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腰炒め(ライス付き)

 腰痛を再発してしまった。

 長時間の座りっぱなしや無理な姿勢が原因だったのかもしれないし、医者に行けば内緒で家族を呼ばれるような超絶シリアス展開なのかもしれない。まあ原因はいいとして、腰痛については昔からどうにも納得のいかないことがある。

 それは、「温めるべきか冷やすべきか問題」だ。

 素人の僕にとって、今起こっている痛みが炎症によるものなのか筋肉の緊張によるものなのかを判断するのは目を閉じたままポーカーをするくらい難しいし(その道に熟達したものなら出来る、という例え)、その上、間違った処置を選ぶと悪化する恐れがあるときている。山勘に全ツッパするしかないギャンブルに手を出すほど僕はもう若くない(だから腰を痛めている)。

 日常、普通に生きていると二択を迫られることは多いが、これほど不条理なものもそうないのではないかと思う。
 機内で「ビーフ?チキン?」と聞かれ、チキンと答えた瞬間、客室乗務員が高らかな笑い声をあげて僕の弁当箱をダストシュートに放り込むようなことがあるだろうか。挙句、全然欲しくない機内販売のヘアトニックを強制的に一本買わされるようなことが。
 腰を温めるか冷やすかを間違えることもこれとほぼ同じで、ノーヒントの二択に間違えただけとは思えない仕打ちが待っている。

 いや、そもそも、機内食の例に答える方がずっと簡単とも言える。
 僕の胃腸は30歳を境に直角的な衰退をたどり、牛肉の油を摂取するとお腹を下すようになってしまった。特に白いサシの入った上等な牛肉などはもはや天敵で、「お前に裕福は似合わない」と自分の臓器から直接告げられてしまった上に、腰痛のせいでトイレに行くのもカニ歩きなのだ、こんな有様では書く文章が支離滅裂になるのも仕方のないことだろう。これを読んでいる方々には初孫の絵を眺めるような眼差しで、かつ各文の意味を考えないよう出来るだけ素早く読んでいただきたい次第である。

 体の健康と心の健康はつながっているとはよく言ったもので、腰の痛みが続く中で、実際にそのつながりを痛感することが多い。毎日のちょっとした動作における痛みや不快感の一つ一つが、石でも積むように着実に心の中に重くのしかかり、ストレスや不安が増していく。
 痛めた最初の頃こそは、「ゆっくり休む良いきっかけになるかな」などと気楽に構えていたが、さすがに二週間以上も続くうちに仕事や日課は滞りまくり、押し寄せる無力感と焦燥感に苛まれ、脳は正常な判断力を失ってゆく、そんな人間に腰を温めるか冷やすかを決めろと迫るのは、猿に銃口を突きつけて航空機を運転させようとするのに等しい。拳銃がどうであれ、そもそも出来ないことなのだ。

 二週間もあれば、非常に多くの空港に立ち寄ることが出来る。
 最寄りの関西国際空港から出発して、ソウル仁川国際空港、北京首都国際空港、フランクフルト空港、アムステルダム・スキポール空港、ロンドン・ヒースロー空港、ニューヨークJFK空港、ドバイ国際空港、シンガポールチャンギ空港、そして香港国際空港から直行便で関西国際空港に戻って来られる。
 それぞれの滞在時間は24時間未満となり、旅行としては非常に味気ないかもしれないが、無理やり買わされたヘアトニックを空港のトイレに一つずつ隠す時間があれば十分だろう(スキポール博物館は見てみたいが)。問題はやはり腰の痛みのせいでフライト中に座っていられないことで、添乗員が何度注意しても立ち上がったりしゃがんだりを繰り返す乗客に対して平手打ちをしない保証はどこにもないし、少なくともチキン弁当はダストシュートの底だろう。

 もちろん、坐骨神経に強烈な麻酔を打っておく手もある。人は上半身さえ動けば添乗員の指示に対してお行儀よく振る舞えるし、何食わぬ顔でヘアトニックを受け取ることも出来る。
 しかし、一つだけ困ることがある、それは…。
 いや、トイレと思ったあなたは、残念ながらまだ事の重大さを認識していない。
 確かにフォーマルな状況で他人が小便等を漏らすことは、ほとんどの社会や文化において予期しない状況であり、一般的には不快感や恥ずかしさを伴う反応がなされることが多いが、ここは航空機の中であって幼稚園ではないのだ。乗客のほとんどは大人である、嘲ったり叫んだりしている場合ではないとすぐに察して、適切な対処や心理的なサポートを手伝ってくれるだろうし、最悪の場合でも無関心を装われるだけだ、そうなればこれぞ文化の違い、これぞ多様性、とばかりに見せつけてやればいい。この際トイレの問題など物の数ではないのだ。

 少しばかり話が逸れてしまったが、困ることといえば我らが機長の猿に銃口を突きつけている輩がいること、つまるところはハイジャックである。
 座ったまま両手を頭に乗せるところまではいい、これは出来る。しかし、一人ずつ機内から降ろされるシーンで指示に従うことが出来ない。意に反して僕の椎間板はピクリとも動かず、無情にも撃ち殺されてしまう。事情の分からない猿は股間をびしょびしょに濡らし大量のヘアトニックに囲まれた死体を見て、人間はやはりバカだと夜の食卓で家族に話すだろう。

 以上から分かるように、腰の痛みは当人の心と頭に大きなダメージを与える。皆様もゆめゆめ留意されたし。

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