大阪と奈良は「近畿」ではない?
大阪と奈良は正確には近畿ではありません。
『「近畿」は、古代律令制における広域行政区画「畿内」に由来する語で、都(畿)と、その近隣地域』という意味です。
【畿内】
帝都付近の地。中国の古制で、王城を中心とする四方500里以内の特別行政区。日本では歴代の皇居が置かれた、大和・山城・河内・和泉・摂津の5カ国、すなわち五畿内。和泉が河内から分置される奈良時代までは四畿内といった。
(広辞苑 第六版)
つまり、大和(奈良県)・山城(京都府南部)・河内(大阪府東南部)・和泉(大阪府西部)・摂津(大阪府北部と兵庫県南部)の五国(五畿)に対して、「近畿」は『畿内周辺の国』を意味するため、本来の意味からすれば、大阪と奈良は「畿内」ということになります。
「近畿」という名称は、明治時代に地理の教科書で採用されて広まったもので、主に歴史・文化用語で用いられる「上方」も、『皇居のある方角』という似た語義を持ちます。
近畿地方の範囲について法律上の明確な定義はないのですが、一般的には大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・三重県・滋賀県・和歌山県の2府5県を指します。
しかし、『小学地理』以前は「近畿」が指す範囲には揺れがあり、『中外地理学 内国之部』では、三重県を除く2府4県で「近畿区」、『日本地理』では福井県を含む2府6県で「近畿地方」と示されていました。
現在も場面によっては範囲が変わることがあり、特に三重県は、北勢地区が名古屋市との経済的結びつきが強いため、東海地方に含むことが一般的となっています。
ただ、三重県でも淀川(木津川)水系に属し、京阪神との結びつきが強い伊賀地方と和歌山県に隣接する熊野市と南牟婁郡は、関西圏に含まれています。
ちなみに、天武天皇元年(672年)乃至、同2年(673年)に、中央で非常事態が発生した折に、その期に乗じての東国から畿内への侵入を防ぐ目的のため、また中央の謀反者の東国への逃走を防ぐ目的で設置された三関(古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された三つの関の総称)といわれる大きな関所がありました。
この関所――伊勢(三重県北部)の鈴鹿(現在の三重県亀山市)、美濃(岐阜県の南部)の不破(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、越前(福井県東部)愛発(現在の福井県敦賀市内)――を境にして『東』と『西』にわけたのが「関東」、「関西」という名称の由来となったのです。
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