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心理屋がカウンセリングを受ける話
今日は、雑記をしたためようと思う。
ワイはカウンセリングを受けている。
これは心理屋として必要だと感じたから始めた。
因みに心理職が先輩心理職のカウンセリングを受けるのは一般的で、「教育カウンセリング」「教育分析」と言われて、
自己研鑽の一部として認識されている。
医者が研修医として何年間か指導医のもとで研鑽を積むでしょ。あれと一緒。
これをすると、自分の心の感覚、考え方の癖が観察できるし、カウンセリングする時の新たな視点を得ることができるんだね。
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ワイは、前にも書いたけど、少々世界に絶望しがちだし、考えに偏りがあった。
こうあるべきでは? という気持ちも少なからずあったし、
自分の考えに沿わない保守的だと感じる考えには、徹底的に異論を返していた。
しかも他人の感情は大事にしようとする割に、
自分の感情を置いてけぼりにしがちだった。
お陰様で、自分の感情がよく分からんくなることがよくよくあった。
カウンセリングを受けて、曖昧なものを言葉にするようになった。
自分の感覚を言葉に表して、その言葉が適切なのかを探る時間が、楽しくなってきた。
自分のネガティブな感情を素直に認められるようになってきた。
つれぴに感情のぶっかけ合いが出来るようになってきた。
自分の信念の部分をより詳細に言語化しようと思い出した。
全部、飲み込まなくていいんか、と思えるようになってきて、
良いも悪いも、全部ワイの一部だと思えるようになってきている。
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実はカウンセリングがしんどくなった時もあった。
カウンセリングってマジで心のレスリングだから、
精神的なHPがある程度ないと、話すことすらできなくなるんだわ。
話したくても、言葉にならなくて、
ぐっちゃんぐっちゃんで、さっきまで割と元気があったはずなのに、何かを伝えないと、と思ったら喉が詰まってしまって、言葉にならない。
ワイは言葉にしたい人間だったので、
本当にそういう瞬間はしんどかった。
カウンセリングは、話してなんぼと思ってしまっていた。
実際、話すことも大事なんだけど、
心理職側としては、話してもらわなくてもかまわんのよ。
ほっと一息つくだけの空間でも、正直いいんだわ。
でもね、人間ってさ、他の人間が同じ空間で相対していたらさ、話さなくちゃならんかなって思ってしまうやん。
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今もカウンセリングは受け続けてる。
お陰様で話さなくちゃならん気持ちはまだ続いてるし、プレッシャーやなと感じることは全然ある。
それでも、ワイは隣で息してる絶望を
少しだけ受け入れることができたような気がする。
絶望したって、いいよな。
ワイだけの絶望ですし。
ワイの勝手やもんな。
そう思えるくらいには、自分の感情をそのまんま受け止めているようにも感じる。
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カウンセリングのゴールは、
クライアントの苦しみをクライアント自身が
労わって、困ったねって声かけて、
寄り添えるようになることだと、ワイは思う。
要は、自分の最大で最強で唯一の味方は、
自分だって言い切れる、そういうしなやかで柔らかな感覚を持って帰ってもらうのが、ゴール。
ワイの最大で最強で唯一の味方がワイだって、
胸張って言えるまで、
まだ道はある感じがする。