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神様の話

うちの近所に小学3年生の男の子が住んでいて、毎朝僕に挨拶してくれる。
しっかり頭を下げて「おはようございます」なんていってくれる。

少し話をすると将来はアニメを作る会社の社長になりたいんだそう。YouTuberじゃないんだ?と尋ねると「おとなになった頃にはもうないかもしれないから」とちょっと自慢げに答えてくれた。

思うんだけど、最近の子供達ってすごくちゃんとしてませんか?

僕の小学校低学年の頃なんて、比べると素朴すぎてほとんどバカと言っていいくらいのレベルだったなあ。なんて思う。

だって神様のしもべとして嬉々として日々過ごしていたりしたんだから。

小学3年生くらいの頃。
僕は山の裾野にある集合住宅に住んでいた。

父親が働いている会社の社宅なのだけど標高500~700mくらいの山が連なるその一番下あたりに大きな団地が何棟か連なっていて、顔見知りの子どもたちとよく遊んでいた。

背後には低いが美しい山が連なっていて、薄汚い団地が坂の上から下々の世界を見下ろしていた。

団地の隣には山々の頂上に向かって伸びる急な坂道があって、その道を挟んで向こうは「森」だった。

「森の公園」とよばれるそれは、東京ドーム10個分くらいの広大な森だった。自然環境の保全と市民の憩いの場として残された森林。

どちらかというと山の裾野に広がる森林地帯を切り開いて、団地や住宅街がある。そんな方がふさわしかったかもしれない。

週末はハイキングや散策を愉しむ人々が森の中をうろうろしているのをよく見かけた。

道路から森側に入るとすぐにちょろちょろと水が流れる手つかず(風な)川があって、水面から顔を出すとびとびの石を踏んで向こうに渡ると赤茶色の土が覗く土手があった。

その向こうはエンエンと続く手つかず(風の)森だ。
いや、子供の頃は原生林のように思っていたけど、今思えば最低限事故が起きない程度にはしっかり整備されてあったように思う。木も杉ばっかりだったし、ちょうどいい場所に桜やイチョウや楓があったりして「手つかず風」だったんだなと思う。

もちろん、その近くに住む子どもたちにとっては天国だ。
なにかといえば森の公園に分け入って、木漏れ日の中を、あるいは雨で湿りまくった中を泥だらけで、冒険や楽しいことや悪いことで楽しんだ。

お金も隠してわからなくなったし、ボロボロのエロ本も隠した。
とにかくいろんなものを隠したし、その殆どは掘り返されることはなかった。

とりわけ楽しかったのは「秘密基地」だった。

僕は近所に住む田島くんと2人で、横穴が掘れそうな場所を見つけては穴を日がな一日掘って掘って、やっとできたくぼみに体を押し込んでは悦に入っていた。

田島くんはその頃のなかよしで、いつもパッツンパッツンのシャツを着て見事なマッシュルームヘアの愉快な同級生。

「山へ行こうぜ」とまるで馴染みのバーのような口調で僕を誘ってくれた。

森の公園はどこも割合、掘り返すのが容易な土で、うまくやると子供でもかなり大きな穴を掘ることができた。

中でも最高傑作は「秘密基地5号」で、草むらに少し隠れるようにガクッと断面図のように切り取られたような土がむき出しの場所。少し離れてみるとその一帯は大きくえぐらたようになっていて、草や放置された倒れた木々がうまい具合に場所を覆っていて、基地としては絶好だった。

しかも幸運なことに、捨てられていた「大人用」の大きなシャベルも手に入入って、2人でずーっと暇を見ては堀り続けた。

木の根っこにぶつかっては悪戦苦闘した挙げ句、隣にずらして、また掘って。時には謎の虫の大量発生(すごい泣いた)や、雨で水浸しになったりしながら(すごい落ち込んだ)作業は遅々として進まなかったが、楽しかった。

春にはじまって何度も放り出して、また戻って。そんなかんじで途切れ途切れで作業は続き、そろそろ森の木々も少し赤や黄色に色づき始める頃、秘密基地5号はついに完成した。

とはいっても、低学年の小学生が体を寄せ合って座れるくらいの単なる横穴。だけど二人が寝そべることができるくらいには広かった。

入り口は木の枝を組み合わせて作った蓋で隠して、雨が振り込まないように簡単な張り出しの屋根っぽいものをつけた。

床には家から盗んできたレジャーシート。
時々壁がポロポロ崩れてくるので、最後は新聞を濡らして貼り付けていたような気もする。どうだったかな。

床に近い場所はさらに四角く掘ってそこに、お菓子の缶に宝物を入れて置く場所も作った。

大満足。
学校から帰ってきてはランドセルを放り出して、秘密基地に集った。

「お母さんと喧嘩したらここに家出したらいいね」と田島くんとワクワクしながら語ったりもした。

もっとも夜の森の怖さは想像を絶するので、それは一度として実現しなかったけれど。なんせイタチやタヌキ、なぞの遠吠えをする野犬などもいたし、幽霊もいると噂だったので。

そんなわけで小さな男の子の所有欲と達成感を満たしまくった僕らの自慢の秘密基地だった。

事件が起きたのは森がそろそろ色を失いはじめ、冷たい風が半ズボンの男の子にも辛く感じ始めた頃。

田島くんが大慌てで僕を呼びに来て「大変なことが起きている」と僕を引っ張った。

おぼつかない足取りで、やっと辿り着くと秘密基地いっぱいに大人が背中を向けて寝ていた。

記憶は随分誇張しているんだろうけど、穴の大きさにピッタリハマるように薄汚れたカーキ色の背中が見えた。ような気がする。実際はもっと高さがあるのだからそこまで巨大ではないはず。

どうしようどうしよう。
二人でオロオロしているとやがて、その大きなカーキ色が動き出してゆっくりこっちを向く。

髪の毛はボサボサに伸びていて、顎を覆うひげと同じく白髪交じりでそれが汚れて少し黄色い。今だったら即「ホームレス」と言い切る風体だった。

大きくてタレ気味の目の瞳は灰色、大きな鼻は少しかぎ鼻でその先に大きな吹き出物が見えた。

その灰色の瞳がどろんとこちらを見る。
僕たちは震え上がった。

「神様」と隣で田島くんが小声で思わず言った。

男が少し動いて、やがて座り直した。ゴソ、ゴソ、ゴソ。
こちらに向き直して、天井が低いのでひどく前かがみであぐらをかいた。

記憶のままなら今度は穴にピッタリハマるようにおむすびみたいな形で座った。どんな穴だという話だけど。

今思えばカーキ色はボロボロのM-51だったかもしれない。ただ異常に汚れていた。ところどころ油の汚れのようなくろぐろとしたシミがあった。ジャケットの中は元は恐らく白かっただろうセーター。パンツは…思い出せない。足元にスーパーマーケットの袋みたいなものがあった。それも泥で汚れていたけれど。

「なんだここお前らのなの?」
男の声がまた怖かった。人の声じゃないのだ。
なんかスピーカーが破れて割れまくったラジオみたいな雑音が言葉をなしていた。

今思い返せば、どう考えても住む場所がない男がなんかの偶然で秘密基地を見つけてそこに潜り込んだ。それ以上でもそれ以下でもない。

だけど、素朴でおバカな小学2,3年の男の子たちはちょっと違った。

穴にピッタリハマった浮世離れした男。
その周囲にはどこまでも続く森が広がり、その日はちょうどいい具合に光が幾筋も差していた。

普段なら怪しい大人に恐怖して一目散に逃げ出すのに、その時は恐怖とどうしようもない好奇心、かすかな神々しさに動けなかった。

そう、チープだけど自分たちにとって神秘体験に近い思いをしていたのだ。

もしかしたら神様かも?
なんで?と今なら思うけど、バカな子だったなあと思う。

「神様だけどさあ」
と言われて「やっぱり!」と思った。

で、結局その「神様」に1週間くらい使われてしまうのだから、本当に僕らは純朴を超えてマヌケだった。

やれ飯持ってこいと言われたら、家でご飯を食べたふりをして持っていったりした。田島くんなんて自分の家の庭で飼っている犬小屋の毛布を持ってきたりした。「神様」もいやだったろうけど、小太郎くん(犬)もえらい迷惑だ。

お金も要求されたのだけど、さすがにそれは無理だった。
「別にいいけど」と「神様」はガサガサ声でつぶやいた。

「神様」は時々、地元にはない変ななまり混じりのガサガサ声で二人にいろいろ話した。
中身はあんまりおぼえていないのだけど、子供にはさっぱりわからない話が多かった。だけど、こちらの反応など興味無いらしく勝手に喋っては勝手に時々笑った。

よく覚えているのはメチャクチャ汚いのに、近くによってもそんなに臭くはなかった。あれはなんだろうか。もう汗ばむ季節ではなかったにせよ、意外と風呂なんかは行ってたのかもしれない。

秘密基地に居たり居なかったりしたのだけど、神様はある日を境に姿を消した。弁当の箱やら煙草の吸殻やらをいっぱい残して。

姿を消す直前にちょっとした事件があった。
例によって田島くんが(田島くんは神様に随分ハマっていたのだった)大変だと、家にやってきて僕を引っ張った。

雪でも振りそうなくらい寒い日だった。
神様は例によって穴にピッタリハマって背中を向けて寝ていたのだけど、田島くん曰く「死んでるかも」とのことだった。

恐る恐る指で押してみた。
肥料の詰まった袋を押すような冷たくて重い感触があった。

何の反応もない。
何度か声をかけて、もう少し強く手で押してみたのだけど、少しゆらゆら動くだけで反応はなかった。ガサ、ガサ、ガサ、と小さな音がした。

田島くんと顔を合わせるのと同時くらいに、二人は走り出した。
死んだ!と思った。
そう思うともう怖くてしょうがなくて、森を駆け抜け時にころんで、溝にハマって、二人は必死で逃げ出したのだった。

その日はいつものように母親から泥だらけであることを激しく責められても、ひたすら黙りこくってさっさと布団に潜り込んで小さく震えた。

それから数日は基地どころか森の公園にも入ることなく、テレビのニュースにひたすら怯えて、学校では田島くんとなにかに耐えるようにしょっちゅう身を寄せ合って、しかし神様の話題をすることもなく過ごした。

別にテレビで「神様」が死んだ話題が流れるでもなく、自分たちの生活は1ミリも変化なく何日かたった。

もう一回、行ってみよう。と言い出したのは田島くんだった。

「本当に死んでいるなら警察に言うか、埋めてしまうかしないと野犬に食べられちゃう」と真剣な顔で物騒なことを言った。

で、恐る恐る行ってみたらもう居なかった。というわけ。

秘密基地は中に入ると意外なくらい暖かかったのだけど、大人が冬を前にして住めるような場所ではない。

だし、今にして思えばなんでココに居着いたのかもわからない。
というか絶対に夜を過ごしてはいない。

どうせどこか寝床は別にあったのだろう。子どもたちが神様あつかいするのを面白がっていただけなのかもしれない。

だけど、愚かな子どもたちは素朴に信用してしまったのだな。と思う。
いや、本当のことを言えば当時の僕らだって「神様」だとは思っていない。田島くんはちょっと思っていたかもしれないけど。

ともかく、あの汚いおじさんを「神様」だと思っていたわけではなく、自分たちだけの秘密の「神様」にテンションが上っていただけなのだ。ペットとしての「神様」。そういうとバチがあたるだろうか。

そんなわけで、「神様」がいなくなって僕らはちょっと悲しくなった。

秘密基地には入らなくなった。
時々連れ立って森に入り、外から眺めるだけ。
田島くんはそれからも随分長い間、家からくすねてきたお菓子やご飯を供えていた。いつか帰ってくることを信じていたのかもしれない。

それから数年経って、僕は父親の転勤でその社宅から遠く離れた都心に移り住んだ。

田島くんとは少しづつ疎遠になって、やがて連絡も途絶えた。

それから数十年。あるいはついこの間。
ある日、ネットニュースを眺めていて地域の話題であの森の公園の話題を見つけた。

あの森の中の一画で、大昔にかなり大きな神様だか仏様だかが祀られていた痕跡が見つかったんだそうだ。歴史的に貴重だそう。

あの粗末な秘密基地でなければいいんだけども。
久しぶりに田島くんを思い出した。教えてあげたら喜ぶような気がする。もちろん連絡はしなかったけれど。

神様は。
いやあんまり考えたくはない。なんとなく。









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