ナンセンス
時にはまた徒然なるままに文字を紡いでいこうとも思う。
何故なら何もかもが意味などない。
全ては後付けだからだ。
現象を追いかけるように人はそれに名をつける。
それはまるでペットに名前をつけるように、子供に名前をつけるように。
意味などとっくに決まっているとも言えるし、意味などどこにもないものなのだ。
だがそこにほのかな、だが確かなあたたかさがある。まるで今起きたばかりの布団の中のように。
私の言葉に意味さえなく、このnoteに意味さえない。
意味をもたせているのは私であり今これを読むあなた。
どうんなふうに描くかは私次第でありあなた次第。
自由でいてください、と押し付けるのは私であるけれども。
自由とはここにあるのか、それともそちらにあるのか?
私は問いを投げかけてみる。
文字に含まれているのだろうか、それとも言語に含まれているのだろうか、形に含まれているのだろうか、音に含まれているのであろうか?
あなたの脳が自由なのだろうか、心が自由なのだろうか、今この文字を読むために動かす体が自由なのだろうか、時間が自由なのだろうか?
全ては自由であり見える形にした途端に自由は失われていくようにも見えるけれども。
だが一旦その全てを白紙に戻そう。
自由とはどこにあるかなどという愚問さえも。
まるでサッパリと爽やかに白さを取り戻す洗い終わった器のようにだ。
全てに意味などない。だが全てに意味をもたせることはできる。
さて、
今日も一緒に遊んでくれてありがとう。
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