「僕の心のヤバイやつ」の魅力を書きつける
このところ、豊饒な「物語体験」というのはどういうことなのか、について考える機会が増えてきました。
そんな中、ハマっているのが、ウェブ漫画で既に3巻まで単行本が出ている「僕の心のヤバイやつ」(通常「僕ヤバ」)。
作者は「桜井のりお」と言いながら女性作家(男女に分けて考えるのに意味はないでしょうが)なのですが、物語は中学2年の男子生徒である市川の視点でずっと描かれていて、ヒロインの山田含め他のキャラクターの心理描写は(セリフや表情から認識できるものを除けば)一切描かれない、というのが特徴。
「おそらくこのシーンでは山田の内面に変化があったな」と思われる場面でも、鈍感な市川の「山田はやっぱりいつも通りだ」みたいなモノローグが添えられるのですが、当初はこの市川視点が正解の解釈だと思っていたものが、途中から「あれ?これって市川の解釈とは別に、山田の市川への好感度が上がったことを意味しているのでは?」という見方で読み返すと物語が再構成されて読めるところがあり、「あ、ということは前のページのこの描き方は、これを意味するのか!」という新たな発見も導き出されるという。
本当、この作者、相当に手練れだし、徹底的に考え込んで物語を作っていることに気づかされます。
あたかも、「ジョジョ」のスタンドバトルの心理戦のような。
作中、市川に山田が貸す「君色オクターブ」という漫画が実は物語上、重要な意味を持っているようですが、市川が「色恋がどーのというより…(登場人物同士が)心を通わせる描写…?がいい…」と山田に感想を伝えているのとオーバーラップするように、この作品も桜井のりお氏の絵柄の可愛らしさで騙されがちではあるものの、市川山田の2人の細やかな感情の変化と、心身の両面での距離の接近、そしてセリフの内外に込められた微妙な心理戦的要素に僕は惹かれているのだな、と思います。
このコロナ期はVR世界に耽溺したものですが、「東京クロノス」を経た身からすると、山田サイドの目線で物語をもう一度、頭から見られると、ものすごく豊饒な「物語体験」ができるように思います。
世界は違った目で見られる、というか。
なので、この作品はアニメ化、実写化もあり得そうですが、ある意味、自分が市川の立場にも山田の立場にもなれる「VR化」に最適な作品かもしれません。
このコロナ期になって、そういう物語ばかりに惹かれるのは何かの偶然なのか、もしくは「東京クロノス」でその観点に気づかされたからこそあらゆる物事をそのような目線でとらえるようになっただけなのか、は分かりませんが、このタイミングで出会ったのはある種の必然というか、自分が今読むべくしてたどり着いた作品のように感じました。
色々と語り合いたい作品なのですが、なかなか周囲に読んでいる人がいないようなのが残念なところで、noteでは「 #僕ヤバ 」「 #僕の心のヤバイやつ 」のハッシュタグの投稿ばかりを最近、読み耽っています。
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