囲碁人生が始まる日(長男編)
5歳の長男が洪道場に行ってきた
ひな祭りも終わり、日に日にぽかぽか陽気を感じられるようになってきた。しかし、今日はそんな季節には珍しいほどの肌寒い日だった。
何かが起こる。そんなことを思わせる天気だ。
そんな日に5歳の長男が囲碁道場へ初めて行ってきた。
そこは杉並区阿佐ヶ谷の閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる一軒家。
玄関口には「洪道場」と書かれた表札がある。
私はそれを見た瞬間に後光のようなまばゆい光が発せられるような錯覚に陥った。
何の変哲もないただの表札から威厳のようなものを感じ取ったのだ。
これは表札が発しているものではない。
見るものが勝手に想像をして、思いをふくらませているのだ。
洪道場は関東で囲碁棋士を目指す子供たちなら知らない者はいないのではないだろうか。
いや、関東だけではない。
日本全体でもどうか。
それほどの実績を持つ道場である。
現在の道場出身棋士は23人にものぼる。
芝野虎丸、一力遼、藤沢里菜とそうそうたる顔触れだ。
これを見ると今や日本一の名門と言っても過言ではないかもしれない。
ここは囲碁教室ではない。
囲碁道場だ。
洪道場である。
修行の場
道場の中に入ってみると私にとっては懐かしい雰囲気を感じた。私の修行時代も、師匠の自宅でこのように門下生が集まって勉強していたからだ。
少しだけ洪清泉プロとお話をしてから、さっそく勉強部屋へ。
普通の一軒家だが、ひとたび碁盤が出てくると、そこには糸が張り詰めたような緊張感が漂う。
普通の子供なら天井から重しがかけられているような、この空気には耐えられないだろう。すぐに逃げ出したくなるはずだ。
そんな場所に5歳の長男が足を踏み入れた。
それは幸か不幸か。
囲碁が強くなるだけなら申し分のない空気だ。
しかし、たかだか5歳児に耐えられるのか。
詰碁タイムトライアル
さらに追い討ちをかけるように、いきなり対局時計でタイマーをセットされ、長男の目の前に詰碁の問題集が置かれた。
洪「実力を測りたいから、30分でできるだけ解いてね。スタート!」
洪先生が「カシャッ」と対局時計を押した音だけが室内に鳴り響く。
ここからは誰でもない、長男自身の戦いだ。
こうなってしまっては、親としては視界に入らないように端っこで息を潜めて見守っておくよりない。長男に、親の存在自体を思い出させないように。これが親としてできる精一杯の気遣いだ。
勝負の場面では支えとなるものはすぐ隣にいるべきではない。心の中にだけいるべきだ。
いつだって新しい世界を切り開いていくのは己の腕のみ。
道なき道を歩いて行くのは己の足のみ。
親というものはその支えでしかない。
甘えというものは勝負の世界では邪魔者以外の何者でもない。
支え以上のものは何もいらない。
長男はこれまで遊びの延長線上で囲碁をやっていた。当然、詰碁のタイムトライアルのようなものなどしたことはない。どういう気持ちで臨んだかは知るよしもない。
詰碁を解いていて、ふと前を向くとそこには壁がある。
なぜ、そんな向きで詰碁を解かせるのか。
余計なものを視界に入れずに詰碁に集中させるためだ。
自分自身との戦いに集中させるために。
この空間は、これまでの長男にしたらスパルタであることは間違いない。しかし、この碁石の音のみが鳴り響くような静寂な空間で、無言のプレッシャーを受けながら30分座ったままでやり切った。
私としてはもうそれだけで十分だと思った。
正解数などの問題ではない。
この時期はいかに座ってられるか。さらにどれくらいの時間を集中していられるか。
これこそがいちばんの問題である。
技術はいつでもどこでも学べる。
それこそ本からでもAIからでも習える。
しかし、この勝負の場、いわゆる生きた空間での体験というのはそんなものでは味わえない。
修羅場の積み重ねこそが全てなのだ。
今後、大会やプロ試験で様々な勝負所を迎えることだろう。
ある程度までいくと技術はそう大して変わらなくなってくる。高レベルになればなるほど、技術の差は感じにくくなってくるのだ。
そこで大事になってくるのは「精神力」という名の「自信」だ。
私の長い修行期間での実体験から言えるのは、対局前に自信を持って席に座れるかどうかで勝率は大きく変わる。
対局前に大方の勝負がついていると言っても過言ではない。
・自分のほうが相手より強い
・自分のほうが相手より努力してきた
・自分のほうが相手より我慢した
こういう自信を持っていると、本番のときは着手にも姿勢にも輝きが出てくる。
私が「洪道場」の表札を見たときのように。
勝負所の競り合いではこの輝き方で全てが決まる。勝利の女神が微笑みたくなるような輝きを見せなければならない。
棋力申請
長男は2月の子ども大会で9級の認定しかもらっていないが、それからは少し日が経っている。しかも、子ども大会の級は厳しめに申請していることが多い。
これらのことから碁会所の5級くらいはあるだろうと推察される。
要するに「弱い5級」だ。
子どもの棋力など、その日の調子で日替わりだ。初段くらいの立派な碁を打つこともあれば、10級でも打たないような手を連発するときもある。
子どもというのはジェットコースターのような碁を打っていて、本当に面白い。ただし、対局者が自分の身内ではないことが限定だが・・・。
そこで長男の棋力申請は5級。
普通はもう少し下の級で申請しないといけないだろう。
しかし、これには深いわけがあった。
なぜなら洪道場は、基本的に初段以上の子どもが対象だ。しかし、場合によっては5級くらいでも受け入れてくれる。洪道場に真面目に通えば5級から初段などあっという間だろう。
大事なのは学ぶ姿勢があるかどうかだ。
実戦対局
お相手をしてくれたのは「自称、弱い二段」のYくん。メガネをかけた、丸坊主くんでかわいい顔をしている。
タイムトライアル中に横で打っている対局を見ていたが、それなりにしっかりしている。検討のときも自分で意見を述べていて、素晴らしい。
洪先生の指示で、Yくんには長男と対局をしてもらうことになった。
永代 (まぁ、5子が妥当だな。それでも少し厳しいか。)
M先生 「洪先生から3子で打つように言われています。」
永代 (え・・・?それは無理ゲーだ。)
Yくん・長男 「お願いします。」
そんなことは知るよしもない長男は緊張した面持ちで対局を始めた。
きちんと始まりの挨拶もできていて、私はほっとした。
なぜならこれは棋力以上に大事なものだからだ。
というよりも「棋力の土台」に当たる部分だ。
正直なところ、このような心がけができないものは、絶対に強くなれない。相手を思いやる気持ちがあってからの勝負というのを忘れてはいけない。
3子の置き方をYくんは丁寧に教えてくれた。面倒見も良さそうな子だ。
内容はというと、布石からすぐ大乱戦に。しかし、大乱戦は長男のもっとも得意とするところ。
私は実体験を通して勝負の勝ち方というものをある程度は心得ている。その最短ルートを普段から教えている自負がある。
この棋力の時期は接近戦に強いものが勝つ。
いや、囲碁の勝負の本質というのは接近戦なのでずっとこの先も鍛えなければならない。
そして、囲碁でもう一つ大事なことは「大局観」である。
これは接近戦が強いからこそ輝くものである。
戦闘に弱い軍隊を率いていたら、いくら大局観に長けていても戦いに勝つのは難しい。
ふつうの碁会所のアマ高段者レベルなら、意外と接近戦に慣れていない人のほうが多く、それなりの力があれば十分に戦えるかもしれない。
しかし、その先を目指すような子ども達は話が違う。接近戦に強くなければ、てんで勝負にならない。5級差くらいなら簡単にひっくり返してしまう。
部分戦で5回くらい大きな戦いが起こっただろうか。
長男は互角以上の部分戦を見せている。勝敗にしたら3勝1敗1分けくらいだった。
中盤も終わりに差し掛かり、圧倒的な差で完勝しそうな勢いだった。
しかし、勝負はそんなに甘くない・・・。
Yくんは、ちょっとした利かしを見せた。最後の戦いの最中にそっぽを打ったのだ。
私はそれを見てぞっとした。
永代 (Yくんはとんでもないことを考えている)
長男はもちろんこの意図が分かるわけはない。
これが分かれば「碁会所の五段」くらいはあげたい。それほど難解な意図を持った利かしだった。
そして、長男が軽い気持ちで受ける・・・。
ビシッ!
すかさずYくんは一線からのマクリを決行。見事に欠け眼にして、30子ほどの大石を召し捕ってしまった。
もちろん形勢逆転である。
結果は、そのまま「白の15目勝ち」
あと一歩のところで届かず・・・。
Yくん 「途中は負けたかと思った」
この粘り強さはさすが年長者の意地といったところか。これだから囲碁は面白い。
気を抜くと一瞬で勝負がひっくり返るような、このスリリング感。
形勢をひっくり返した者の気持ち。
形勢をひっくり返された者の気持ち。
すべてが糧となり、明日へと繋がっていく。
これらのことを考えると、結果はどうでもいいとまでは言わないが、現在のところでの優先順位は低い。
現に対局の途中で洪先生はこんな注意をしてくれた。
洪先生「石は交点の上に綺麗に置くようにしてね。石は自分の気持ちを表現するものだから、きちんと置かないと相手に伝わらないよ。」
私は、この指導を待っていた。
実は洪道場に行く前に、長男と一局打っていたのだが、早打ちの長男は綺麗に石を置けないことが多い。
もちろん、その朝にも注意したのだが、親の注意というのは子どもからしてみたら何千回、何万回とされるうちの一つなので、重みを感じにくい。
しかし、道場の主である洪先生の言葉を軽く受け止めるわけにはいかない。
長男には「良薬は口に苦し」として受け止めてもらうこととする。
仕上げに
その後はパソコンで手筋の問題を時間の許すかぎり解いた。パソコンの操作がおぼつかない長男を、M先生がしっかりとサポートしながら。
そして、30問ほど解いたところでタイムアップ。
私はここまでで、とてつもない量の思い出が蘇ってきた。それこそ何年分の修行経験が頭の中を駆け巡った。
しかし、長男からしてみたら、あっという間の二時間だったと思う。本人の体感からしたら大人でいう一時間か。いや、その半分くらいかもしれない。
永代 「楽しかった?」
長男 「楽しかった。また来たい。」
永代 (そうか・・・。)
これで確信した。
帰宅の途
車中で助手席に座る長男は言葉数が少ない。
目もうつろな状態だ。
間もなく深い眠りに入った。
私はその間に色々な思いにかられていた。
永代(今後はどうするか・・・。)
しかし、これはもう道が決まったうえでの確認作業でしかなかった。
この日は長男にとって特別な日になることは間違いない。
親の私としても、フロントガラスに吹き付けてくる大粒の雪を見つめながら確信を持った日として。
長男の今後の人生も、この大雪のように厳しい日がたくさん訪れることだろう。
それでも、吹き付ける大雪をワイパーが払いのけるようにして、前へ進んでいかなければいけない。
長男が成長をしていく課程。
大会で優勝をする日。
院生に入る日。
プロになる日。
私はその節目ずつで、この大雪の中の帰宅を思い出すことになるだろう。
これから先にこの思い出を、どれだけの回数を思い返すことができるだろうか。
期待しながら自宅に着き、車を停めた。
長男は眠い目をこすりながら、また前へと進んでいく。
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