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かぎっ子と怪獣 その1 かぎっ子の叛乱


 1930年代、戦前のナチスドイツが作った映画『ヒトラー青年クヴェックス』にこんなシーンが出てくる。
 ヒトラー青年団に憧れる少年ハイニに共産党員の父親はつらく当たるのだが、ある日、父親はハイニに家の鍵を与える。
 父から子へと受け渡される鍵の意味は、ハイニを家族の一員として大人として認めるという儀式である。
 親子の政治的な対立を越えてドイツの伝統的な親子の形が示される重要なシーンであった。
 つまりは、ドイツでは家の合鍵をもらうことは自立した大人であると親が認めるシンボルでもあった。
 家父長制度が強い傾向にあったドイツでは鍵を持つものは家庭内の絶対権力者でもあったわけだ。

映画『ヒトラー青年クヴェックス』1933年ドイツ

 第二次世界大戦になると、欧米ではナチスドイツのヨーロッパ侵攻から連合軍の国々の家庭では、鍵を持つ児童が増えた。
 父親が軍隊に招集され、戦場へ行き、母親は働きに出なければならず、学校から帰った児童は渡された鍵で下校後に一人で家で過ごすことになる。
 これは母親がいながらも鍵をあずかるハイニのパターンとは違った「かぎっ子」の元祖とも言えるべき現象だ。

 「かぎっ子」あるいは「鍵っ子」の定義は明確ではない。
 小学生から中学生くらいの児童で、下校して自宅に帰った時に家人がおらず、自らの手で家の鍵をあけて、両親が帰るまで一人で過ごす児童のことを指す。

 高度経済成長期から日本では「かぎっ子」が増加することになった。女性の社会進出が増えたことで母親が働きに出ることや、離婚率があがって母子家庭や父子家庭が増えたことも「かぎっ子」そうかの要因であろうし、それによって子どもたちの生活環境にも変化をもたらした。

 とはいえ、1970年代では「かぎっ子」が目立って多いうわけではなかった。
 母親が主婦として家庭に常にいる家庭は日本的環境のなかでまだ通常ではあった様子は変わってはいなかった。
 もちろん、それは各家庭の生活水準や裕福な児童が通う私立学校と一般的な公立学校でも違っただろう。

 しかしながら、かぎっ子の存在は1970年代から急速に増加していったことは事実である。
欧米ではかぎっ子は、いわゆるX世代の一つの特徴とも捉えられているほどに多かった。

 日本ではこれもまた、児童文化に取り入れられてゆくことになる。

 特撮怪獣もので「かぎっ子」を取り上げた作品はいくつもあるが、その中から2本選んでみよう。

 一つは1971年の『帰ってきたウルトラマン』の第24話「戦慄!マンション怪獣誕生」だ。今回はこれを取り上げよう。
 母子家庭の主人公の少年はかぎっ子である。
当時としては高級なマンションに住んでいて、生活水準的にもそう悪くはない環境ではあるけれども、少年は下校したのちはそのマンションで一人で過ごしている。
 キャリアウーマンの母親はよる遅くまで帰ってこない。
 少年はMATが殺処分にした宇宙怪獣の肉片を密かに持ち帰り、それを自宅のマンションの壁に貼り付ける。
 やがて、その貼り付けられた肉片は少年の想像力と融合して、再生成長して、怪獣キングストロンになる。

ブルマァク製のキングストロンのソフビ人形

 キングストロンによって部屋の壁が傷つけられたことで、帰宅した母親はヒステリックに少年に怒る。
一生懸命働いて団地ではないマンションを獲得している自分の努力を無にする行為であると少年をなじる母親。

この背中のツノが前を向いているとキケン

 少年はそれに対して抗うことができない。
 少年が望んでいることは、マンションで快適に暮らすことよりも、怪獣造りに時間を費やすしかない孤独の闇からの解放であったが、母親の経済が支える快適さという幻想の視点からは、それを理解はできないのだ。

 ここにおけるマンションの鍵の存在は、先述の映画『ヒトラー青年クヴェックス』で、父親がハイニに鍵を与える意味とは正反対である。
 ハイニの鍵の意味は自立した大人への参加の象徴であったが、マンションの少年の鍵は自らを母親が描く幸福の価値観の象徴としてのマンションへ孤独のうちに幽閉されてゆくための鍵なのである。

 キングストロンは巨大化して、マンションを押し潰し、街を破壊する。
 ウルトラマンはこの宇宙怪獣退治に苦戦するが、少年がキングストロンに持たせた設定、「背中の角を後ろに回せば大人しくなる」ことを教えられ、これを治めることに成功する。

そして、キングストロンは去っていく

 キングストロンを造ってしまった、かぎっ子の少年は善良である。悪意も憎悪もそこには見当たらない。ただ、怪獣の肉片を拾って壁に貼り付け、孤独なマンションの空間で怪獣と共に過ごしていただけである。
しかし、怪獣キングストロンは少年と同期している。
 マンションをめちゃくちゃに叩き壊してしまうキングストロンの暴力はマンションという母親の価値観に一人、鍵を渡され閉じこもっていた少年の心の奥底にある「解放の叫び」であり、「叛乱」でもある。

 「戦慄!マンション怪獣誕生」は1970年代の日本的環境における「かぎっ子」の闇の部分を浮かび上がらせた作品である。

 この時代に鍵を渡された子どもたちの心のなかにもキングストロンは無意識で息づいていたかもしれない。

 経済的豊かさと精神的豊かさのせめぎ合いのなかで、子どもにとって、無意味な大人の忙しさ
のなかで揺れ動いていた昭和40年代。

 いま、鍵っ子が親から与えられた鍵は、ハイニが父親が受け取った「自立した大人の象徴」であるだろうか?

 マンション怪獣キングストロンは今もどこかに潜んでいるのかもしれない。

いまもどこかのマンションにいるんじゃないか?
キングストロンという名のかぎっ子

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