冤罪を作った人びとを考える
1965年の山本薩夫監督の『証人の椅子』を再び見ていた。
1953年に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件、「徳島ラジオ商殺し事件」の映画化だ。 夜中に押し入った何者かに、家の主人が刺殺され、内縁の妻も刺されるが、重症に至らず助かった。
しかし、警察の捜査にもかかわらず、犯人は捕まらず、業を煮やした徳島地方検察庁が直接捜査することになり、被害者の内妻が犯人とされ、逮捕起訴された事件だ。
内妻は一審、二審とも有罪となったが、後にこれが検察の「でっちあげ」ということがわかって、再審によって1985年になって無罪が確定した。
しかし、この時、被告人はすでにこの世を去っていた。
映画『証人の椅子』では、検察側の傲慢な態度や汚いやり口が一人の若手検事を中心に描かれる。観ている方ももちろん、この検事には義憤を抑えられない感情になる。
もちろん『証人の椅子』という映画が狙っているものは、そうした権力の横暴さに無力な市民がいくら争おうとも潰されてゆく不合理を描くことにある。
再審で、これらのずさんな捜査は明らかになっているし、誰が冤罪を作ったのかまで公開されるに至っている。
実名で当時の検察局の検事正や検事の名前がネットでも出ているので、これらの人への批判は当然、あるものだと思う。
職責からやったのか、利己のためにやったのか、実際成立しそうもない事件のストーリーを予め描いて作り、捕まえた二人の少年にあの手この手で偽証させ、被害者の内妻を逮捕して、吐かせて起訴したのである。
映画『証人の椅子』は被告人や偽証させられた少年たち、一家の家族や親戚が、この冤罪で舐めさされた筆舌しがたい苦渋をも描き出している。
冤罪を机上で作ったエリート検事たちは、この人たちの人生を台無しにしたのである。
冤罪が明るみ出そうになると、検事たちは保身に走って、さらに権力を行使して、自分たちを守ろうとする。
いくらなんでも、こんな酷い話は、誰だって許されるものではないと思うだろう。
問題はここからだ。
現在でも、この事件を知った人たちが、これら実名が晒されている「冤罪」を作った人々への批判や攻撃はいくつも見られる。
私は指弾されている人たちが、裁かれなかったのであるならば、なんら指弾される彼らを擁護する気もない。
ところが、そのなかには「冤罪を作った人びと」の子孫まで指弾するものもある。
「冤罪」で、人を不幸に陥れながら、それで得た金銭でぬくぬくと暮らしてきた子どもや孫も許せないというものだ。
もちろん、「冤罪を作った人びと」は高齢で、もうこの世にはいないだろう。
しかし、当人がいないからといって、その家族や子どもにまで、憤りを向けるのはもちろん違う。
じゃあ、どうして、こんな歪んだ憎悪がネット上でも飛び交うのだろうかと考えると、根本的に問題が解決していないからだ。
私は法には明るくないので、詳しいことはわからないが、「冤罪を作った人びと」の責任は誰が追求し、誰がその責任を負うのだろうかということだ。
『証人の椅子』と同じ山本薩夫監督の『松川事件』、今井正監督の八海事件を描いた『真昼の暗黒』などなど、冤罪を描いた映画はいくつもある。
私はこうした映画を観終わった後で、いつも感じるのは無実の人を罪に落としれた、刑事や検事の責任はどうなるのだろうかということだ。
それは、冤罪を生み出した組織の問題なのか、それともそれを行った個人の問題なのか。
こうして、見ていると軍隊における戦争犯罪の構図ともどこか似てくるところもある。
私たちの目には見えないところで、その人たちは組織の内部で、なんらか責任をとっているのかもしれない。
しかし、公的にはなんら、罰せられることもなく、謝罪することもない。だから、当人たちが不在なら、その家族までもが責められることになるのではないかということだ。
もしも「冤罪を作った人たち」が、公的に断罪されていれば、そんな憎悪の連鎖も生まれることはないだろう。
こうした、問題は考えてゆかなければいけないことだろうと思う。
『証人の椅子』を二十年ぶりに再見して、ふと、そんなことを考えていた。
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