のような気がする。
色んな意味でお金のことを何も知らないただの世間知らずのガキンちょだった。
中学三年生の6月ごろ
院生の寮が閉鎖された。親の気持ちとしては不真面目な院生生活(学校生活は真面目)だし、師匠もいないし、ここらで潮時だ。永代少年を帰郷させようとなった。実際に電話でそう言われたのも覚えている。ここで永代少年は覚悟を決めた。
長崎には帰らないと。
ここもはっきりと覚えている。仮に親と縁を切られても、バイトして生活費と院生の受講料を払っていこうと考えたのだ。
こう考えたときにお金の恐ろしさを分かった気がする。お金がないと、思うような活動もできない。でも仕方ない。
お金がないなら、ないなりに動くしかない。
たとえ時間のやりくりがうまくいかなかったり、体力の問題が起きて、プロになれなくても仕方ない。後悔がないのはこの道だと考えた。
長崎に帰るよりはプロになる確率は高い。
今の自分にできることはこれしかないと思ったのが理由だ。
ここでプロを諦めるのは負け犬だと、なぜか極度の負けず嫌いが覚醒した。
親の対応
これまで不真面目な院生だったはずなのに、いきなりこの覚悟を持った永代少年には親もかなり驚いたとは思う。
しかし、結果的にはその覚悟を受け入れてくれて、その後に十分な仕送りをしてくれることになった。
・中学三年生にして一人暮らしをするため。
・バイトをしないで済むように勉強時間を確保してくれるため。
・岩田教室(岩田門下入り)に通って勉強の質を高めるため。
これらを実行する為にはかなりの仕送りが必要だった。
費用は寮生時代から一気に倍以上に跳ね上がった。
仮に大人になった自分が、今いる2人の子供のためにここまでしてあげられるか。お金の余裕と気持ちの余裕があるか。
もし、なかったら借金をしてでもやらせるか。
分からない。
(ちなみに永代家は4人兄弟で、私は末っ子)
全体的に言うと、当時の親の行動は正解なのか分からない。
・永代少年を甘やかしてしまった可能性もある。
・支援をしないと永代少年は潰れてしまったかもしれない。
しかし、このおかげでその後の四年間ほどは、環境としてはこれ以上のものはなかった。あとはそれを生かすのは自分次第という環境までは用意してもらえた。
プロになるということだけで言うと、結果的には私の甘さが色々とあり、プロにはなれなかった。親には感謝以外に言葉は見当たらないが、ここまでしてくれたのにプロになれなかったという申し訳なさもある。気持ちの面でもお金の面でも。
環境をつかみ取った要因
・親に資金力があって、囲碁に理解があった。とても幸運だった。
・永代少年が覚悟を決めて自力でつかみ取った。周りの説得を諦めさせるどころか、応援してくれる態勢へ導いた。
この半分ずつだと思う。
どちらが欠けていても今の人生はなかっただろう。
このときに覚悟を感じ取ってくれたのか、当時の寮長さん、寮母さん夫妻がものすごく応援してくれたことは追記しておきたい。これはのちほど詳しく書くことにする。
お金の感覚
仕送り後のお金のやりくりは全部、自分でやった。
家賃の振込、教室の月謝払い、生活費。
このあたりで夢や希望に出資するという感覚は体験できたのかもしれない。
出資される側として。
お金というものの存在を漠然とだが理解し始めていた。
(本当の意味でのお金を理解するのはまだ当面、先の話だが。)
結果
自分が考え得る精一杯のことをしてプロになれないなら仕方がない。
そうは思えなかったから申し訳なさが出てくるのだ。
自分なりにはまぁまぁ頑張ったと思う。
しかし、プロになっていった人よりは頑張っていないとも思う。
そして、プロになるという結果以外のもので得たものは。
これは人それぞれで感じ方は違うだろう。
永代家の親としてはどうだっただろうか。永代少年はとても良い経験を積んだ。20歳ちょうどの帰郷時には精神的に完全に自立していた。それまでの投資が高いものか安いものか。
この結果を知るには親本人に聞くより方法はないが、これまでの文章を見てきた人は分かるだろう。
私は聞かない。
つづく
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