なぜ『サウンド・オブ・ミュージック』は反ナチ・プロパガンダ映画になったのか?
『サウンド・オブ・ミュージック』 1965年
原題:The Sound of Music(音楽の調べ)
監督:ロバート・ワイズ
脚本:アーネスト・レーマン
主演:ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、エレノア・パーカー、ベン・ライト
この作品についてはおそらく語り尽くされているだろうでしょうから、ちょっと違った視点で観察してみましょう。
★『サウンド・オブ・ミュージック』が反ナチス・プロパガンダ映画になったのはなぜか?
1、この映画はプロパガンダ?
この映画の原案となったのは、トラップファミリー合唱団で有名だった、映画の主人公にもなっているマリア・フォン・トラップが1947年に刊行した『トラップファミリー合唱団物語』です。
この著書は前後編の二編で構成され、前半がマリアがトラップ家に入り、ナチスに追われてオーストリアを脱出するまで。後編がアメリカへ亡命して合唱団として活躍した記録になっています。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』は、この著作の前編を映画化していることになります。
さて、この映画はミュージカル映画として有名ですし、ここで歌われるナンバーはいまも映画ファンや音楽ファンから根強い人気があります。しかしながら、この映画は単なる娯楽映画として制作されただけではないように感じられます。
それはこの映画がナチズムに対するデモクラシーの戦いという理想を訴えかけるプロパガンダ映画であるという点です。
「プロパガンダ」という言葉を聞けば、みなさんは何か悪意に満ちた虚偽の宣伝と感じてしまうところがあるかもしれません。プロパガンダの使命はある一定の方向の政治的メッセージを意図的に広く伝えるという意味です。ドイツ語では口コミを意味する言葉はMundpropaganda(口による宣伝)といい、日常で普通に使われる言葉です。
最初は平和に生活を送るトラップ一家が、ナチスドイツのオーストリア併合によって、徐々にヒトラーのナチズムの統制によって縛られてゆくようになります。そして、その力によって完全に支配される前に、一家は最後の最後にファシズムと戦ってオーストリアを脱出しアルプスを越えて自由の新天地を目指します。
映画ではトラップ一家の周囲は徐々にナチス化されてゆきます。長女の恋人のロルフはやさしい青年であったのに、ヒトラー青年団に参加して、オーストリア人でありながらナチスを応援する立場をとっている。一家の執事も親ナチスである。
映画におけるフォン・トラップ大佐は愛国者であり、故に反ナチで、ナチス統治の犯罪性を知っている人物です。ナチスの区長、ツェラーが屋敷に勝手に掲げた鉤十字の旗を引き下ろし、ロルフのナチス式の敬礼に憤慨の視線を投げ、最後には「連中の正体がきみにはわからないのだ」と諭すのです。
最終的に一家にオーストリア脱出を促すのは、ナチスドイツの海軍による出頭命令に抵抗してということになっています。
フォン・トラップ大佐が反ナチスであり、ヒトラーを嫌っていたことは映画でも史実でもそその通りです。しかし、映画と実際では歴史的視点にズレがあります。
2、トラップ夫妻はなぜ反ナチスだったのか
トラップファミリーは、1938年3月のナチスドイツによるオーストリア併合ののち、多少の苦難を強いられることになります。多少と申し上げたのは、ナチス政権下になっても、一家の生活が極端に変わることはなかったからです。
マリアと大佐はナチスのオーストリア併合ののち、1938年の夏に、ドイツのミュンヘンへ旅行もしています。「ドイツ芸術の家」と呼ばれた巨大な新造の美術館を見にゆくためでした。
そこで夫妻はレストランで食事をするのですが、偶然、近くのテーブルにヒトラーと取り巻きの親衛隊員がいて、聞くに耐えない馬鹿話に花を咲かせており、ヒトラーがくだらないジョークに馬鹿笑いをして椅子から転げ落ちるという場面を目撃することになります。
このヒトラーの品格が欠如した姿に夫妻はますますヒトラーを軽蔑し、この人物を崇拝する民衆に幻滅を覚えます。
マリアと夫、ゲオルグのなかにあったのは、ナチズムの犯罪性に対するレジスタンスというよりも、ヒトラーとナチズムに対する胡散臭さであったのです。
夫妻にとって、ナチスに抵抗の念を持たせたものは、オーストリアに対する忠誠心でした。
ゲオルグには軍人として、オーストリアに忠誠の誓いを立てたのであり、ヒトラーやナチズムに忠誠を誓うということに変更する道理はなかったのです。
ましては「フォン」が付いた名字が示すように、ゲオルグはオーストリア、ハプスブルク帝国の伝統を持つ貴族であり、彼のなかでは第一次世界大戦後も皇帝に忠誠を立てているという意識が強く、あらゆる貴族階級も基本的に、その価値を認めないというナチズムとは相反するものがありました。
ドイツ本国でヒトラーに取り組まれていった、同じ「フォン」がついたプロイセン系のドイツ貴族とは全く立ち位置も違っていたのです。
マリアにとっては、主イエスキリストこそ、崇拝の対象であり、ヒトラーやナチズムに崇拝し、付き従う道理もなかったのです。
ゲオルク・フォン・トラップにオーストリア脱出を決意させる出来事は三つありました。
ひとつは海軍からUボートの艦長に就任しないかという誘い(映画では命令となっていました)に対して最初は喜んだけれども、ヒトラーのために艦長にはなりたくないと思って断ったこと。
そして、長男のルーベルトが医者になったと同時にウィーンの大病院へ就職しないかという勧誘があったということ。
さらに三つ目が、トラップ一家がオストマルク州(ナチスドイツ併合後のオーストリアの名称)の代表合唱団に選出され、ヒトラーの誕生日に合唱せよと命じられたこと。この最後の出来事はマリアやゲオルグが到底受け入れられることではなかったのです。
ナチス第三帝国の勧誘や命令に3回も拒否したとなると、生きてゆけなくなると考えたゲオルグとマリアは困惑してしまいます。
ナチス党員でありながら、夫妻を慕っていた執事のハンスは夫妻に亡命を勧めて、オーストリア脱出に協力します。
ヒトラーが政権を握った1933年から第二次世界大戦が終了する1945年までの負の歴史を私たちは知って歴史を知っているわけですが、マリアたちがオーストリアを脱出という体験した時点では、ナチスドイツはまだ侵略戦争を開始する前でした。
3、映画の視点と、時代の視点
チェコスロバキアのズデーテンラントを軍事的圧力で割譲返還させ、ヒトラーはこれ以上領土的野心はないと言った舌の根も乾かぬうちに、チャコスロバキア全土を占領し、1939年にはさらにポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。
その後、ナチスによる障がい者を皮切りに、ユダヤ人やスラブ民族、ロマ、同性愛者といった人びとを絶滅させる大量殺害が開始されるのです。
映画の視点は、このヒトラーとナチスが最後を迎えるまでの悪行を全て知っている、現代のわれわれの立場の視点に基づいて、トラップ一家のナチス観を作り上げています。
そして、映画では、コンサートでゲオルグが「エーデルワイスの歌」を歌って、オーストリア国民に祖国オーストリアを忘れるなと訴え、
観衆が声を揃えての大合唱になる。
本作のクライマックスですが、これは言ってみれば『チャップリンの独裁者』におけるデモクラシーを鼓舞して、ファシズム打倒を訴える演説のクライマックスと同じ構造になっています。
映画のトラップ一家の行動はナチズムに対する極めて政治的な抵抗運動として描かれるのですが、実際の一家の行動は、一つの家族という単位での抵抗だった点は大きく違います。
ハリウッドは、マリアが書いた自叙伝の反ナチス行動を拡大して、ナチズムに対するカウンターとしてのプロパガンダに転用したのです。
では、なぜこのような表象になったのでしょうか?
4、なぜ、『サウンド・オブ・ミュージック』は反ナチス映画になったのか?
それはこの映画が公開された1965年という時代と関係があります。
戦後20年、戦争の傷跡が癒やされて、戦勝国も敗戦国も繁栄に突き進んでいたこの時代、1960年前後からヨーロッパではナチスが再び勃興してくる兆しが見え始めていました。
西ドイツではユダヤ人墓地に落書きがされたり、当時のアナデウアー首相の政権では、ユダヤ人虐殺に関与した疑いがあった官房長のグロプケの存在が問題になったりしていました。
ホロコースト計画者実行者の一人であるアイヒマンが逮捕されイスラエルで裁かれ、ドイツでは自国でアウシュヴィッツの戦犯を裁くフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が行われ、国内外で大きく取り上げられていました。
1960年から『サウンド・オブ・ミュージック』が公開された1965年まで、ヒトラーとナチスの亡霊との社会の闘争が目立って行われるようになっていたのです。
アメリカでも冷戦下での反共産主義と人種主義を背景に、ナチスを模倣するネオナチ活動が生まれており、それがヨーロッパの、特にドイツの極右と連携して、ネオナチズム運動を支援するようなことが起こるのではないかと警戒感が高まっていました。
ユダヤ人の大虐殺、いわゆるホロコーストの記憶のトラウマを持つ、ユダヤ人の映画人が主導しているハリウッドは当然ながら、この時代に反ナチス主題とする映画を繰り出すことにはなんの不思議もありませんでした。
『サウンド・オブ・ミュージック』はこうした政治的、社会的必要性から、楽しいミュージカル映画とは違ったもう一つのプロパガンダ映画としての使命を持っていたのです。
トラップ大佐のオーストリアに対するある意味封建的な忠誠心は、デモクラシーという自由に巧みに置き換えられました。ここで注意すべきはトラップ大佐のオーストリアに対する忠誠心は第一次世界大戦という未曾有の災禍を作ったものであることは考慮されていません。
「インディー・ジョーンズ」と同じく、絶対悪であるナチスを敵にする者は無条件に英雄となるという戦後のハリウッド式反ナチ様式がここでも働いているからです。
そして、ナチスに追われる、一家を最後に助けるのは修道院のシスターであり、修道院長の「すべての山を越えよ」という歌です。
ナチズムの暴虐に抗う者には神も味方をなさるのだというメッセージが観客には無意識的に伝わることでしょう。
「すべての山を越えよ」この歌は最初に歌われる時点で、人生の困難に立ち向かえという意味でしたが、それはナチズムに立ち向かうということで昇華されるのです。
ちょっと嫌味な言い方をすれば、個人の幸福の希求が、政治的理想の実現へと転換されるのです。
キリスト教とファシズムの正邪関係はハリウッドの戦時プロパガンダ映画ではよく使われていた語法でした。
このように『サウンド・オブ・ミュージック』は極めて、精巧に計算された反ナチス・プロパガンダ映画であることがわかります。
そして、なにより、楽しい映画として、ごく自然に政治的メッセージを忍ばせて伝達する、この機能の巧みさが、この映画が評価されるべき、もう一つの顔なのです。
追記:マリアの著書をかなり忠実に映画化しているのは、1953年のドイツ映画『菩提樹』です。合わせて鑑賞されると何か発見があることと思います。