にっぽんスパイアクション映画の終焉
【日本スパイアクションの終焉】
1962年に映画『ドクターノオ』が公開されて、スパイ映画ブームがやがて起きることになる。
『ドクターノオ』日本公開タイトルは『007は殺しの番号』、つまりジェームズ・ボンドのシリーズ第一作目となる。
なんとなく精彩に欠けるB級アクション映画っぽかった『ドクターノオ』だったが、第二作目『ロシアより愛をこめて』で作品のグレードが上がり人気が定着する端緒となった。
007ブームは亜流のスパイアクションものが生まれるきっかけにもなって、アメリカではロバート・ヴォーン主演の『0011ナポレオンソロ』やジェームズ・コバーン主演の「電撃フリント」シリーズが生まれ、本家イギリスでもトム・アダムズ主演で英国情報部スパイのチャールズ・バインシリーズが2本作られ、マイケル・ケイン主演で『国際諜報局』を出発点にハリー・パーマーのシリーズが3本作られた。
亜流作品はいずれも短命に終わったが、わが国でも007の亜流ものが試みられることにある。
ところが日本では、どうもすっきりとしたスパイアクションものを制作することは困難とみえて、記憶に残るものといえば増村保造監督による『陸軍中野学校』を起点とする「陸軍中野学校シリーズ」や『黒の試走車』を起点にした田宮二郎主演の産業スパイもの位となる。
いずれもリアリズムに支えられたもので007のような荒唐無稽なスパイアクション映画ではない。
東映でも深作欣二監督で『誇り高き挑戦』なども作られたが、これもどちらかというと社会派ドラマになる。
一人のスパイを主人公にしたアクション映画は結局のところ東宝でシリーズ制作された三橋達也主演の「国際秘密警察シリーズ」だけとなる。
日本で『ドクターノオ』が公開された1963年に早くも第一作目の『国際秘密警察指令第8号』が公開され、1967年までに5作品が製作された。
国際秘密警察の捜査官、北見が悪の秘密結社と戦う物語が基本だが、当初のシリアスなムードからやがて気の抜けた気軽なアクション映画へと変質していってしまう。
いずれにせよ本家007に対抗しうる作品は一本もなかったと言ってもいい。
しかし、北見役の三橋達也は颯爽としており、自身が熱心なガンマニアとあって、本シリーズはもとよりガンアクションが秀逸だった。特にまばたきを一切せずに拳銃を連射できる稀有な俳優の一人でもあった。
作品としてスケールが大きいわけでもなかった本シリーズの魅力は三橋達也演じるスパイ北見によるところは大きく、その点では「和製007」として一定の成功を収めていたと言えるかもしれない。
シリーズはやがて軽い作風の単純なアクションドラマへと変質していったが、その最終作となった『国際秘密警察・絶体絶命』(67年)は最も「バカバカしい」内容であるにも関わらず奇妙な魅力を持った作品になった。
原作となるプロットがミステリー作家の都筑道夫の手によるものであり、それを脚色したのがアクションもののシナリオを得意とした関沢新一であり、監督がベテランの谷口千吉という異色のものとなった。
しかも北見とタッグを組むのはアメリカの国際秘密警察より派遣されたジョン・カーター捜査官という豪華な設定となった。
カーターを演じたのはベネデュクトプロと東宝の日米合作怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』に出演のために来日した経験を持つハリウッドのスター、ニック・アダムスであった。
アダムスはジェームズ・ディーンやエルヴィス・プレスリーの親友としても知られた人。『ミスタア・ロバーツ』などに端役で出演していた俳優だが、演技力は確かなもので、日本で出演した『フランケンシュタイン対地底怪獣』『怪獣大戦争』『国際秘密警察・絶体絶命』の3本のなかでも谷口千吉監督の「絶体絶命」が最も彼の表現力の豊かさが垣間見られた作品である。
本家ハリウッドではパッとしない役者だったが、日本での人気はまずまずの高さだった。
『国際秘密警察・絶体絶命』の監督は黒澤明の先輩であり盟友であった谷口千吉だったが、既にデビュー当時の精彩は失われ気味で、どちらかというとヒット作の続編担当などを受け持つ役割に陥っていた頃である。
作品に恵まれないこともある。
「絶体絶命」が最もその例で、シリーズでも最も内容が「お子様ランチ」的な作品であったことは、谷口にとっても口惜しいところだったろう。
それでも同監督による傑作『独立機関銃隊未だ射撃中』で主演だった三橋達也と佐藤允をキャストに布陣した作品であり、特にアダムスと佐藤允は「絶体絶命」では演技が光っていた。
谷口はこの作品をスパイアクション映画として捉えてはいたが、本家の007ではなくアメリカのテレビ映画『0011ナポレオンソロ』を意識していたようだ。
ニック・アダムスの吹き替えは本多猪四郎監督の前二作の怪獣映画では納谷悟朗が担当していたが、谷口が選んだのは矢島正明あった。
当時、矢島正明はナポレンソロのロバート・ヴォーンの吹き替えを担当して人気を博していた。
たしかに大作ムードのがある007シリーズに比べれば「国際秘密警察」シリーズはテレビ映画の「ナポレオン・ソロ」に近い。
安価に和製007映画を作ろうという東宝のある意味無謀な発想を最終作で谷口は身の丈に合わせたとも言える。
都筑道夫が原作を担当していることもあって、小道具にもこだわりを見せている。
同じ都筑道夫の原案による1965年の『100発100中』で主人公アンドリュー星野(宝田明)が愛用したベレッタ70モデルのシルバーモデルをカーター捜査官の愛銃として再登場させているところや、北見の愛銃はジェームズ・ボンドと同じワルサーPPKであった。
『100発100中』のように劇中でピストルについての逸話は出ないが、ちらっとこだわりを見せるあたりは、都筑道夫作品らしさを見せている。
はっきりいえば『国際秘密警察・絶体絶命』はただでさえ007の亜流シリーズとしては評価に値しない国際秘密警察シリーズ中でも最も評価の低い作品である。
それでも、異色のミステリー作家、都筑道夫の原案、谷口千吉の演出、クラッシック界の新進気鋭の作曲家、別宮貞雄のジャズ音楽、三橋達也、佐藤允、ニック・アダムスの主演とあって決して駄作と片づけるには惜しすぎる作品である。
岡本喜八の『殺人狂時代』福田純の『100発100中』は都筑道夫原案のアクション映画として、ルパン三世のオリジンとして今も評価が高いが、『国際秘密警察・絶体絶命』も三部作の一つとして位置付けられてもよいと私は常々感じているところだ。
そして日本の亜流007ものスパイアクション映画の元祖であり、その終焉の告げた作品でもあったのだ。
ちなみに「国際秘密警察シリーズ」は海外に買い取られた後、ウッディー・アレンがその中の2本をチョイスしてズタズタに切って編集し直し“What‘s up tiger lily?”という怪作に作り直されて公開された。
アレン自身も解説で出演しており、実質、彼のデビュー作ともなった。
しかし、全く馬鹿馬鹿しい内容に改変された風変わりなコメディー映画になった。
この辺は同シリーズの日本のアクション映画にありがちな不真面目な軽薄さの部分をアレンが鋭く感じ取って抽出した結果である。
アレンにとって大真面目なように見えるこの映画シリーズもアレンジを加える以前に「喜劇」であったに違いない。
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