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「ひこばえ」―切り株から生まれる孫
新緑の季節だ。近所でひさしぶりに「ひこばえ」を見た。そろそろハエの季節か、などと考えてはいけない。ひこばえはハエの種類ではない。ひこばえとは、木の切り株から生えた新芽のことを言う。
地面から出てきた芽はただ「芽」と呼ばれるだけなのに、切り株から出てきたとたん、特別な名前で呼ばれる。そのまま「切り株から生えてくる芽」と呼ぶだけでよさそうにも思うが、わざわざ名がつけられていることがとても興味深い。しかもなにやら可愛い響きだ。
余計な場所に生えてくる毛を「ムダ毛」というが、これは「ムダな毛」が省略されただけだ。ひこばえのように、特別に命名されたものを探すのは案外難しい。身体で探すのなら「親知らず」が該当するだろうか。親知らずは「歯茎の奥から生えてくる歯」とは呼ばれず、固有名詞を持つ。しかしながら、ひこばえのような可愛い音ではない。
呼び名があるのは呼ぶ機会が多いからだ。呼ぶ必要のないものに名は必要はない。親知らずに名は必要だと思うが、ひこばえに必要だろうか。必要な時代があったのだろうか。昔の人は、どんなときにひこばえの名を口にしたのか。ちなみに「ひこ」とは孫のことで、「孫生え」が由来だそうだ。幹に対して、芽を孫に見立てたのだという。愛にあふれた名前だ。
ネットで検索してみると、造園業や農業を営む人はひこばえを育てることもあるようだが、現代の一般人にとって切り株はあまり身近なものではない。しかし、おじいさんが山へ柴刈りにおばあさんが川へ洗濯に行っていた時代には、切り株もひこばえももっと身近なものだったのではないか。
私は想像する。
おじいさんが柴刈りの合間に切り株に腰を下ろし、握り飯を頬張る。切断されて年輪をあらわにしている切り株。それはもう椅子として存在しているだけで、生命は宿っていないかのように見える。
しかし、ある日、芽を出した。
おじいさんは驚く。今、尻の下にある切り株は、死んでなどいなかったのだ。
「おお、ひこばえが出たぞ」
感慨深くひこばえの名を口にする。年老いた自身に切り株を重ね合わせ、ひこばえの誕生を喜ぶ――。
そんな空想に心が和んだ。愛にあふれたひこばえの名に、温かい時間をもらったような気がした。(了)
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