
ハチのムサシ死亡を確認 伝説塗りかえか? 3月28日
1972年にフォークソンググループ、平田隆夫とセルスターズが大ヒットさせた「ハチのムサシは死んだのさ」の主人公、蜜蜂の革命運動家として知られる通称ハチのムサシ、(本名:蜂乃武蔵)が1972年以前に、歌の歌詞さながらに死亡していた事実がこの度明らかになった。
3月28日、財団法人有名蜂探索委員会(通称:ビー探)は。かねてより行方不明となっていた「ハチのムサシ」の死亡が確認されたと発表した。
同委員会の発表によると、去る15日大峠付近にドライブに出かけた男女が「剣を持った蜂が死んでいる」と110番通報があったことが発端となったとのこと。
現場に急行した大峠署の捜査員の調べで、、問題の蜂は右前脚に剣を握っており、死後40年以上経過していることが分かった。
この情報を受けたビー探は専任職員を現地へ派遣。麦畑に横たわる蜂の遺骸を回収し千葉県にある日本虫医学研究所に移送した。同所での司法解剖によって顎型から死亡した蜂はハチのムサシだとほぼ特定された。死因は熱中症による循環機能不全の可能性が高いという。
現在までハチのムサシが死亡したと推測される時間と場所の情報が「1971年以前」「夏の午後」「晴天」「麦畑」以外に決め手になるものがなく、その特定はほぼ絶望視されていた。
ビー探の事務局長、羽田雨造氏は「今回の発見と死亡原因の特定は40年間の科学の進歩による賜物。焼かれて落ちて死んだのではないことが証明された」と評価。
一方で別の見方もある。今回の調査で、お日様に闘いを挑んで死んだというハチのムサシ伝説が覆されることになったわけだが、『ある蜂起-ハチのムサシ伝』(岩徳書店刊)の著者で、ハチのムサシの生涯を追い続けてきたジャーナリストの蟻塚貘郎氏は「ムサシの死因がなんであっても彼が一人で蜂起したということは事実。死に瀕しても剣を手にしていたということが物語っている。民衆に語り継がれた不屈の革命家としての彼の英雄像は揺るぐことはない。これからも後世に伝えられるだろう」と本通信社の記者に語った。
「ハチのムサシ」の物語は、2018年にイギリスの映画監督、ケン・ローチ氏によって「ジ・エナミー・オブ・ザ・サン」のタイトルで映画化が発表されたが、蜜を集める仕事を優先させるあまり撮影に極めて消極的なハチたちと同監督の対立が絶えず、制作中止に追いやられ映画化が断念されたことが報じられるなど、「ハチのムサシ伝説」は近年まで話題が尽きることがない。
ビー探は今回の成果を受けて行方不明のままになっている「みなしごハッチ」の探索にも全力を尽くすとのこと。
発:Ahooニュース通信社
2023年4月1日