永代和盛の囲碁人生 Ver.2 (院生試験編)
人生の岐路(小学5年生の冬休み前)
父親が勝手に日本棋院東京本院の院生試験を申し込んだのだ。
そして、申し込んだあとで
父親「院生というプロ棋士を目指すところに試験を申し込んだけど、受けるか?受かると千葉の院生寮に入ることになるけど。」
永代少年「いいよ。」
今でもこのやりとりをはっきりと覚えている。
今、考えてみると「いいよ」とは何とも偉そうだし・・・。
しかも、院生試験を合格する前提なのか・・・。(汗)
でも、これは自信があっての返答ではないのは自分が一番よく分かっている。
ただ、何も考えていなかっただけなのだ。
さらに、父親も申し込んだあとに受けるか?というのも意味不明だ。
なので、人生の岐路ではあるものの、父親の誘導ということになるだろう。
「人生をかける覚悟」を決めたというわけではない。
母親は反対していたらしいが、父親は「中三までに戻ってくれば高校受験には間に合うだろう。良い社会経験になるはずだ」という軽い気持ちで送り出していたのだ。
四人兄弟だし、一人くらい・・・(笑)
ここから人生が劇的に変わっていくことになる。
補足だが、当時は必ず院生に入る希望を出す際に推薦人を必要としていた。
推薦人は基本的には囲碁棋士ではないといけなかった。
唯一の例外は、緑星学園の菊池康郎氏だけだっただろうか。
そこだけは棋力、指導の実績ともに別格扱いなのである。
永代少年の推薦人
永代少年は長崎にいるので、棋士の知り合いなどいないと思われるだろう。
当時は東京、中部、大阪で棋士は集中していた。
田舎に暮らしている棋士はほぼ皆無に近かった。
しかし、幸運なことに長崎にだけはいたのだ。
高原周二 九段である。
関西棋院の棋士ではあるが、棋士だから良いだろうという勝手な思惑で推薦人の名前をいただいた。しかし、当時はまだ日本棋院と関西棋院は微妙な関係ではあった。(今でも一応どうなのだろうか?)
そんなことを知るよしもない永代親子である。
知らないことが功を奏したのか、そのまま提出したら書類審査は受かったのだ。
書類審査には棋譜審査もある。
棋譜を2通送るのだが、それは父親がごく最近に始めたインターネット碁(GO=NET)での指導碁を使った。相手はゼイノイ九段だ。女流最強と言われていたが当時は色々とあって手合は対局していなかったように思える。その後は韓国で男性と混じってタイトルを獲得したツワモノだ。
父親が電話回線を使わないとネットができないような時代によく、インターネット碁をやろうと思ったものだ。この囲碁好きには感服する。
色々と重なり合った奇跡のような状況で、院生への道は開かれようとしていた。
院生試験当日
そして、冬休み中に千葉県の幕張囲碁研修センターへ試験を受けにいった。
アニメのヒカルの碁でプロ試験の舞台になっている場所だ。
(残念ながら今はもうない)
試験官は院生師範を務めている新垣武九段だった。
後に院生管理用の写真が残っていたので、見せてもらったのだが5子だったようだ。
自分としては勝ったようなおぼろげな記憶があるのだが、そこの記憶は定かではない。
その理由が、負けたらほとんどの場合で記憶に残るからだ。
その記憶がないということは勝ったのかなという勝手な自己推測である。
そして、試験の結果はなぜか合格。
(ちなみに高原周二九段の名前は非公表。院生一覧表があったが、推薦人が一人だけ記入されていないという珍しい人間となった。もしかしたら初めてのことかもしれない・・・。)
後から考えてみると、書類審査の時点でおおまかな合格は決まっているようだ。書類審査を通って試験碁を打ったあとに落ちた人は何十年という中で1人しかいないと後から聞いた。(ヒカルの碁ではありましたね)
勿論、そんなことを永代親子は知るよしもない。
永代少年は緊張していた記憶は全くないが、父親はどうだったのだろうか。
息子の人生を左右するような一局と思っていたはずだ。(少し軽めの気持ちで送り出そうとしてるし、そんなことはないか)
自分としては当時に父親がどう思っていたかは、聞きたいような聞きたくないような心境である。
多分・・・・。
一生聞くことはないだろうな。
そうして、小6の四月から幕張囲碁研修センターの院生寮へ住むことが決まった。
空港への見送り
後で聞いたところによると、母親は見送りにも行けないほど悲しかったらしい。父親も仕事だったので、地元のアマチュア強豪の方が空港まで送っていってくれたらしい。
この方はのちに永代囲碁塾の礎を築いてくれる方である。
長崎の二人の師匠とは付き合い方が違うが、院生に入る前にとてもお世話になったらしい。
囲碁界のことをよく知っていたらしく、色々と情報を教えていただいていたようだ。
そして、驚くべきことに現在でも実家の保育園と学童で囲碁指導をしてもらっている。
この方も、自分が強烈に感謝している人達の中の一人だ。
実際のところ、私はこのあたりのことはよく覚えていない。
特に悲しいという感情もなかったのだろう。
楽しそうとも思ってないだろうから、ただやっぱり何も考えていなかったのだと思う。
当然、ワクワクやドキドキなどあるはずもない。
何か強烈な思いがあれば記憶に残っているだろうから。
院生寮へ入寮 へつづく
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