夢を追うこと(囲碁編) NO.2
私が提言したいのは、
「常識は…」とか「普通は…」
ではなく、自分自身のオリジナル意見で未来ある子供の事を考えてもらいたいという事です。
小学生の時なら夢を持ってサッカーをしてもいいが、大学に入ったらサッカーは辞めて就職活動をしなさいといった事はよく言われるでしょう。常識と言われる範囲内ですね。
これを小学生に
「大人になったら、生活もしなくてはいけなくて、好きな事はできにくくなるから今のうちに満足するまでサッカーをやっておきなさい」
とか、「サッカーで食べていくのは大変だから、今のうちに手に職をつけられるような勉強をしなさい」というアドバイスならありだと思います。
自分はそのようなアドバイスはしませんがこれは作戦の一環でしょう。
「そんなのは夢がない」と言われそうですね。
でも、どうせ就職活動の時期になるとそのようなアドバイスをする人で溢れてくるのです。
そんなアドバイスをしないでも済むような才能を持っている人間は世界でも本当に数えるほどしかいないでしょう。
大半は「私はあなたの事を心配してる」という体で、「常識」を説明してきます。
でも、それは他人の常識であって、相談者本人の常識ではない事が多いです。
その場合は、いわゆる「他人への押し付け」なのです。
理由は私には分かりません。
・心配はしているものの、どうアドバイスをしていいか分からずにとりあえず常識を説明する。
・何も考えず(本人の事は考えずに)に「常識」=正しい
という思い込みを押し付けるというのはよくある光景です。
上記ならまだしも、
・自分が失敗したことだからそれは難しいよ
・囲碁業界は儲からないからやめたほうがいいよ。
と、自分視点でしかないアドバイスもちらほらと・・・。
要するに相談者本人には関係のない事ばかりです。
大事にしているのは相談者本人ではなく「自分の正当化」
相談された側は、自分の意見を正解と思いたいだけなのです。
だって、そうしないと自分の人生を否定されるような気がするからです。
それで結果ありきの議論となってしまうのです。
そうではなく、
自分は自分。他人は他人。
それでいいのになぁと思います。
その人だけのためのオリジナルの相談をしてあげればいいと思います。
自分の事とか全く関係ないですよね。
その考えを割り切れる人は、真剣に色んなパターンを考えてあげて、親身に話を聞いてくれるはずです。
最初から常識を説明せずに、全ての話を相談者本人から聞いて、常識抜きで真剣にオリジナルの議論してくれるはずです。
否定ありきの議論ではなく…。
自分が言いたいのは、
「プロになれるかなれないか、もしくはプロになっても立派に稼げるかどうか」
だけを成功の基準にしてほしくないということです。
それならば誰もプロなんて目指さなくていいと思うし、誰もプロを目指せなくなるでしょう。
そんなリスクの高い事は自分でも賛同できません。
それよりも大事な事が人生にはあるのではないでしょうか。
NO.3へ つづく