永代囲碁塾
永代囲碁塾 塾長の永代和盛が率直な感想を、本音で書いています。
特別編 【囲碁界が詰んできた(後編)】 特別編 【囲碁界が詰んできた(前編)】 NO.32 【院生の昼食、寮生の食事】 NO.31 【院生のシステム】 NO.30 【中学二年②・林間学校など】 長男編 【囲碁人生が始まる日】 NO.29 【中学二年①・三谷少年】 NO.28 【中学一年・3学期(仁風会特別編】 NO.27 【中学一年・3学期(仁風会編2】 NO.26 【中学一年・3学期(仁風会編1】 NO.25 【中学一年・3学期】 NO.24 【
【 囲碁普及の定義 】囲碁界が年々と厳しい状況になっております。 この厳しい状況を打開するためには、囲碁普及をするよりありません。 誰しもが分かっていることです。 ただ、SNS等を見ていると「囲碁普及の定義」が人によってバラバラのように感じます。 私なりに囲碁普及の定義を定めて、議論がすっきりと進むように後押ししたいと思います。 【 普及とは? 】普及という言葉の意味を調べました。 1. 広く行き渡ること。 2. 物が多くの人々の手に届くようになること。 【 囲碁普及と
前編と中編1はこちら↓↓ 永代は「元」お坊ちゃん(前編) 永代は「元」お坊ちゃん(中編1) 実家に帰ってからのお坊ちゃん 11歳(小学6年)〜20歳直前まで、10代のほぼ全てで囲碁のプロ修行をさせてもらいました。好きなことを長々とやらせてもらえるなんて本当に「お坊ちゃん」ですね。 ただ、囲碁棋士を目指すというのは勝負の世界に身を置くということです。激しい競争社会は「ただのお坊ちゃん」ではすぐさま脱落していきます。棋士にはなれませんでしたが、厳しい修行を長い期間耐え
前編はこちら↓↓ 永代は「元」お坊ちゃん(前編) お坊ちゃんの定義 前編で永代家は家柄的には大したお坊ちゃんではないことが分かりました。本物のお坊ちゃんなら、金銭面では不自由しない青春時代を送るはずです。 私が子供の頃には母親から「うちにはお金はない」と言われて育ってきました。当時は間に受けてそんなものなんだなぁと思っていたものです。兄弟全員もそう思っていたのではないでしょうか。今度聞いてみようかな(笑) 「収入がないわけではないが、子供四人を育てるのには余裕が
私は長崎県島原市という田舎で生まれて、小学五年生まで過ごしました。 そして、小学六年生で実家を出てからは至るところで「永代はお坊ちゃんだからね」と言われ続けてきました。 まぁ、今でも大して変わりないことなのですが、当時から周りの人から何か言われようともあまり気になりませんでした。お坊ちゃんと言われても「何を言ってるの?意味わかんね」くらいなものです。 しかし大人になった今は色々と考えるところがあります。お坊ちゃんと呼ばれるのはなぜか。私の生まれ持った雰囲気がそう感じ
囲碁インストラクターの心構え ←クリック 前回の記事では、囲碁が職業という全体的な観点から紹介させていただきました。 今回は囲碁レッスンの心構えとして、盤上の指導について心掛けていることを紹介していきます。 モットー1 少ない言葉で分かりやすく 元々、インストラクターと生徒の間では実力差があります。インストラクター同士で検討をするような感じで生徒に説明してもちんぷんかんぷんになるのは想像に難くないでしょう。 そこで私が心掛けているのが、本質的で大事なものだけを重点的
囲碁のインストラクター歴は約17年 20歳のときに長崎の実家での子供囲碁塾から始まって、今では囲碁が好きな方ならどなたでも指導させていただいています。 初めの3年は子供囲碁塾だけだったので、とにかく子供たちに楽しんでもらうように指導していただけです。 子供は楽しく続けてくれれば、勝手に強くなりますからね。 その後は関東にて、子供囲碁塾と碁会所の経営を通じて、指導方法を徹底的に研究しました。(指導方法はまたのちほど) それからずっと試行錯誤を続けて現在に至ります。
①ヒアリング ・棋力 ・棋風 ・得意分野と苦手分野 ・普段どのような場所で、どのような勉強をしているか ・どのような勉強をしたいかご要望など まずヒアリングを通して、どのようなレッスンをするかイメージします。 ②日時と場所決め 今回はリクエストを聞いて東洋囲碁(タイゼム)とZOOMの組み合わせということで、東洋囲碁のIDを確認。ZOOMの部屋を作成。 ③レッスン当日(1時間半) ・指導碁(1時間) まだ初めて3か月とのことで19路三子。 随時、石の方向性などを中心
前編はこちら↓↓ 囲碁界が詰んできた(前編) 囲碁界のマインド コロナ問題で瀕死の囲碁界。 ほぼ詰みかけているように見えます。 しかし、コロナはただの決定打というだけであって、元々の業界的な構造や考え方に問題がありました。 これから個人的な見解を述べさせていただきます。 棋士の修業時代 棋士の修業期間には棋力向上を中心に指導されます。 礼儀作法も指導されますが、これはファーストコンタクトのみの話で、実際にコミュニケーションを取る以降の話はほぼ皆無に等しいです。
コロナの影響が世界中に広がっています。 外食産業や趣味などは自粛傾向まっしぐらですね。 在宅関係以外はほぼアウトのような雰囲気です。 そして、趣味や娯楽に位置付けられている囲碁界も、コロナの刃がもろに直撃しています。 先日の非常事態宣言を受けて、永代塾囲碁サロンも一ヶ月の休業としました。他の碁会所を見渡してみても休業しているところが多いですね。 本当は非常事態宣言が出たからといって強制指示ではないので、営業しても構いません。 あくまで社会情勢を鑑みての自主的な休
外出の自粛要請の影響でネットで囲碁を楽しむ方法を模索している方も多いかもしれません。そんな方々のためにネットのサイトをご紹介いたします。 まずは日中韓を代表する3つの「ネット対局場」をご紹介。 幽玄の間(日本) 幽玄の間(日本) ←クリック 「日本棋院」が運営する、言わずと知れた日本を代表とするネット対局場の大御所。売りはタイトル戦の生中継や、注目される手合いを中継したりすることでしょうか。 ・無料会員は対局数制限あり、棋士の手合い中継の制限あり ・有料会員は対局数
幕張囲碁研修センターでは寮長母さんが常駐しています。 その流れで院生手合の昼食も寮母さんが作ってくれます。 さすがに普段とは違い、人数が半端ないので別でお手伝いに来てくれる人がいました。 食堂 30席分くらいのスペースがあります。 さらに2mほどの高さがある本棚が壁一面に。 本の数は数百冊規模です。 あとは500mlのペットボトルが10本ほど入る冷蔵庫。 30インチくらいのテレビ。 テレビには大変お世話になりました(笑) 壁には僕が院生に入った年の入段者の紹介が額縁に入
私が入った当時を紹介します。 1995年頃の院生研修 ・第二土曜日+毎週日曜日で月5回。 ・研修時間は9時半〜16時半ごろ。 (クラスによって対局数や持ち時間が違うため、終わり時間は異なる) ・この頃の院生数は約60人。 ・毎回、院生師範(棋士)が2名常駐。 この頃は新垣武先生、鄭銘瑝先生、北村洋司先生。 【A〜Cクラス】 ・各クラス12人 ・総当たりで毎月11局。 ・初回のみ1日3局(持ち時間は40分と秒読みが60秒) ・あとの4回は1日2局
真面目か不真面目か 永代少年は学校に真面目に通い(行くの当たり前ですけど)、部活も平日は皆勤賞。 宿題もこなし、テスト勉強もそれなりにしている中学生でした。 しかし、こんな中学生だと院生内では「不真面目」と呼ばれてしまいます。 それは囲碁の勉強時間が取れなくなるからです。 そして、院生の先輩からは「遊び虫」というあだ名までいただいてしまいました。(これは多分、学校に真面目に通っているからだけではない) 院生でこんなあだ名をつけられるのは不名誉なことですが、実は
5歳の長男が洪道場に行ってきた ひな祭りも終わり、日に日にぽかぽか陽気を感じられるようになってきた。しかし、今日はそんな季節には珍しいほどの肌寒い日だった。 何かが起こる。そんなことを思わせる天気だ。 そんな日に5歳の長男が囲碁道場へ初めて行ってきた。 そこは杉並区阿佐ヶ谷の閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる一軒家。 玄関口には「洪道場」と書かれた表札がある。 私はそれを見た瞬間に後光のようなまばゆい光が発せられるような錯覚に陥った。 何の変哲もないただの表札から
この時期からは記憶が曖昧なので、細かい時系列は気にせずに大まかに書いていきます。 てっちゃん この頃に小学六年生の三谷哲也少年(現プロ七段)が幕張囲碁研修センターへ入寮してきました。 三谷少年のあだ名は「てっちゃん」です。 永代少年にとって初めての後輩です。しかも日本人の寮生と一緒に住むのは初めてでした。あれ?幕張って日本だよね?(笑) (他の寮生はロシア、ルーマニア、フランス、台湾など) てっちゃんは群馬県出身。 院生に入った当時は趙治勲門下の内弟子だったのですが